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第35話
ルネの掌が腰に当たる。手は冷たいのに、触れられた瞬間患部が熱くなった。彼はこうして、目に見えない力を相手に送る。
彼が治したいと思った相手なら、軽傷であれば切り傷や打撲を治療できる。精密機器を使わなければ分からない病すら言い当てることができる。医師ではないものの、幼少期から医療の知識を身につけてきたから為せる業だ。
そして特に重要なのは───外傷ではない、医療の力ではどうにもできない病を見抜けること。
世界には呪術を生業にしている者達が古くから存在する。彼らは頼まれればどんな非道な術も使う為、密かに恐れられている。大抵の者は呪いをかけられたことも知らずに悲惨な最期を遂げることが多かった。
しかしルネは人を診るとき、それが内側からくる病なのか、呪術によるものなのかを判断できた。
ランスタッドは呪術に長けた者が少ない。呪術を用いて王族の命を狙う反対勢力もいる為、ルネは国の要人にとって喉から手が出るほど貴重な存在だった。
かつて、自分もルネに助けを求めた。結果として彼がパートナーになったが、この国の軍事的な問題に彼を巻き込むつもりはない。
何より、力を使いすぎるようなことは絶対させない。ルネの力は有限ではないのだから。
「……どう、ちょっと痛み和らいだ?」
ルネの手が離れる。と同時にほのかな熱も弱まり、先程の鈍痛がなくなっていた。
「……痛くない」
「良かった! なら薬を塗る必要はないね。あ、それとも塗ってほしかった?」
「んなわけねーだろ!」
茶化してくる彼に一喝し、ソファから立ち上がった。確かに、動いても先程より身体が楽だ。元々丈夫な方だと自負してるけど、夜の行為による痛みが軽減することはない。男同士って……いや、突っ込まれる方ってただただ損してる気がする。
ぶつぶつ愚痴を零してると、彼は腕を組んで厳しい顔つきになった。
「……ね。嫌ならさっきみたいな無理をしない。窓から落ちて怪我もして、ひとつも良いことなかっただろう?」
「ふん。さっきの娘が大声出さなきゃ上手くいったのに」
「反省の色はないみたいだね。よし、腰も良くなったみたいだし、昼まで家の外の雑草取りしてもらえる?」
「はああぁ!?」
また激しい口論が勃発するところだったが、玄関からすいませーんと声がし、慌てて口を塞ぐ。またルネの来客のようだ。
「はーい、今行きます。……ということだからお願いね、ノース」
にっこり微笑み、彼は肩を叩いて玄関の方へ去って行った。
「ぐ……」
それこそ草むしりに行ったふりをして街へ行ってもいいが、……見つかった時が地獄だ。晴れやかな空にため息をつき、服を着替えて外へ出た。
ルネが戻ってきたこと、簡易的な診療を始めたことは城下町で瞬く間に伝播したらしく、入れ替わりに人がやってきた。炎天下の中雑草取りに集中しているノーデンスにほぼ全員驚いていたが、すぐに「良い天気ですね」、と作り笑いをしてそそくさと去って行った。
「旦那さんと仲直りできたんですね」とは口が裂けても言えないんだろう。いつの間に帰ったのか、いつの間にここで暮らすことになったのか訊きたそうな顔だったけど……ルネは訊かれても適当に濁したのかもしれない。彼だって、自分が勝手に出ていったんだという負い目がある。はずだ。
「あっつ……」
最後の雑草を抜き取り、山になった草を籠の中へ入れた。土だらけの手を近くの水道で洗い、家の周囲を回って見る。
中々すっきりしたじゃないか。草に囲まれているのもあれはあれで風情があったけど、とっぱらってみると小綺麗さが増した気がする。あとやはり新築感。
ついでに家の前の柵が少しがたついていたので、トンカチで打ち直した。借家とはいえこれぐらいの補強は許されるだろう。
しかし達成感と満足感で満たされたのは一瞬で、すぐルネに対する怒りに変わった。
何で俺がこんなことを……。最近謎の頭痛に悩まされてるし、俺だって立派な病人だぞ。
あと独り言が増えてしまった。首を横に振り、雑草を入れた籠を庭へ移動していると、診療を終えた中年の男性が家から出てきた。彼の顔は見覚えがある。武器の輸送をする時たまに見かける、恐らく通関業者だ。
「あっ。ノーデンス様、この度はどうも……お疲れ様でございます」
いつもの挨拶なのか、土だらけの自分を見てそう言ったのか、いまいち分からない。
「こんにちは。ウチのあれは医者ではないので保証はできませんけど、大丈夫でしたか?」
「だいぶ前から腰が痛くて痛くて、ルネ様に診ていただいたら途端に楽になりました! 普通に病院へ行ったらもっとお金がかかるし、本当に有り難いです。皆喜んでますよ」
男性は嬉しそうに自分の腰を叩き、深くお辞儀して去っていった。
医師の資格がないのに安い金で治療する。例え本当に治癒能力があったとしても、ルネだから許されることだ。一般人がやればすぐさま街中の病院が猛抗議し、役所に申告するだろう。
病は気からというように、重い病気でなければ気功で治せる者達がいるが、彼らも役所に申告せず、勝手に診療所として開業すれば罰せられる。結局王族の汚い力が働いてる。
なんてことを言ったらルネは、「確かに権力を使うことはずるいけど、誰かが救われてるなら良いじゃない」とか言いそうだ。結果論を優先して、影で被害を受けてる者達のことを後回しにしてる。
それはいいのか? もちろん自分も回りくどいことが苦手で、最終的に結果を重視するけど……王族、というその肩書きが癇に障る。
ルネはあくまで他国の王子だから、陛下達も迂闊に手を出せない。ルネの身になにかあれば国同士の関係が悪くなる。それで巻き添えを食らうのは力のない市民達だ。
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