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第29話

「とりあえず、この話はまた今度! ……疲れない場所でね」 思考の糸を断ち切られる。ルネは軽快な足取りで急坂を上り、隣に並んだ。 「ん~、ここも相変わらず良い景色だね。気持ちいい」 「……」 彼の能天気に疲れが倍増した為、同じく大空を仰いでひと息ついた。空の青と草原の緑、世界が二つに別れている。 この光景をまた彼と見られる日が来るとは。昨日までは夢にも思わなかった。 風はあるものの、日射しの下はうだるほど暑い。汗が額に伝う度に袖で拭い、目的地に向かって歩いた。丘を上がって五分程、また緩やかに下っていくと、ぽつんと建てられた家が見えた。外壁は薄茶色、テラスがある二階建て。四方はどれだけ見回しても草原しかないので、初めて見た者は警戒しそうだ。 「ここかな。可愛いらしい感じの家だね。本当新婚さんに良さそう」 「見た目はどうでもいいけど、立地が最悪だ」 白く塗られたフェンスに手をかけ、ひとまず呼吸を整える。ルネは一応ドアのベルを鳴らし、鍵を回した。彼は何故か汗をかいた様子もない。 「私より若いのにね。……でも病み上がりだから仕方ないか。お疲れ様」 ルネは笑ってドアを開けると、ノーデンスに向かって手を差し伸べた。 「……っ」 反射的にその手をとってしまったが、思い直して振り払った。 「とっとと入るぞ!」 「はいはい。強盗みたいな勢いだね」 電気と水さえ通っていればどんなオンボロでもかまわない。荷物を大きな丸テーブルに置き、中の造りを見て回った。ルネもカーテンやソファの質感を確かめ、満足そうにやってきた。 「家具は一式揃ってるし、立派な暖炉もある。お風呂も大きいから二人で入れるね」 「入るか!」 惚気に一喝し、一応二階のテラスを覗いてみた。 「へぇ……ここは景色良いな」 「あ、本当。街が少し見えるね!」 街が見えるギリギリのところにわざと建てたような印象もあるが、眺めは素直に良かった。夜はまた違う色の顔が見れそうだ。 城から本当に離れてしまった。もちろん毎日、すぐに行ける距離だけど。 ……物理的な感覚ではなく、心が離れてしまった気がする。 別に王族の期待に応える為に動いていたわけではない。それでも何故か虚しさが募る。 お払い箱にされたよう。実のところ役立たずだたったんじゃないか、という不安が膨張する。 「ノース、どうしたの」 「……もう城に戻れなくなったら」 どうしよう、と言おうとしてやめた。そんなことを訊いたらこいつは、「ここにずっと一緒に住もう」とか言い出しそうだ。真顔で。 「俺はこの国を護る為に生きてるんだ」 弱音を無理やり軌道修正し、柵に背中を預けた。 「武器を造る為に生きてる。そして最後は王族を……それができたらいつ死んでもいい」 ルネの返答を待たず、室内へ戻って階段を降りた。 彼といるとどうしたって暗い話になる。明るい話をしろ、と言う方が土台無理なのだ。離婚してないのは世間の目があるからという、何とも情けない理由からだし。 そして何より子どもがいる。今まで必死に忘れようとしていたが、自分達のせいで振り回される子どものことを考えたら中々踏み切れない。 でもそれだって、第三者から見れば都合のいい言い訳だ。子どもを盾にして問題から逃げていたに過ぎない。だからいっそ別れた方があの子の為になるのかもしれない。何が一番良い選択か模索して、ずるずる時間を掛けてしまった。 俺は最低な親だ。 買ってきたものを棚や冷蔵庫に入れていると、後ろからルネがやってきた。 「手伝うよ」 「ほとんどお前のだろ。しかも酒ばっか買い込みやがって」 「お酒は水の次に大事だなぁ」 王族は食事の際も必ずワインを飲んでいる。ルネとずっとそんな環境下で過ごしていたから、同居した時も必ず毎日飲んでいた。 ノーデンスも酒は好きだが、ルネのように強くはない。せいぜい二杯三杯飲んだら充分だ。 育った環境や掲げる思想は違えど、それでも何とかやってこれた。 彼も王族のプライドや権威をひけらかすようなタイプじゃないので、結婚生活自体は他所の家と大して変わらなかったと思う。本来ならノーデンスがルネの母国へ行かないといけないところを、彼の方からランスタッドに住むと言ってくれた。一族や周囲の人間から反対や嫌味も言われただろうに、そんな素振りは一切見せなかった。 ルネはそういう奴なんだ。 彼は触れた者の怪我や病(と言っても軽症状のもの)を治癒する力を持っていた為、時折診療もしていた。動けない人の為に自ら家を回ったこともある。誠実且つ献身的な人柄を知り、ランスタッドの人達は彼を笑顔で受け入れた。 俺はルネの、時に犠牲的なまでの優しさに胸を打たれた。その想いは今も変わってないはずなのに。

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