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第45話

ルネが傷を癒す特別な力を持っていたことは、彼に会う前から知っていた。 だからこそ、俺から近付いた。 十年以上前に原因不明の奇病が流行り、一族が窮地に陥ったとき、迷うことなくヨキートへ向かった。奇跡の力と言われる力を持つ少年に会う為に。 吐き気や頭痛、意識混濁。それらの原因は調べてみると水質汚染によるもので、ちょうど一族が住んでいる東の土地が特に酷かった。一族だけに限らずルネは病に倒れた人々を看病し、事態を知ったヨキートは水と物資を運んで支援してくれた。その時に二国の交流はより一層深まり、ランスタッドはヨキートに対し友好と信頼を寄せた。 ルネは現王の第二王子という立場からか、国務の合間に従者を連れ、度々ランスタッドを訪れた。広大な土地と森林、港があるランスタッドと比べ、ヨキートは建造物が多く自然が少ない。文化の最先端をいく巨帯都市の為こちらからすれば圧倒されたが、ルネは生まれ育った街の姿があまり好きではない、と話した。まだ出会って間もない頃の話だ。 不思議な青年だった。三つ歳上で、何より王族である。下手に怒らせたら大変なことになるから、必要以上に関わるのはよそう……と思っていたのに、ルネはランスタッドへ訪れると必ず自分に会いに来た。時には護衛を撒いて工房へ来ることもあった為、何度も肝を冷やした。彼の身になにかあれば自分はもちろん、一族や国全体を巻き込む大事件になる。頼むから周りに了承を得てほしいと懇願したこともあった。 優しくて飾らなくて、人一倍好奇心がある。立場上人脈作りは板についているのかもしれないけど、人とわいわい喋るのが苦手なノーデンスは一番に敬遠しそうな人物だった。にも関わらず、彼と過ごす時間は決して嫌いではなかった。 物心ついた時から武器造りしかしていなかった為遊び相手もいない。 黙々と着々と、武器だけ造っていた。そうすれば誰にも文句を言われない。 ある冬の日のこと。彼が白鳥を見てみたいと言うので、一番大きな湖へ連れて行った。水面は巨大な鏡のように自分達を映し、畔には白鳥が三羽いた。ルネは憧れの人に会ったかのように目を輝かせた。 『あ、でも、あまり近付かない方がいいです。刺激して怒らせると危ないので……』 『大丈夫、遠目で見るだけ。寒いのに水辺に浮かんですごいね』 ルネは身を乗り出しながら白い息を吐いた。厚手のコートやマフラーを身につけているが、やや手が震えている。 『寒くありませんか?』 自分が巻いていたマフラーをほどいて彼に手渡そうとした。するとルネはハッとしたようにそれを受け取り、再びノーデンスの首に巻き付けてきた。 『僕は大丈夫。それよりごめんね、寒いのに連れてきてもらって。君にしか頼めないっていうか……君に連れてきてほしかったか』 ルネは珍しく言い淀んで、目を合わそうとしなかった。耳と鼻先が赤くなっているが、それはきっと寒さのせいだろう。 『秋に来た時と全然違う。冬の森はちょっと、寂しい感じがするけど』 白鳥を一瞥し、ルネは微笑みながら手を差し伸べた。 『君はいつ、どこにいても綺麗』 『ほえっ』 聞き間違いかと思い、馬鹿みたいな声を出してしまった。 綺麗なんて、誰かに言われたことは一度もない。いつも煤だらけで仕事して、汚れてるから風呂に入れと怒鳴られるくらいなのに。 ルネと会う時だけは失礼のないよう、着るものも綺麗なものを選んでいるけど、隣に並ぶにはあまりに不釣り合いだと思った。 『ありがとう……ございます』 でも褒められたら素直にお礼を言うよう父に言われているので、やはり目を合わさずに頭を下げた。 『けど、ルネ様の方がずっと綺麗です。……僕なんかが一緒に同じ時間を過ごしていることが申し訳ないというか、おこがましいというか』 『そんなことない! というか、そんなこと思ってたの?』 『それは……』 しまった、と思いマフラーで口元を隠した。いやでも、事実だし誤魔化す必要はないか? 普段よりも頭をつかってウンウン唸っていると、彼はひとこと呟いた。 『一目惚れしたんだ』 『ぅえっ』 またまた想像の斜め上を行く言葉が聞こえた為、さっきより酷い反応をしてしまった。 理解力が著しく低下して、頭の中で何度も言葉を反芻した。ひとめぼれ……って、あれだよな。要するに、 『ええと、僕の見た目が好きってことですか?』 『見た目……見た目もそうだけど、それだけじゃない! もっと君のことを知りたくて、君と仲良くなりたいと思った。迷惑ならごめん』 ルネは慌てながら告げると、力なく肩を落とした。 『君は今まで会った誰よりも綺麗で、優しいよ。だからそんなに自分を卑下しないでほしい』 『優しい……』 『優しいよ。自分の家族が倒れた時、何日もかけて、ボロボロになりながら僕に会いに来た』 大切な人を救う為にとにかく必死だったから、そんな風に言ってもらえるとは思わなかった。恩人に感謝こそすれ、その恩人から褒められるなんて。 やっぱり、優しいひとなんだ。 『本当にあの時のこと、感謝しています。一生をかけても御恩を返したいと思ってます』 『ううん、全然。あとできればそれは一旦置いて。改めて、僕と友達になってほしい』 差し出された掌。今度は遠慮がちに取って、彼に笑い返した。 『もちろん、僕で良ければ』 『だからそんな言い方しないで。……君がいいんだ』 ルネは苦笑しながら手を握った。こんな風に誰かと長い時間触れ合ったのも久しぶりで、少し気恥しかった。 ちょっとだけ息が苦しくなって、なにかしたい衝動に駆られる。これが初めて訪れた、原因不明の胸の昂り。 この感情が喜びなのだと気付くのは、それからずっと後のことだ。

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