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第62話 マティアス ②
薔薇のアーケードの中に美しい装飾がされている二人用の机が置いてあり、そのテーブルにほ三段のケーキタワーと紅茶が入っているティーポットとカトラリーがセットされている。
マティアス様は流れるような仕草で僕のために椅子を引いてくれる。
「ありがとうございます」
テーブルにあるケーキスタンドには、チョコレートケーキという見たことのない茶色いケーキや、林檎をふんだんに使っているアップパイ、スコーンと生クリームなどたくさん用意されていた。
「宮廷での生活は慣れましたか?」
侍女が待機しているにも関わら、ずマティアス様直々にケーキを皿にのせ、僕に手渡してくれる。
「はい。アレク様やヒューゴ様、クロエや他の使用人も良くしてくれています」
「ユベール様は兄さんのことを『アレク様』と呼ばれているんですか?」
「アレク様がそう呼んで欲しいと仰ったので」
「そうなんですね。では私のことは『マティ』と呼んでくださいませんか?」
今日初めてあったマティアス様を、愛称で呼ぶ。
なんだか馴れ馴れしくて、おかしい気がする。
「まだお会いしたばかりですので、そのようにお呼びするのは失礼な気がします」
やんわり断ったのに、
「私が『マティ』と呼んで欲しいと言ってるのに、それを断る方が失礼だと思うけど」
ピシャリと言われてしまって、何も言い返せない。
「それでは『様』をお付けしてはダメですか?」
「ダメです」
「どうしても……ですか?」
「はい、どうしても」
どうしよう……。
このままでは、マティアス様の思うがままだ。
「マティアス様は第二王子様。ほかの使用人たちの手前、それでは示しがつかないかと……」
「じゃあ、二人きりの時は『マティ』と呼んでくれるの?」
マティアス様がテーブルの下から僕の手を握り、慌てえてマティアス様の手から、自分の手を引っ込めた。
「呼んでくれる?」
マティアス様は甘い笑顔を浮かべ、僕を見つめる。
これは呼ばないと、絶対に終わらない話だ。
「では、二人だけの時なら……」
「ということは、これからも二人で会ってくれるってこと?」
「そ、そういうことではなくて……」
「うれしいよ|ユベール・・・・」
またテーブルの下で手を握られ、またその手から逃れようとしたが、今度はぎゅっと握られていて離せない。
「離してください」
「名前を呼んでくれたら離してあげる」
美しいまでの笑みをマティアス様は浮かべているが、その笑みが恐ろしくも感じる。
「マティ……離して、ください……」
「『お願い』は?」
微笑んでいるのに、瞳の奥が氷のように冷たい。
「マティ……お願い……離して……」
僕がそう言うと、
「いいよ」
完璧に作り上げられた笑顔を僕に向けると、やっと手を離してくれた。
「ユベールは従順で本当に可愛いね。兄さんの側室なんてやめて、俺の正室にならない?」
「え?」
マティアス様の言っている意味がわからない。
「なりなよ、俺の正室に」
言い方は普通だが『はい』と言わざる得ないような高圧的な声。
怖い。逃げ出したい。でも……。
あたりを見回しても、使用人たちが薔薇のみちの両サイドに並んでいて、そこから逃げられそうにない。
どうしよう……。
体が震え出した時、
「マティアス!そこで何をしている!」
アレク様が大股で僕たちのところにやって来た。
「何って、お茶会ですよ、兄さん」
マティアス様は優雅にお茶を飲む。
アレク様は僕のそばまでやって来ると、僕の腕を掴みグイッと引き上げてから体を引き寄せた。
「そんなことは聞いていない。そこでユベールに何をしているんだと聞いているんだ」
「ああ、おしゃべりしてました。な、ユベール 」
マティアス様はもう一口お茶を飲むと、僕に向けて微笑む。
「お前、今『ユベール』と馴れ馴れしく呼んだな?」
みるみるアレク様の顔に怒りが込み上げてくる。
「ええ呼びました。だってユベールだって俺と二人きりの時は俺のこと『マティ』と呼んでくれると言ってくれましたし」
「そうなのか!?」
怒りに満ちた顔でアレク様が僕を見る。
「……」
何か答えなきゃ。
「ハイ……」
答えると、アレク様はギリっと歯を噛み締めた。
「行くぞユベール」
アレク様に痛いほど手首を掴まれ、僕を引っ張られながらマティアス様の元から離れる。
握られた手首がじんじんし、引っ張られることで痛みが増す。アレク様が早足の大股で歩くので、僕は走らざるおえなかった。
「アレク様、痛いです……」
そう訴えたが、アレク様は無言のまま進む。
「アレク様、痛い」
腕を振り払おうにも、全く敵わない。
どこに連れて行かれるんだろう?
園庭を抜け後宮に入り僕の部屋に着くと、勢いよくベッドに押し倒される。
「マティアスのことを、マティと呼んだのか?」
ギリリと睨まれる。
「はい……」
「ユベールと呼ばせたのか?」
「はい……」
「また二人で会うつもりなのか?」
「それは……」
『ないです』と答えるよりも先に、貪るような深い口付けをされた。
「ん……ンン……っ」
初夜の時のように優しい口付けではなく、何か怒りをぶつけるような口付け。
息をしようと唇を離そうとすると、力ずくで阻止される。
このままでは、意識が……。
ーアレク様、やめてー
心の中で言うが、アレク様には全く届いていない。
意識が遠くなっていき体の力が抜け、腕がだらんとベッドに落ちた時、アレク様はやっと唇を離してくれた。
胸いっぱいに息を吸い込むと、遠くなりかけていた意識が蘇る。
「ユベール、どうしてなんだ……。どうしてマティアスなんだ……」
僕に覆い被さるアレク様の顔が、苦しそうに歪む。
「ユベールの特別は俺だけじゃなかったのか?」
ポタリ。アレク様の紅い瞳から一雫の涙が僕の頬に落ちてくる。
アレク様、泣いているの?
右手の掌でそっとアレク様の頬を包み込むと、アレク様の不安そうな視線とぶつかった。
「ユベールの特別は俺ではなく、マティアスなのか?」
「まさか!」
思うより先に言葉が出ていた。
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