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第40話

今にも壊れそうな音を立てて機械が弧を描いている。中央に置かれた巨大な穴の中で、運び出された鉄が溶けていく。 幼い頃からずっとこの景色を見ていた。華々しい世界なんて死ぬまで無縁だと思っていたけど、ルネと出逢ってから全てが変わった。 身分も環境もまるで違う者達と関わることが増えた。望んだことではなかったが、結果としてあの経験が自分を助けている。 王族との距離が縮まり、外交に手を出すようになったのはルネのおかげかもしれない。父や先の長は閉鎖的な環境を好み、本当に信頼できる者としか関わりを持たなかった。交渉が難航して一部の人間にしか武器を売れない……それでは自分達の価値は半減してしまう。 「また色々考えてるね」 頬を人差し指で押され、慌てて立ち上がった。 「わるい。帰るか」 「もういいの? 急がなくてもいいよ?」 「様子を見ることができれば充分だ。力を注がないといけない鋼材も今はないみたいだし」 次いで周りを見る。いつもなら材質ごとに分けられた鋼材の山ができているのだが、この間の騒ぎのせいか全く集まっていなかった。 また熟考しそうになり、ルネの視線を感じて額を押さえた。 「よし、今度こそ帰ろう」 「はい」 市場でもらったトマトを少し差し入れして、工場を出た。天高く聳える無数の煙突から白煙が吹いている。 「皆元気そうで良かった。……それに本当に良い人達だよ。君を残してヨキートに帰った私を咎めたい気持ちがあるはずなのに」 「別にそんなもんはないよ。俺さえいつも通りなら、皆の生活に何も変わりはないんだし」 「いいや。皆ノースのことを大切に想ってる。そんな単純な話じゃない」 ルネは落ち着いた足取りで前を向いた。 「もし私が君の部下なら、子どもを連れ去って国に帰るような夫とは離婚しろって言いそう」 「そう思うのに何でするんだっつーの!」 「まぁそれは追追……あ、ちょっと曇ってきたね」 ルネは空を見上げて歩みを速めた。さっきまで青かったのに、急に鼠色の雲が広い範囲を覆っている。 「雨が降るかもな。急ごうぜ」 「うん。はい、ノース」 目の前に手を差し出され、反射的に手を取る。そのまま引っ張られ、家に安着した。 何も考えてなかったけど、誰かに見られなくて良かった……。買ってきたものを棚に入れながら深く息をつく。一段落した頃に予想通り雨が降った。窓ガラスに流れる雨粒を眺めながら、指で文字をえがく。 「おつかれさま。あっ、やっぱりちょっと汚れてるね」 ホットの紅茶を二人分用意し、ルネがやってくる。彼はトレイを置くと困ったように裾を掴んできた。 「煤は落ちるかなぁ……」 「いいって。替えはいくらでもあるし」 「だからそういう考えはやめなさい。……ところでこの生地、ヨキートから仕入れてるものだよね。せっかくだし今度こっちに送ってもらおうか」 ヨキートは織物業が盛んの為、生地の輸出も世界一だ。ルネも服飾はこだわりが強く、小物なら自分でぱっと作ってしまう。 子どもが産まれてからは採寸して服も作って、母親並みの働きをしていた。そう考えるとやはり彼が妻役になるかもしれない。 「汚れよりこっちのボタンが外れそうだから直してくれよ」 「小手先の作業は得意でしょ?」 「苦手だ。俺は豪快な武器しか作らないからな」 堂々と宣言し、ジャケットをソファの背にかけて座った。 「雨が多いな。畑や山には良いけど、街中を歩くのは憂鬱だよ。洗濯物も乾かないし」 「まあね。でも私は意外と好きだな。君に初めて会ったときのことを思い出すから」 雨音が家の中まで入ってくる。寒気がして腕をさすると、ブランケットを持ってルネが隣に座った。抱き寄せ、布を肩までしっかり被せてくれる。 「雨にぬれた子犬みたいで可愛かったなぁー」 「やめろ」 「ごめんごめん。でも嘘じゃないよ」 頬に優しくキスされる。それで終わると思ったのに、今度は唇、首やうなじに口付けてきた。 「やめろって……俺今汚れてるし。先にシャワー浴びた方が」 「シャワー浴びたらしていいの?」 「だっから何でそうなんだよ。この欲求不満」 子どものようにじゃれ合い、互いの体温を確かめる。しかし何故か自分ばかり脱がされ、あっという間に下着だけになってしまった。 何でこうなるんだ。 絶望に苛まれていると、また抱っこ状態で寝室まで運ばれた。 気付いたら脱がされてる、気付いたら押し倒されてる、というの不思議なマジック。いつになったら抗えるんだろう。 「夜飯どうすんの……っ」 最後の抵抗で彼の肩を押すと、その手を掴まれた。 「後で私が作るよ。今は君を食べたい」 「寒い」 「大丈夫、温めてあげる」 そういう意味じゃない。げっそりしながら瞼を伏せた。

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