37 / 94

第38話 藤波の言葉

「就職、落ちたらどうするんだ。またさらに一年はキツイだろう。就職くらいは、手伝ってもらったら?」 藤波はニヤリと笑って言った。 「そんな、縁起でもないこと、言わないでくださいよ!」 さっきはカッコつけて言ったものの、痛いところをつかれた。 確かに、研究室のフォローだけでは質も量も足りない。 「一度セックスもしたら、那央くんにだって時間は取りたいだろう。」 「……昨日、半年分はしたので、大丈夫です。」 「はは。言うねぇ。若さがうらやましい。」 落ちた場合、普通の就職も考えているが、それでは今までと同じだ。 那央を理由に夢を諦めたら、那央に申し訳ない。 「君の話をモデルに、小説にしてもいいかな?男性に恋をした主人公が、二人の幸せのために奮闘する話さ。 主人公の母は、家族への思いやりから金をとったが、自分に嘘をつきながら生きることはできなかった。男は、身を立ててから愛する人を迎えに行ったが、時すでに遅し。罪を犯してまで純愛を取るが、女は自ら十字架を背負って生きることを選び、男は一番欲しかった愛しい人との家族は得られなかった。 そしてまた、主人公に問われるのだ。 今の社会では、同性同士では家庭は得られない。さらに、純愛を貫こうとすれば、金が要る。色男の主人公を金で買いたい男はいるから、身を犠牲にすれば金は手に入るが純愛はなくなる。夢を追えば恋人とは過ごせない。夢を捨てれば自分じゃなくなる。さて、どうする?」 残酷な世界だ。 「……俺は……昨日まで、那央との関係が不安でした。那央にも、これから先、一般的な、家庭の幸せがあるんじゃないかと。たまたま俺と出会ってしまっただけで、おかしくなってしまったんじゃないかと……。でも、三年も……俺を好きでいてくれました……。だから、俺は、那央を絶対に幸せにします。俺の夢は、那央の夢でもあるから、夢も諦めません。」 改めて口に出して、決心がついた。 藤波は、無表情でこちらを見ている。 「お金は……大変ですが、那央も、わかってくれるはずです。」 今までは、那央に甘えてばかりだと思っていたが、那央だって、考えてくれている。 二人で乗り越えたいと思い始めていた。 「……藤波先生なら、その小説を、どんな結末にするんですか?」 藤波は不敵に笑った。 「小説と現実は、違うんだ。現実は、ただの営みだよ。遺伝子でガチャされ、社会がゲームルールを決めて、時代が命を押し流す。人間一人の人生なんて、川を流れる枯葉のようなものだ。大した価値なんて、ないんだよ。」 藤波が言いそうな言葉だった。 「だから、俺は小説を書くんだ。俺は、アキさんと叔父の過ちが、莉音という愛の結晶を生んだことを尊いと思う。 二人は本当の自分に正直になった故に、苦しんだかもしれないが、自分の人生の全てを引き受ける覚悟をした。アキさんはアキさんにしか得られない喜びもあったはずだ。叔父は研究者として奮起して人類に一歩をもたらした。 莉音と那央の二人も含め、みんな、一人ぼっちで生きてるわけじゃない。有機的なドラマだ。それが人間であり、人生だ。それを、俺みたいなはみ出し者が観察して、見せてあげるのさ。今の君のような、自分を見失いそうな人にね。」 藤波は酒を一口呑んだ。 「そうだなぁ、この小説を書くなら、モデルからもっと取材しないとね。提案なんだが、小説が出来上がるまで、僕の執筆の手伝いをしないかい?家政婦業はしなくていいよ。他のバイトは一度辞めて、勉強に専念することだ。それだけの給与は出そう。あと、採用試験の対策がうまい大学に潜りこもう。それくらいは叔父を使えよ。叔父だって、君と関わりたいんだ。逆にその程度だが、彼の人生最後の願いかもしれない。人助けだと思って、受けてくれよ。」 「……要芽さん……。」 「君が受かれば、宇宙開発が進むんだろう?半分はあの獅堂の優秀な血が流れてるんだ。君が活躍すれば、獅堂も嬉しい、人類のためになる。お母さんだって喜ぶ。もちろん那央君も。君が、好きなことをやり、それが成就するだけで、たくさんの人が幸せになる。」 藤波は橘を見ながら身を乗り出して言った。 「君は、人生が与えてくれた苦しみで自分を磨いてきた。君にしか、輝かせられない光がある。そういう格の人間になったんだよ。本当の自分になるのに必要なのは証拠じゃない、”勇気”だ。母が愛を信じて、父が夢を追ったように。恐れずに、自分の信念を貫け。」 夢を追う怖さ、現実の危うさ、那央を愛してしまった罪悪感。 それらとずっと闘ってきた。 それらを藤波が肯定してくれた気がした。 涙が橘の頬を伝った。

ともだちにシェアしよう!