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第42話
四時間後、夜が深まり出した時刻。覚醒したノーデンスは顔を洗い、調理中の夫の隣に並んだ。
キッチンのコンロには大きな鍋が置いてあり、ルネが美味しそうな香りのシチューを煮込んでいる。ノーデンスより早く起きて夕食の支度をしてくれていたようだ。
時間としては夕食というより夜食で、腹は空腹による悲鳴を上げていた。
「よく眠れたっ?」
こちらの倦怠感などつゆ知らず、ルネは邪気のない顔で笑った。思わず「ふっ」と笑ってしまったが、それは癒されたからではなく怒りと呆れが綯い交ぜになったからだった。
「激痛だよ。座るのも一苦労だし、座ったら座ったで今度は立つのがしんどい」
「いいよ、座って待ってて。私が全部用意するから」
彼はご機嫌でシチュー用の皿やバケットを食卓に並べた。
本当に皮肉が通用しない男だ……。
もちろん知っているが、小さなため息をついて席に座った。
ほかほかと湯気を立てるシチューが目の前に置かれる。木のスプーンを二本用意し、ひとつをルネに手渡した。
「……いただきます」
シチューは火傷しないぎりぎりの熱さだった。
美味い、というたった一言を絞り出すのに酷い労力がいる。これはどういうことだろう。
さらに深夜────。ルネが寝室に入ったことを確認し、ノーデンスはジャケットを羽織った。家の中の明かりを全て消し、一階から窓の外を眺める。
今日は月が出ている。外を歩くには絶好の夜だ。
踵を踏み鳴らし、玄関へ向かおうとした、その直後。
「どこに行くの?」
「うわああっ!」
音もなく背後に現れたルネに気付き、何とも情けない声を上げてしまった。
「おまっ……足音もなく近づくなよ!」
「足音を立てたら君の場合、条件反射で殴ってきそうだし。それよりこんな時間にどこへ?」
「……散歩だよ」
何だかバツが悪かったので、ふいっと顔を逸らした。しかしルネがそれで引いてくれるはずもなく、さっきより距離を詰められる。
「こんな時間に危ないよ」
「俺にとってはお前といる方が何万倍も危ない」
「眠れないなら温かいものでも入れるから」
「そういうんじゃない。ほっといてくれ」
埒が明かない為踵を返したが、腕を掴まれよろけてしまう。さすがにしつこく感じ、強引に振り払った。
「俺がどこで何しようかお前には関係ないだろ!」
「じゃあ、せめてどこへ行くのか教えてほしい。私が一緒についていくのは絶対嫌なんだろう?」
「ああ。……工場の北側だよ。ちょっと見回りしたらすぐに帰る。昼間にちゃんと夫婦ごっこしてんだから、もういいだろ」
ドアを乱暴に開けて、逃げるように家を出た。一応振り返ってみたけど、さすがに追ってはこなかった。
ほっとしたのと同時にすり抜ける、虚しい風。
最後のは言い過ぎたかも……。
無理に振りほどいたせいで腕がわずかに痛んで、上から撫でた。きっと彼も痛かっただろう。
けど、ルネはもちろん誰にも知られたくない。知られてはいけない。
廃屋の中にある一族の秘宝。最低でも週に一度は訪れ、祈りを捧げる。これは自分の使命だ。怒りや憎しみを持て余す祖先を鎮める為に、自らの力を流し込む。
すると彼らの悲鳴も自分の中に入ってくる。痛い、憎い、怖い…………。武器をつくるだけの生き物にさせられ、惨めな最期を迎えた者達の苦しみが心臓を締め付ける。
「ん……っ……く……っ」
“それ”に触れることで力を吸い取られるし、逆に溜め込んでいるようにもなる。決まって頭の中では憎しみの声がこだまし、どうしようもない怒りと戦う羽目になるのだけど……これを他の誰かに任せるようなことはしたくない。
父が最後に教えてくれた一族の遺物。仲間にはもちろん、誰にも言えない。
誰かに見つからないよう黒い布を被せ、地下の扉を閉めた。三重になる鍵をかけ、扉があることが分からないよう埃っぽい板を乗せる。例え誰かが蹴り飛ばしても、この床に扉があるとはすぐには気付けないないだろう。
来た時はなかった頭痛を抱えながら、暗い通路を抜ける。
何千回も頭の中に流れ込んだ……王族を殺せ、という亡者の声が、すぐ耳元で聞こえた気がした。
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