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第81話 翔優と樋野
今日のお客さんは、女性二人組みと、家族四人組だった。
軽やかなクラシックが流れ、テーブルの上のランプが灯される。
ランプの周りには、メモリアのファンのマダムが作ってくれた造花の置物がある。
キッチンは翔優と樋野が回し、橘が給仕した。
女性二人組は料理やワインの説明を橘から聞いて楽しそうに話している。
家族四人組の方は、たまたま樋野の知り合いだった。
「タクちゃんじゃない!どうしたのここで。まさか、シェフなの? 」
奥さんが驚いて言う。
「ええ。昔とった杵柄で。いよいよ俺もバイトをしなきゃいけないくらいに、ひのぱんが怪しくなってきましたよ」
まさかぁ、と言って家族がみんな笑顔になる。
「そんときは、うちに婿に来なさいよ。娘が今度帰ってくるから。なんだか、都会の暮らしには疲れたみたいで。そしたら毎日タクちゃんのプロの味が楽しめるわね」
奥さんはホホホと笑った。
「そりゃいい話だね。でも、それはお母さんの好みが俺だからだよ。ほら、お父さんと俺、似てるでしょ?」
旦那さんはハハハと笑う。
「娘さんはね、あっちのイケメンやらこっちのイケメン見たら、俺じゃないと思うよ。ここは、あっちのシェフの店だから、今後もよろしくね」
メモリアを推しておいた。
翔優は集中力を取り戻し、店は順調に回った。
♢♢♢
お客さんが帰り、店内を片付ける。
女性たちは、翔優と橘とおまけの樋野とで写真を撮った。
樋野の知り合いの家族も、満足気だった。
「口コミが良かったから来てみたけど、本当良かったわぁ。シェフも若いのにすごいわね!また来るから!今度は帰省する娘と!」
奥さんは意気揚々と帰っていった。
美味しさと雰囲気。
お店としては花丸じゃなかろうか。
ただそれは、料理の技術や小物のテクニックじゃない。
やっぱり、結局”人”なのだ。
ここに遊びに来て、彼らのオーラに元気づけられた。
さっきは偉そうに翔優に説教したが、俺の方が忘れていた。
そもそもなんで店をやりたかったのか。
今日の朝食のように、那央が美味しいって食べて、橘が那央を見て幸せになって、翔優の家事が楽になって、他の料理も美味しくなる。
そんな家族の団欒に、ひのぱんを選んでほしいんだ。
「樋野さん……今日は本当にありがとうございました。樋野さんのおかげで、ちゃんと仕事ができました」
「こちらこそありがとう。楽しかったよ。お店……楽しいね……」
できれば、本当に翔優と働きたかった。
ただ……
「翔優君……一つききたいんだけどさ」
「はい」
「翔優君は、本当にお店をやりたいのかな? 」
「…………………………」
翔優は無表情で樋野を見た。
「あのね、俺、藤波さんの提案通り、翔優君と店をやりたいって思ったんだ。翔優君とお店やれたら楽しそうだよ。何度も言うけど、元々、翔優君は一人でもメモリアをやれるくらい力がある。君は立派な料理人だ。ただ、二人でやるなら、お互い言いたいことが言える仲じゃないと、ダメだと思うんだ。だから、今、大事なことをきいておきたくて」
樋野は言葉を慎重に選んだ。
「この間の二次会で、藤波さんから、メモリアの経緯を聞いたよ。なんとなく、藤波さんの親心で始まったのかな、って思った。それはすごい恵まれた話なんだけどさ、ただ、もし、翔優君が、お店自体をやりたいんじゃなくて、”藤波さんに好かれるため”にやっているなら……二人でやるようになった時、しんどくなると思うんだ……」
翔優はまた床を見つめている。
「気を悪くしたらごめん……だけど、藤波さんは、もしかしたら、翔優君に尽くしてほしいわけじゃないのかな、って思うんだ。自分のためじゃなくて、もっと、翔優君に広い世界を見てほしくて、料理そのものを楽しんでほしくて、人と関わってほしくて、こんな風にしてくれてるんじゃないかな。翔優君は、器用で向上心が強いからうまくやってるけど……もし、藤波さんの気持ちと、翔優君の努力が噛み合ってなかったら……悲しいよね……」
言い過ぎただろうか……
ただ、このまま藤波さんと翔優君がすれ違ったままなのは可哀想だ。
「……どうしたらいいんでしょうか……。樋野さんの言わんとすることは、わかっていると思うんです……。ただ、何をしたらいいか……私にはわからなくて……」
翔優は悲しそうな顔をした。
悲しそうな顔すら美人だった。
こんな若者に愛されている藤波氏が羨ましいよ……
「じゃあさ、一旦、藤波さんを忘れよう! 」
「え……」
「高校生とか、そうじゃん!モテないときにそのまま女の子のケツを追ってもダメで、勉強とかスポーツに打ち込むとモテ始めるやつ!」
「は、はあ……」
「藤波さんがいないうちに、やりたいことやろうよ!翔優君が変わったら、藤波さんも違うと思うよ!藤波さんから押し倒されるくらいを目指さないと! 」
樋野はドヤ顔をした。
「……そうですね……やってみます……」
翔優は苦笑いした。
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