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第34話

どういう理屈なのか分からないが、無意識に顔を上げていた。 『ノーデンス様────前と変わりましたね』。 頭が痛い。目眩がするほど聞き飽きた言葉を思い出した。 「でも朝から悪ふざけが過ぎたね。ごめんね、朝ご飯にしよう」 ルネは申し訳なさそうに頭を下げ、ゆっくり立ち上がった。手を引かれ、簡単に抱き起こされる。 「腹減ってない。から、後でいい」 「腰以外も具合悪い?」 ルネは心配そうにこちらを覗き込み、額に手を当ててきた。こういう時は鬱陶しいほど世話焼きな為、他の言い訳を選べば良かったと後悔した。 「熱はなさそうだね。今日はゆっくり休んで」 と言うやいなや、ルネはノーデンスの腰に手を回し、お姫様抱っこで歩き出した。 「わわわ! ちょっと、何するんだよ!」 「歩くのしんどいだろうから、寝室までは連れてくよ」 階段で暴れるのは危険な為、諦めてじっとする。寝室に入るとベッドに寝かされ、ジャケットを奪われた。 「ちなみに何処か出掛けるつもりだった? ……王城とか」 「いいや」 そっぽを向いて吐き捨てると、彼は困ったようにジャケットをハンガーに掛けた。 「無理しないで寝てて。私は今日はもう家から出ないから」 額を軽く指で押され、思わず口篭る。彼が突然いなくなることを不安がってる、と思われたんだろうか。屈辱だ。 「じゃあお休み」 バタン、とドアが閉まる。広い寝室に取り残され、しばらく思考が停止した。 何だこの状況……。おかしいぞ、何でこうなった。 俺は普通に朝起きて、工場に顔を出して、城にも寄ろうと思った……のに。 病人扱いされた現状を理解するのに時間がかかった。結論として、全てルネの勘違いであることが分かった。 一日ボーッと寝てるなんて冗談じゃない。俺はあんなことやこんなこと、やることが山ほどあるんだ! 勢いのまま立ち上がり、再びジャケットを羽織った。しかしドアを開けて階段を降りることは躊躇われる。ルネに見つかれば絶対止められるだろう。 「っと……」 腰は痛いが、窓から出て一階へ下りるか。それぐらいは平気のはずだ。 窓から身を乗り出し、ぎりぎりで配管を掴む。一階の出窓の屋根に着地できれば完璧だ。 窓から飛び降り、無事に一階の屋根に片足を下ろした。そこまでは良かったのだが、 「きゃあああ!」 「えっ!?」 突然聞こえた悲鳴に驚き、足を踏み外した。慌てて受け身をとったものの、芝生の上に転がり落ちる。 「いっって……」 「だっ大丈夫ですか!?」 駆け寄ってきたのは若い女性だった。初めて見る顔だが、格好からして街に住んでる娘だろう。二階の窓から降りようとしてるノーデンスに驚いたようだ。 加えて、自分の悲鳴で転落してしまったことに顔面蒼白になっている。 「だ、大丈夫だから声は……」 出されるとまずい。すぐにその場から立ち去ろうとしたが、悲鳴を聞きつけた住人が正面玄関から飛び出してきた。もちろん、さっきぶりのルネだ。 「どうされました……って、ノース。……何をしてるの?」 「う……」 青ざめる女性と、彼女の足元で横たわる自分。不可解な状況にさすがのルネも困惑していたが、二階の開放された窓を見上げて理解したようだった。 「まさか飛び降りたの? ……本当に君は……」 君は……何だ。そこまで言ったら言え。嫌に気になるだろ。 気まずさマックスで俯いていると、ルネは女性を宥めながら中へ誘導した。次いでノーデンスの元へ戻ると、先程と同じように抱き抱えた。 「このことは後でじっくり話し合おうか。痛いところは?」 「強いて言うなら全身。腰」 「脚は?」 「脚は大丈夫」 室内に運ばれ、リビングのソファに寝かされた。中央のテーブル席には女性が困ったようにこちらを窺っている。 「あ、あの……武器屋のノーデンス様ですよね。大丈夫ですか?」 「大丈夫です。お気になさらず」 恐らく彼女は罪悪感に襲われている。ノーデンスは微笑み、彼女の視界に入らないようソファに横たわった。これはこれで落ち着かないだろうが、ちらちら見えるよりはマシだろう。 「妻が驚かせてしまいすみません。何にお困りですか?」 「あっ……実は二ヶ月前から頭痛に悩まされていて」 「うん……ちょっと失礼しますね」 なん……? 気になって上体を起こし、覗き見るとルネが女性の額に手を当てていた。 「特に気になる影は見えない。精神的なものの可能性もありますね。最近、悩み事はありますか?」 「えっと……あ、ウチは農家なんですが、昨年と比べて雨が減ったことに困ってます。家族皆神様に祈るような状態で……」 「そうですか。……大変ですが、それで貴女まで倒れたら御家族さんはもっと悲しむ。私の気を分けたので、しばらくしても頭痛が治まらなければまた来てください」 「ありがとうございます!」 なん……っ!? 女性は笑顔で頭を下げた後、ルネになにかを渡した。ノーデンスにも軽く会釈をして去っていったが、一体どういうことだろうか。 「おいっ何の真似だ!」 ソファの背に両腕を乗せ、前のめりでルネを問い詰める。さっきのやり取りも含め、見過ごせないことが多々ある。 「そういや何で彼女はこの家を知って……ハッ! お前朝どっかに出掛けてたな。まさか……」 「うん。怪我や病に悩んでる人を診療したいと思って、今朝街中に言って回ったんだ。私は今住まわせてもらってる身だし、仕事しないといけないと思ったから」 「そんなことする必要はない!」 そんなことを頻繁に続けてはいけない。……理由が、彼にはある。 睨みながら言い放つと、ルネは目を細めて近寄り、ノーデンスの腰を掴んだ。 「痛い!」 「その痛いは昨日の? それともさっきの怪我?」 「さ、さっきの……」 正直に告白すると、彼は呆れたようにため息をついた。 「今日からたくさんの人を治療しようと思ったのに、君が患者になるとは思わなかったよ」

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