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第68話 山崎晴人 ④

 副社長室の掃除に瑞稀は来なかった。  瑞稀がくるかもと少し期待していた晴人は、がくりと方を落とす。  幸恵と和子がテキパキと掃除を済ませると、部屋から出て行こうとする。 「あの……」  晴人は二人を呼び止めた。 「あの、成瀬さんという方がいらっしゃると思うのですが……」 「……」  幸恵は答えるのを一瞬ためらったが、 「はい」  と答えた。 「もしよろしければこれを渡していただけませんか?」  折り畳まれた一枚の紙を和子に渡す。 「これは……」 「私の電話番号です。成瀬さんに『話したいことがあるから、空いている時間を教えてほしい』と伝えていただけませんか?」  このメモを託けたが、瑞稀から連絡があるとは限らない。  でもどうしても瑞稀と話がしたかった。  先ほど目の前に現れた瑞稀が幻でないと、確信したかった。 「分かりました。渡しておきます。でもその後連絡がなかったとしても、瑞稀くんにひつこく付き纏わないと約束してくれますか?」  品定めをするように和子は晴人の様子を伺った。 「もちろんです。お約束します」 「では必ず渡しておきます」  和子と幸恵は視線の警戒を解かないまま、次の現場へと向かって行った。  いつも以上に、晴人は集中して仕事に取り組んだ。  そうでもしないと、瑞稀のことばかり考えてしまって仕事にならなさそうだったから。  ひっきりなしに色々な企業の役員が、昴に挨拶に来ていたが、本当のところは『どんな若造が副社長になったんだ?』『どうせ一族だからだろ?』という気持ちが、笑顔の下から垣間見える。 「失礼な人たちばかりでしたね」  最後の客を送り出し、自分のデスクに座った昴にコーヒーを渡しながら、晴人は毒づく。 「あはは、みんな気持ちを隠すのが得意じゃないだけじゃない?」  昴が茶化すと、 「副社長のこと何も知らないくせに、言いたい放題。何様なんでしょうね」  こんなに毒づく晴人は珍しい。  自分のことならともかく、尊敬する昴がきちんと評価されないのは嫌なようだ。 「もしかして晴人、ずっとそんなこと考えながら接客してた?」 「はい。顔に出てましたか?」 それは少しまずいな。  いくらイラっとしても、顔に出さないのが秘書に必要とされるところだ。 「いや、全然わからなかった。だから、今晴人がそんなことを言ってるのに驚いたよ。名演技だったと思うぞ」  楽しそうに昴は笑った。    客人を接客中、言葉選びにミスはできず、適度な緊張感が、今日の晴人にはちょうどよかった。  ホッと一息入れると、すぐに瑞稀のことが頭をよぎる。 瑞稀は今どうしているだろうか?  瑞稀の居場所がわからない時も、同じことを考えていた。  だが今は瑞稀の居場所はわかっている。  しかも瑞稀と晴人は同じビルの中にいる。 早く会いたい。  そう思うが、瑞稀からの連絡がない限り、どんなに近くにいても会うことはできない。  もどかしい。  だからと言って、急に瑞稀に近寄ろうとしては怖がらせるだけだし、もう会ってもらえないかもしれない。  それだけは避けたかった。

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