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第35話 藤波の提案
バイトを終えて、藤波のマンションに帰った。
不思議な気分だ。
自宅でもなく、那央のアパートでもなく、他の男の家に帰る。
藤波は酒を呑みながらリビングにいた。
「やあ、おかえり。」
「はい。おかげさまで、楽しく過ごせました。」
藤波はじろじろとこちらを見た。
「首尾よくいったように見えるけど?」
「はい、那央とは、セックスできました。」
なんの報告だよ、と思って苦笑いした。
「おめでとう。本当の自分になれたかね?」
「あんまり俺が迫るんで、呆れられました。」
藤波は笑った。
「今まで、那央は俺をかなり買い被ってたんですが、今回でただの性欲の強いお兄さんと思われたのは気が楽になりました。」
「人間はね、自分以外の何者かになろうとすると苦しいんだよ。」
橘も酒の用意をする。
藤波は日本酒を呑んでいた。
それに合わせて、自分も日本酒と簡単なつまみを用意する。
ソファに座ると、机に写真が置いてあった。
見たことのある写真だ。
母が若い頃、天文台で事務の仕事をしていた時の写真だ。
全員の集合写真と、若い人だけが写った2枚。
なぜ、ここにあるのか。
「見覚えが、あるんだね?」
「はい……。母が、大事にしている写真がなぜここに……?」
「この写真を大事にしている人物は、もう一人いる。藤波獅堂。俺の叔父だ。」
藤波獅堂。
宇宙開発の第一人者。
最近も世紀の発見をし、世界的に価値ある論文を発表していた。
「叔父さんと……母は、知り合いだったのですか?」
藤波は、若手が数名写っている写真を手に取り、指を指した。
「これが、獅堂。"し"は、ライオンを意味する"獅"と書く。そして、この顔。君に似ているよ。」
写真の中の獅堂は、メガネをかけて軽くほほえんでいる。
獅堂のすぐ前には、若かりし母が写っていた。
しわや白髪が増えて、実年齢より老いて見える今の母の印象とは違い、肌艶もよく、黒々と豊かな髪を垂らしている。
「顔も、名前も、関係があると……?」
「叔父は若い頃、この天文台で勉強しながら働いていた。半人前の研究生だ。その時、こちらの橘アキさんに恋をした。両想いだったようだが、金も地位もなかった叔父はアキさんとお付き合いすることを諦めた。その後、叔父はフランスに渡った。」
橘は固唾を飲んで藤波の言葉を待った。
「3年後、フランスから帰った叔父は、期待の若手研究者になっていて、1週間だけ、この天文台に戻ってきた。そして、アキさんと再会する。アキさんは、結婚していた。でも、叔父はアキさんが好きで、アキさんも叔父のことを忘れていなかった。一度だけ、関係を持ったそうだよ。」
「そんな……。」
「叔父は、天文台を去った後、違うところで仕事をしていた。そして、アキさんに子どもが生まれたと聞いた。天文台に連絡したが、アキさんは離婚していて、すでにその地を離れた後だったそうだ。今でも、アキさんと子どもに会いたがっている。」
「俺が……もしかしたら、獅堂さんの子どもかもしれない……のですか?」
胸が締め付けられる。
「離婚の理由は、聞いているのかな?」
「……いつも母は、"自分が悪かった"と言っていました。母も幼い頃に父を亡くし、ずっと貧しい暮らしでした。だから、早く結婚をして、祖母に楽をしてほしいと思ってお見合いをしたそうなんです。いい人だったのに、自分が至らなかったと……。」
「なるほどね。一夜の過ちに、純粋なアキさんは耐えられなかったのだろう。」
「……そうかもしれません。働きづめの母は、どこか、自分から望んで自分に鞭を打っているようでした。」
「獅堂は、今や宇宙開発分野の重鎮だ。認知はできないが、経済的な援助や、就職援助は簡単だと思うよ。どうする?」
藤波が鋭い視線を向けて来た。
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