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第26話

ようやく解放されると思ったのに、また地獄が始まった。 「……っ!」 彼の指がある一点に触れた瞬間、声にならない声を上げてイッてしまった。 朝まであと何回イかされるんだろう。バスタブに寄りかかっていると抱き起こされ、首の後ろや耳朶を甘噛みされた。 「さ、湯冷めしないように早く上がろう」 「…………」 散々好き勝手しておいて悪びれない彼に殺意が湧く。しかし反論する元気もない為、大人しくバスタオルに包まれる。 彼はいつもこうだ。悪気がない。それが一番タチが悪い、ということを知らない。 悪どくてあどけない、少年のような一面がある。 部屋着に着替え冷凍庫のような部屋に戻る。暖房を最高に設定して、不機嫌なままソファに座った。 「気分はどう?」 「良いと思うか?」 「ふふ……はい、どうぞ」 サイドテーブルに蜂蜜入りの紅茶が置かれた。勝手に入れたのだが、黙って口にする。 ルネはシャツの袖を捲り上げると、目の前の一人がけの椅子に座った。 「去年のこと、覚えてるだろ。私の叔父が危うく彼らの爆弾に巻き込まれるところだった。あれからヨキートは城に入る者を厳しく制限してる。私の妻の君すらも、ひとりで入ることは許されないかもしれない。先に伝えておけば別だけど」 「……」 カップを置いて脚を組む。困ったことにまだ頭が半分ぼーっとしている。ノーデンスは瞼を伏せた。 「騒ぎが落ち着いたら、ランスタッドもそうするべきだ。入国審査の見直しもね……それは私が陛下にお伝えしよう。君が危険な目に合わない為に必要なことだから」 「余計なお世話だ。自分の身ぐらい自分で守れる」 立ち上がりざま吐き捨てて、無表情のルネを見下ろした。 「前に言ったこと忘れたのか。お前が出ていくきっかけだったはずだけど?」 記憶の渦が逆流する。理性は深い底に飲み込まれ、闇の中に消えていった。 「俺は王族なんて一人残らず消えればいいし、一刻も早く追い出したいと思ってる。そこに関してはテロ集団と同じなんだ」 武力が権力に屈する時代は俺が終わらせる。少なくとも、この国は。 「相変わらずだね。相変わらずの危険思考だ」 ルネは小さなため息をもらすと、落ち着いた様子で紅茶を飲んだ。 「私ひとりなら君の傍にいたかもしれない。でもあの子を……君の傍にオリビエをおいておくのは危険だと判断したんだ。君はいずれ、あの子のことも巻き込むつもりだっただろ?」 「何年後の話をしてんだよ。ま、そうだな。絶対ないとは言いきれないな」 バスタオルをソファに掛け、テラスへ向かう。ガラス張りの扉を開けると、深夜の冷たい風が吹き込んできた。 「オリビエは?」 「心配ないよ、母に預けてる。さすがにこの大事な日に欠席はできないから、私と護衛だけ来たんだ」 「……ふぅん」 真っ黒な空に三つ、とても輝いてる星がある。一つだけ小さいところを見ると、まるで親子のようだ。 「君は一年前と何も変わってないし、むしろ酷くなった。私が離れることでなにか変わるかもしれないと期待したけど、どうやら失敗みたいだ」 「だから失敗失敗、って何だよ! 何も言わず勝手に出て行きやがって!」 約一年前、夫……ルネは子どもを連れていなくなった。初めはなにかあったのだと思い、兵に協力してもらい捜していた。だが一枚の手紙を見つけたことで事態は急転した。 実家に帰ることを記した手紙。それを確認した数日後、彼の母国の者からルネ達が帰ってきた、と連絡があった。 夜逃げだ。彼はヨキート王国の第二王子で、立場や体裁がある。 ノーデンスと結婚してランスタッドに住むと決まった時は、この国の人間となることを受け入れていた。にも関わらず。双方の国に泥を塗るにも関わらず、母国に閉じこもって姿を現さなくなった。おかげでたった一人の息子と一年以上会っていない。 普通なら息子だけでも取り返そうとするだろう。そして正式に離婚を申し込む。だがプライドが邪魔して、自分から殴り込みに行くことができなかった。そもそもどうして彼が出ていったのか、確信的な理由が思いつかなかったし、旦那に逃げられたことをこれ以上多くの者に知られたくなかった。このつまらない意地のせいで一年間惨めに過ごした。身内以外にはある嘘をついていたが、効果は期待できない。 国中の人間に気を遣われ、国王に説教され、別居夫婦の代表のような扱いを受ける一年を過ごした。 彼が自分と会いたくないならそれでいい。自分も彼の前には二度と姿を現さない。……そう決意して怒りを抑え込んでいたのに、彼の方からしれっと現れた。既に怒りは頂点に達している。 「ずっと考えていたよ。俺の何がいけなかったのか? なにかまずいことを言ってしまったのか? ……それで思い出したんだ。そういえばお前が失踪する前日に王族を滅ぼす為の準備をしてるって言ったこと。まさかそれか?」 「それだね」 ルネは隣に並び、淡白に答えた。 「俺の一族の歴史を知ってるだろ。あいつらは移民なんだ! 勝手にやってきて勝手に土地を荒らした。王と名乗るような血筋じゃないし、どっかの放浪民だったんじゃないか?」 「憶測で滅多なことを言っちゃいけないよ」 「とにかく俺は認めない! 今はぺこぺこしてるけど、いつかこの城も壊してやる!」 自分でも異常なほど熱くなった。抗議しないといけない……そんな使命感が頭の中を埋めつくして、結果いつも前が見えなくなる。 「そもそもこんな世界、生きる価値なんてないんだよ。人類なんてとっとと滅べばいい」 「……オリビエの前でも同じことを言うのか、ノース」 ハッとして振り返ると、彼は今までとまるで違う険しい表情を浮かべていた。 「私には何を言ってもいい。むしろ人に言えない本音をぶつけてほしい。けどあの子は……私と君が、自分の為につくった子だろう。勝手に産んで、世界に絶望しろと教えるのかい? それならやっぱり、君の元には当分返せない」 「…………」 言い過ぎたとは思うものの謝罪の言葉が出てこない。もう自分の力ではどうしようもできないぐらい、汚いプライドがこびり付いてしまっている。 「それに王族がいなくなればいいと言うなら、君は私のことも消えた方がいい、と思ってたことになるね」

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