39 / 94
第40話 藤波少年
― 第三章 藤波と翔優 ―
橘莉音との同棲は、約1週間で終わった。
橘が部屋を出たその日の夜に、家政婦の池上翔優 に電話をした。
「ああ、休み中すまないね。家事をお願いしていたバイト君が今日で終わりになったんだ。大分予定より早いけど、戻れるかな?」
きっとすぐにでも帰って来るだろう。
翔優が、この1ヶ月の休みを有意義に過ごせているとは思えなかった。
案の定、電話をして1時間後にはマンションに来た。
「お暇をとらせていただき、ありがとうございました。」
「給料そのままで、休みが短くなったんだから、文句くらい言ったらどうなんだい。」
「ここでのことは、仕事と思っていないので。」
だろうな。
翔優は、僕のことが好きなのだ。
だから、僕の世話は仕事ではない。
―――――――――――――
中1の時、叔父の藤波獅堂が翔優に勉強を教えてくれ、と持ちかけてきた。
翔優は小5で本家の使用人の息子だった。
勉強が苦手で、教えて欲しいとのことだった。
小学生の内容で勉強が苦手ってなんだよ、覚えるか、パズルみたいなものじゃないか、と思った。
翔優は、生気のない顔をしていた。
目に光がなくて、口がいつも僅かに開いている。
丸顔で、細い。
身だしなみは親がきちんとさせていたが、気力を感じないせいか、どこか不潔に感じさせた。
苦手だというところを教えてみると、確かに何もわかっていない。
対人に障害があるか、学習に障害があるのか。
最初から大して興味もなかったが、いよいよ面倒になって、教科書を渡し自分で読んで解くように言った。
すると、翔優はスラスラ解いた。
「なんで、人に教わると、わからないんだ?」
「……聞きながら理解しようとすると、わからないんです。人の声が音楽みたいに流れて、何を言っていたかが、わかりません。」
会話はできていたし、一方的な長い説明を聞くのがダメなだけで、理解力がないわけじゃなかった。
歌のメロディはわかるが歌詞がわからない、みたいなものだろうか。
「学校の授業形式は、君には最悪というわけだ。」
「……気づいたら、先生が次の話をしていたり、勉強じゃない話をしていたりして、何の話をしていたか、わからなくなるんです。」
「なるほどね。そもそも、教師の話はつまらないし、価値がないから聞かなくていいよ。さらに、教科書を読んでわかるなら、教師は要らないということだ。良かったな、学校にわざわざ行く必要が無いとわかって。」
「……学校に、行かなくて、いいんですか?」
「自力で勉強できるなら、行かなくていいんじゃないのか?自分が1時間でできることを、学校では何時間も何日もかける。そりゃ、できるものもできるようにならないさ。」
翔優は、口を半開きにして、ボーッとした顔をしていた。
学校でもこんな顔をしているなら、もしかして友だちもいないかもしれない。
人間が、異常を感じる人間をつまはじきにするのは当たり前だ。
「学校は、楽しいのか?」
「……いえ。僕がバカなので、先生には怒られるし、友達も、僕が何か言うと、笑ってきます。なんで、笑われているのか、わかりません。」
翔優は、ただそう言った。
ともだちにシェアしよう!