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第23話

人の話し声が聞こえる。大勢の足音が近付いたと思えば遠ざかり、次いで冷たい風が頬を撫でた。 身体は温もりを感じている。誰かの胸が肩にあたって、呼吸と共に揺れ動いていた。 ゆりかごのような心地良さ。久しぶりに安心できる場所。自分はこの感覚を知っている。 「あ……ノーデンス様!」 「……オッド」 その正体を知るのを拒むように目が覚めた。見上げた先には円形の電灯と、オッドの不安げな顔がある。 柔らかいベッドの上に寝かされていた。きっと世界で一番安心できる、自分の部屋だ。 深いため息をついて瞼を伏せると、オッドは身を乗り出して布団を被せてきた。 「ノーデンス様、大丈夫ですか? ご気分は……痛むところはありませんか?」 「ない。大丈夫だよ」 「良かったあぁ……!」 オッドは後ろに軽く仰け反り、安堵の声をもらした。彼は相変わらず感情豊か……いや、表現が豊かだ。 また心配をかけてしまったことへの申し訳なさと、極小の喜びを覚えている自分に呆れた。 「ノーデンス様も無事目を覚ましたことだし。俺は陛下に報告して、そのまま帰宅します。申し訳ありませんが後は宜しくお願いします、ルネ様」 は。 ぼやけていた意識が完全に覚醒しても、飛び起きることはできなかった。 反応できない自分の代わりに、部屋の隅にいた主がオッドの声に答える。 「任せて。オッド君も本当にお疲れ様」 「ありがとうございます。失礼します」 ドアが閉まる音が、まるで死刑執行の合図に聞こえた。背後から近付く靴音が真隣で止まったとき、心の底からため息をつきたくなった。 とことん厄日だ、大厄、というか呪われてる。せめて最後ぐらいはひとりになって心を落ち着けたかったのに。 虚しい願望は影が濃くなる毎に削り取られる。それでも大人しく横になっていると、唇に柔らかい指が触れた。なぞるような動きが酷く鬱陶しいので、一切手加減せずに払い除ける。固まっていた関節がわずかに痛んだが、諦めて上体を起こした。 「何でここにいる!」 「良かった、元気いっぱいだね。……私が今日来ることは来賓リストで知ってただろ?」 「ああ。じゃなくて、何で俺の部屋にいるのか訊いてるんだ」 忌々しげに睨むと、青年は眉を下げて微笑んだ。相変わらず、長身の体躯を最大限魅力に見せるスーツを着ている。華美だが鼻につくほどではない。短い着丈がさらに身長を高く見せ、なんとも言えないプレッシャーを放っている。 彼はとても自然にベッドの端に腰を下ろし、両手を軽く上げた。 「もちろん、私も今日顔を合わす気はなかった。でも君が広場で倒れそうだったから、そりゃ仕方ないよね」 よね、じゃない。余計なお世話だ。 「はは……心配だった、って? 笑わせるなよ。俺はお前の顔も見たくない。今すぐ出ていけ!」 自分達は赤の他人だ。そう思ってわざと強く怒鳴りつけたが、急に左手を掴まれたじろいだ。その指には、彼のものと同じ指輪がはめられている。軽く互いの指輪があたり、カチンという可愛らしい音が鳴った。 「でも、これはつけてくれてるんだ? ……私達が夫婦だという、世界で二つだけの証」 「やめろ!」 冗談抜きで鳥肌が立った。力ずくで振り払い、左手を引っ込める。そして急いで言い訳を考えた。 「オッドが……余計なトラブルを避ける為に常にしてろって煩くて、それで……」 「そっか。オッド君はすっかり君の保護者というわけだ」 小馬鹿にした物言いに腹が立つ。わざとなのかもしれないが、挑発を受け流せるほどの余裕は今はない。指輪を外し、サイドテーブルに置いた。 「出てけ」 「うーん。今は嫌」 まるで子どもの駄々だ。 本来……彼はこういう振る舞いをする人間ではない。ということはやはり、今日は自分をおちょくる為に来ている。 「不法侵入で牢にぶち込んでやってもいいんだぞ。それでお前らの王国が戦争を仕掛けてきても俺は構わない」 「相変わらず危険な思考だね」 彼は困ったように笑うと、ふと目を細めた。 「体調も、そう。全然良くならない……むしろ一年前より酷くなってる。離れたのは失敗だったか」 ……? 何のことか理解できず、口を噤む。次に開こうとした時には、再び押し倒されていた。 「とりあえず私の気を分けたから、さっきよりは顔色が良いね」 「は……? それも、頼んでない!」 「そんな怒らないで。君を治せる人はこの国にはいないんだから」 両手を押さえ付けられる。力を入れてもビクともせず、彼の顔が迫ってくるのをただ見ていた。 いや……本気を出せば振り解けるんだろうが、思考が停止してしまったんだ。 「んんっ!」 唇を塞がれ、熱い舌が潜り込む。その瞬間全身に震えが走った。痺れを覚え、さらに力が抜けていく。 代わりに流れ込んでくるのは心地いい生命の気。 彼……ヨキート王国の第二王子、ルネには特別な力がある。接触することで自身の神力を他人に与え、治癒に活かす。力を与えることならノーデンスもできるが、怪我や病を治すということはできない。これは正真正銘、ルネにしかできない治療術だ。 「ノース。今日だけ、……二人の例外にしようか」

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