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第55話 お箏のレッスン
3日目は、娘のエバ主催の、お箏レッスンの日だ。
エバ自身も箏を習っていて、友達と近所の子たちも集まって箏に触れる。
エバも演奏をしてくれた。
エバの演奏もなかなかのものだった。
日本人の感性は、日本人特有ではないらしい。
「エバさん、素敵な演奏です。曲が持っている世界を、ちゃんと演奏で表現できていました。」
翔優が人を褒めるところを初めて見た。
翔優は、通訳の獅堂に話しかけるのではなく、言葉は通じなくても、ちゃんと子ども一人一人に話しかけていた。
本能的には人とやりとりできるのだろう。
表情も、いつもの受け身で子どもっぽい顔とは違っていて、「お兄さん」のような安心感が出ていた。
会の終盤には、子どもたちの笑顔に囲まれて、翔優の表情にも笑顔がみえた。
フランスのたった3日で、翔優は人から人間になった。
笑顔の翔優の写真が撮れた。
僕の撮影係は、これで終わりのようなものだ。
―――――――――――――
その日の夜、互いにベッドに入り、おやすみと挨拶をする。
ちょっとして、僕は、翔優に話しかけた。
「翔優。」
「……はい。」
「一つ、君に謝りたい。」
「はい。」
「やっぱり、君は学校に行った方が良かったかもしれない。フランスに来て、君は人として成長している。あんな風に、もっと人との関わりが早くあったら良かったかもしれないと、思ったんだ。」
自分と父とのわだかまりを、翔優の人生におっかぶせてしまったのだ。
翔優には、本来関係のないことだ。
「……いえ。私は、今の自分だから、フランスに来れました。学校に行っていたら、箏をひいていません。」
「そうかもしれないが……別のもので活躍できていたとも思う。」
学校に行っていれば、様々なことに広く触れられる。
そこで得た喜びを分かち合ってくれる指導者にも出会えたかもしれない。
「……僕は……勉強ができなかったので、度々放課後に先生に呼び出されました。ある日、先生が、私の股を触って、ズボンをおろしました。触られたり、舐められたりして…。私にも、先生のを同じようにするように言われました。怖くて、断れなくて。先生から、”勉強ができなければ、大人になったらこういうことをして食っていくしかない”と言われて、そうなんだと、思っていました。」
翔優の突然の告白だった。
「学校に、行きたくありませんでした。でも誰にも相談できなくて。両親を…悲しませたくありませんでした。」
翔優の両親の顔が思い浮かぶ。
俺が生まれる前から屋敷に勤めている。
もはや、親戚みたいなものだ。
優しくて、穏やかで勤勉な人たち。
そんな家庭に、低俗な犯罪者が入ってきていたなんて、身の毛がよだつ。
「もし相談できても…学校を辞めるのは、難しかったと思います。両親は、信頼している要芽さんと獅堂さんに言われたからこそ決めることができました。初めて、要芽さんに会ったとき、すぐに『学校に行かなくていい』と言われて、僕は…救われました。」
僕は、すぐに言葉が出なかった。
この、頼りない翔優は、ずっと一人で闇を抱えてきたのだ。
両親の幸せのために。
「……そうか。君は、すごいな。今までよく耐えたよ。僕が偉い人間だったら、その下衆な教師を抹殺してやりたいが、残念ながらただの高校生だ。」
残念だよ、本当に。
どうして世の中から悲しみがなくならないのか、いつも考えては虚しくなる。
翔優が、僕のベッドに入ってきた。
僕の上に覆い被さって言う。
「先生のをするのは嫌でしたけど…そういう行為がとても気持ちいいことは知っています。私は、要芽さんに気持ち良くなってほしいんですが、してもいいですか…?」
思ってもみない提案に、一瞬驚いた。
「……僕は、その最低な教師とは違うから…身体的な快楽は無用の長物だ。君が、感謝の気持ちで僕にそうしたいなら、別の手段を考えなよ。その捻じ曲がった発想は、その糞教師の洗脳のせいだ。洗脳に頼らずに、君自身がもう一度自分の目で見て、考えて、生きるしかないんだ。」
翔優は「わかりました」と言って僕の上からはどいたが、ベッドから出ていこうとはしなかった。
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