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第79話 想い
藤波の部屋のドアがノックされる。
「どうぞ」と声がして、翔優は中に入った。
藤波が寝巻きのまま、入り口に背を向けて執筆していた。
「まだ起きてたんだね。樋野さんはもう寝たかい? 」
「はい」
「彼が乗り気なら、お世話になりなよ。莉音や那央とも違って社会経験があるし、何より面白い人だ」
「……はい……」
「……何か不満なのかい? 」
藤波は手をとめて翔優を見た。
翔優は藤波に近づき、藤波に口づけをした。
「……なんだ、そういうことか……」
橘と那央が来てからは家事の量も多くなり、多少の恥じらいもあってか、さすがに毎日とはいかなくなった。
藤波の小旅行もあり、二週間間が空いた。
「……ベッドへ……」
翔優はそう言って、藤波の手を引いた。
藤波をベッドに座らせ、首筋にキスをして体をなでる。
寝巻きがはだけて、より要芽のにおいを強く感じた。
翔優は藤波に擦り寄りながら、くんくんとにおいを嗅ぐ。
「ん……」
翔優は声を出した。
今まで、翔優は行為の最中に声を出したことがなかった。
藤波は翔優の背中に手を回し、体を支えた。
翔優はまた藤波にキスをする。
唇を吸い、舌を吸い、唾液を吸う。
唇を離して、翔優はじっと藤波を見つめた。
いつもならその勢いで、藤波のものを咥えて、挿入して、終わりだ。
だが、今日の翔優はそうしなかった。
藤波の肩に頭を寄せた。
「……樋野さんのおかげで、人間らしさが増したんじゃないか? 」
藤波が静かに言う。
「樋野さんとキスをしました。喜んでもらえて嬉しくて。でも、同じことをしても、要芽さんは喜んでくれません……。だから……私はやっぱり要芽さんに好かれてないんだと思って……」
翔優は藤波の顔を見た。
翔優の目から一筋の涙が溢れ落ちた。
「……だから言ったじゃないか。僕と一緒にいれば、君はずっと傷つかなくてはいけない。樋野さんのような心のある人のそばにいた方が君は幸せなんだ」
「嫌です!!私は要芽さんと一緒にいたい……!!」
翔優は藤波に抱きついて押し倒す。
キスをして体を舐め、欲望で固くなったモノを突き刺さす。
それしかできない。
どうしても縮まらない藤波との距離。
これだけ体は繋がっていても、これだけ自分のを注いでも、一つになれない。
藤波の耐える表情に、翔優は焦った。
元から愛されていないのに、快感も与えられなければますます藤波は離れてしまう。
ただ、藤波に、少しだけ可愛がってほしいだけなのに。
♢♢♢
翌日、気持ちは晴れなかったが、翔優はいつも通り朝食の準備のためにキッチンに立った。
なんとなく、雰囲気が変だった。
玄関に行くと、藤波の履き物がない。
マスターキーを使って、部屋に入る。
部屋は少しだけ整理されていた。
藤波が旅に出る時はいつもこうだった。
「おはようございます」
橘が廊下に出てきた。
「……おはようございます。要芽さんを見ませんでしたか?」
「ああ、明け方、出かけるところに丁度会いました。もう旅立つっていうんで、駅まで送りました」
橘は、藤波の事情を翔優が知らないことに違和感を覚えた。
「……要芽さんのことですから、すぐに帰ってきますよ。荷物も少なかったし」
「……そうですか……」
翔優はそう言って、キッチンに戻った。
♢♢♢
「朝からひのぱんのトーストなんて……幸せ……」
那央が朝食に用意されたトーストをかじって言う。
「那央、最近食べ物のことしか話してないよね。動画もグルメものばかりで。はい、こっちのクロワッサンもあったまったよ」
橘がクロワッサンを二つに割いて、那央の口に入れてあげる。
いや、今トースト食べてるし、クロワッサンくらい那央君一人で食べれるから!と、樋野は懲りずにつっこんだ。
「ああ!翔優君!コーヒーこぼれてるよ!」
翔優はコーヒーを注いでいたが、ソーサーがひたひたになるまで溢れている。
今日の翔優はおかしかった。
ベーコンは焦げまくってるか半生だし、スクランブルエッグは炒り卵だ。
スープも味が定まらない。
あの翔優がこうなるなんて……
絶対、藤波さんとなんかあったじゃん?
俺のせいかな……なんか、責任を感じる。
橘が、声をひそめて言った。
「樋野さん……実は今日、メモリアの日なんです。二人組と四人組のお客さまで……。あんな調子で、大丈夫ですかね? 」
「無理だ……炒り卵を作っているようでは……」
「樋野さん……今日、手伝ってくれませんかね? 」
「うん……そうだね。俺もがんばるよ」
樋野は、週一のお店の話に前向きな気持ちになっていた。
実現しなかったとしても、視野を広げてくれた藤波に感謝していた。
他でもない翔優のピンチで、しかも料理ならなおさら協力したかった。
別に、翔優にキスしてほしいわけじゃない。
してくれたら、してくれたでいいけど。
まあ、キスくらい減るもんじゃないし、してほしいな、とは思う。
藤波さんと揉めない程度に。
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