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第73話 樋野

翌日の朝、翔優はひのぱんに出向いた。 「あれ?翔優くん。今日パンの日だっけ? 」 樋野は取り置きの場所を確認した。 メモリア用のパンは無い。 「あ、いえ。今日、一人分の夕食が余るので、もし良かったら食べに来ませんか?というお誘いでした」 翔優くんは無表情に言う。 嬉しいお誘いのはずが無表情で言われたので、樋野は事情がすぐに飲み込めなかった。 「あ、ああ、多分大丈夫。行く予定にするよ。7:00くらいでいいかな? 」 「はい、大丈夫です」 せっかくいい話だったのに、喜びそびれてしまった。 「わざわざありがとうね。来てくれて。電話で良かったのに」 「いえ、なんとなく、直接お話ししたかったので」 美人にじっと見つめられて、樋野は思わずドキッとした。 「お、おう。そっか。絶対行くよ。よろしくね……」 「はい。他に二人いますので、よろしくお願いします」 そう言って、翔優は店を出て行った。 二人きりじゃなかった。 そう言えば、たしかに翔優は藤波家の別荘の使用人だった。 藤波本人とは会ったことがない。 ご一緒することになるんだろうか……。 なんか緊張してきた。 まさかスーツで行ったほうがいいんだろうか……? ♢♢♢ 7:00すぎ、樋野は藤波の別荘に着いた。 中に入ると、可愛い男の子が出迎えてくれた。 イケメンの男性が料理を運んでいて、翔優君がキッチンに立っている。 え?明るいホストクラブ? 席に促されて、自己紹介をされる。 橘君と那央君。 この四人の食事会になるようだ。 手土産のパンを渡す。 「あ!ひのぱんですね!俺、ひのぱん大好きです!今まであんまりパンに興味がなかったんですが、翔優さんがからひのぱんを紹介されて、一気にパンのイメージがかわりました!」 「ホントに?!ありがとう!」 いや、なんて可愛い子なんだ。 そのもちもちのほっぺをこねてあげたいよ。 「那央は食いしん坊だから。」 あ、橘君、那央君のほっぺつまんでる。 橘君、めっちゃ幸せそうな顔だなー。 え?何?ここはBLの世界なの? イケメンのイチャイチャかぁ……。 いくら結婚適齢期から離れてきているとはいえ、男子に手を出したら終わりな気がする。 きっと帰って来れない。 にしても、今日は藤波さんがいないにせよ、こんなイケメン同士で暮らしてるのか……ドラマの世界だな……。 「樋野さん、今日は急なお誘いですみません。お酒もあるし、帰りは送りますんで」 翔優が言った。 「じゃあ、お言葉に甘えようかな」 メニューは、牛すき焼きだ。 食べ盛りの男子4人に牛肉を選ぶなんて、なんてリッチなんだ……。 ほかに、グラタンとサラダもある。 「樋野さん、どうぞ」 翔優が取り分け、橘がビールを注ぐ。 「あ、ありがとうございます!なんか、イケメンにサービスされると照れちゃうよ。普段、両親と3人が多いから。仕事も家も一緒だと、世界が狭くてね……」 「じゃあ、たまには一緒にごはん食べましょうよ。客室も余ってるようなんで、泊まれますよ」 橘が微笑んで言う。 あれ?なんか誘われてる? 大して飲んでないのに、イケメンの華やかさに酔ってきた。 「それにしても、さすが料理人の食卓だね。毎日こんな充実した食事なの? 」 「翔優さんの食事はいつもこのレベルです!ホント、幸せです……」 那央が答えた。 牛すき焼きを頬張って幸せを噛み締めてる。 それを見る橘君の眼差しよ。 うん、俺は確信した。 お前らデキてるな。 「樋野さんも、お母さんが料理してくれるなら、食事は心配なくていいのではないですか? 」 翔優が言う。 「母親も歳だからね。こんなおしゃれなご飯じゃないんだよ。いつも同じだし。早くお嫁さんもらって、美味しいご飯を作ってほしいよ」 「彼女募集中なんですね」 橘が言った。 「心の底から募集中だよ。君たちくらいイケメンなら、女の子余ってるんじゃないの?紹介してよー」 と、泣きついては見るが、彼ら狙いの女の子が平凡な俺に流れてくるとは思えない。 言っておきながら、現実は分かっていた。 ♢♢♢ 二杯目からは日本酒が入り、彼のトークのうまさもあって楽しい食事会になった。 翔優君も、案外溶け込めている。 時々笑顔になるのが意外だった。 「じゃあ、二次会と行きましょう」 ソファに移動し、ウイスキーが出る。 おつまみもなかなか凝っていて、橘君が作ったという。 シェフにバーテンダーにマスコット男子のおもてなし……乙女ゲーか。 もう、俺も男でいいかもしれない。 無駄な足掻きをやめれば気が楽になる。 「どんな女性が好みなんですか? 」 橘が聞く。 「まあ……パン屋やってるから、一緒に働いてくれる人がいいんだ。パン屋が嫌なら、勤め人でもいいけど、働き者がいいかなー」 「しっかりした人がいいんですね。見た目のタイプとかは? 」 「いや、もう見た目じゃないよ!若い頃は色々あったけど、内面の相性が良くないと続かないからね……」 樋野は、大恋愛をした昔を思い出した。

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