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第86話 海の見える旅館

その日の宿泊先は、海岸沿いの旅館だった。 この辺りは、大津波で一帯が流されてしまった被災地だ。 地面はキレイに区画され、コンクリートになっているが、新しい建物は高台に移動したので、海の近くはだだっ広い土地が続いているだけになっている。 視界を遮るものが無い分、街でありながら空が広がった。 旅館に着き、素泊まりにしたので、夕食を食べに外に出る。 口コミサイトで評価の高い寿司屋に入った。 地元の新鮮な魚介を堪能する。 しゃりがほどけるとはこのことだ。 シンプルな料理ほど難しい。 「翔優君は、お酒は強いの? 」 ビールを注ぎながらきいた。 翔優はいつも給仕で動いているので、食事中ずっと座っている姿は新鮮だ。 「そこまでちゃんと飲んだことはないんです。家事ができなくならないように気をつけているので」 「じゃあ、今日は飲もうよ!翔優君が家事しなくて済むのは今日くらいだもんね! 」 寿司屋でビールと酒を飲み、酒屋で買い込んで旅館に向かう。 「少し、海をみませんか? 」 そう言われて、浜辺に向かった。 ♢♢♢ 「……何これ……すごい……」 樋野は息を飲んだ。 満天の星空だった。 プラネタリウムにも童話村にも無い、自然にしか表せない迫力がある。 じっと空を見ていると、空が迫ってくるように感じた。 絶え間なくリズムを刻む波の音が、ここに永遠があると言っているようだった。 海は黒々としているが、月の明かりで海面が輝いている。 初めて、自然を見て感動した。 「こんなに普段から星が輝いているなんて知らなかったよ……」 「街では、星を見るのは貴重かもしれませんが、本当は自然からしたら、そこに当たり前にあるんですよね」 二人は道路から浜辺に降りる階段に座った。 缶ビールを開けて乾杯した。 翔優は、生い立ちを語り始めた。 学校で性加害を受けたこと いじめられていたこと 藤波に学校に行かなくていいと言われたこと 藤波に勉強をみてもらったこと 箏を習い始めたこと 坂上と出会ったこと 獅堂と三人でフランスに行ったこと 「……翔優君、ごめんな、俺、翔優君がそんなに頑張ってきたこと知らなくて、勝手に偉そうなこと言っちゃってさ……」 そりゃ、藤波氏とも親子みたいになるよ。 二人の複雑な関係に理解が深まった。 「いえ、違うんです。今まで、要芽さんには大切なことをたくさん教わってきたのに、私が分かりきれなくて……。それを樋野さんが、改めて教えてくれたんだと思います。ありがとうございます。ここまでしてくださって……」 「単なる、お節介だよ」 ぶっちゃけ、あのキスが大きかったよね……うん。 「寒くなってきたし、帰りましょうか」 そう言われて、腰をあげた。 出会った頃の翔優とは、だいぶ雰囲気が変わっていた。 これなら藤波さんだって、なんかは変わるだろう。 旅行自体は正解だったと思う。 ♢♢♢ お風呂を済ませ、部屋で飲む。 翔優は、かなり飲めた。 それでいてケロッとしている。 「……飲むねぇ、翔優君……。俺はもうダメだ」 樋野は布団にごろんと寝転がった。 「そろそろ寝ましょうか? 」 「そうだね……いや、ホント、なんでそんなに強いの……? 」 「なんででしょう……せっかく飲んだのに、酔わないともったいない気がします」 翔優が部屋の電気を消した。 「せめて、酔ったふりをしたら?じゃないと、酔った勢いが使えないじゃん」 「酔った勢い……ですか? 」 「そう!酔った勢いで告白したり、酔った勢いでキスしたり、酔った勢いで一線超えちゃったりするの!……まあ……藤波さんに対しては、もう超えるものないけどねぇ……」 翔優と藤波をどうくっつけたらいいのか。 全然わからない。 だって、もうお互い好きだし、エッチしてるんだよ? 何?あと何があるの?もう人類の範疇超えてるよ? もうそこは橘先生と那央ちゃんに聞くしかないかー。 俺のような恋愛偏差値底辺じゃ解けません……。 あくびをして、目を瞑ると眠気が襲ってきた。 「樋野さん……酔った勢いで、一つお願いしてもいいですか……? 」 「……ん、何?」 「私のセックスが気持ちいいか、試してもいいですか?」 ……え?何だって? 「……それって、俺と、するってこと……?」 「はい」 ……ヤバいじゃん……キスどころじゃなかった。 「……やっぱり、嫌ですよね」 「い、いや!乗り掛かった船だから!どこまでも付き合うよ!翔優君と、藤波さんのためにぃ……!」 そう!あくまで、藤波さんのためであって、これは翔優君にとって浮気ではない!! 翔優がのしかかってくる。 少し緩んだ浴衣から胸元が見える。 ああ、神さま、仏さま、これはね、人助けなのです。 どうかバチが当たりませんように……。

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