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第11話

 今度はA棟にあるイングヴァルの執務室に向かう。  イングヴァルとディヒトバイが歩くと、皆が皆立ち止まって敬礼する。その後ろを着いていくのは落ち着かなかった。  執務室に着くと、外でレオニード、兼景が立っていた。  レオニードと兼景もイングヴァルを見た瞬間に背筋を正して敬礼をした。 「みんな揃っているね。じゃあ、中に入ろう」  イングヴァルがロックを解除して執務室に入る。  中には執務机があり、奥には統合軍の紋章の旗ともう一つ旗が立てられていた。  手前にはコの字に応接セットがあり、イングヴァルが座るように促した。  奥の席にはイングヴァルが、右側にディヒトバイとアカート、入り口近くの左側にレオニードと兼景が座った。  俺はどこに座ろうかと悩んでいると、おい、とディヒトバイに声をかけられた。  ディヒトバイの隣の空席を手で示している。そこに座った。 「さて、レオニード君、兼景君。それに少佐と特務医官、チカシ君も揃ったね。早速だが話を始めよう」 「話って何ですか。なんかいい話じゃねえみたいですけど……」  レオニードが落ち着かないように口を開いた。 「それはお前たちが決めることだ。レオニード、兼景」  そう前置きしてアカートは話し始めた。 「さっきの会見、お前らも見たよな」 「はい。それが何か、特務医官殿」  兼景は動じずに答える。 「話というのはディヒトのことだ」 「教官がΩになった、って噂が本当だったってことですか。そして、それに千樫も絡んでると」  兼景はそう言ってのけた。 「な、何言ってんだ兼景! 教官に失礼だろ!」  レオニードは兼景を怒鳴りつける。 「いや、兼景の言う通りだ。俺はΩになった」  ディヒトバイが重い口を開いた。レオニードはディヒトバイを信じられない、といった顔で見ている。 「察しがいいな、兼景」 「全盛期の教官に比べると剣の腕が落ちてたのは気付いてました。怪我のせいだと思ってましたが。でも妙なことがありました。避難民キャンプで教官は発情期になったΩに対して冷静だった。並のαなら本能に負けるところが、教官は何もなかった。会見でΩになったってのを聞いて腑に落ちた。ΩだったからΩのフェロモンが効かなかった。それに、俺たち特別班に急に千樫を連れてきた。千樫は特研に出入りしている。変な探りを入れられる前に近しい人間には先手を打って話して釘を刺しておこうってところでしょう」  兼景は自分の考えを説明した。確かにそれだけ情報が集まると秘密でも何でもない。 「……その通りだ。だが、それだと千樫がどう関係するかはわからねえな」 「ええ」 「俺と千樫は疑似的な運命の番の関係にある。近くにいればいるほど思念の力が増す。だから俺はΩになっても悪魔を倒せた」 「なるほど」  兼景はディヒトバイの説明に頷いている。 「ちょっと待ってくださいよ! 本当なんですか、本当に、教官がΩに……!」  レオニードは狼狽えながら叫んだ。 「ああ。本当だ」 「嘘だ! だって、Ωは自分の身も守れねえほど弱っちくて、何もできなくて……! 冗談にしても笑えないですよ!」 「レオ、この面子を揃えといて冗談なわけないだろう」  兼景がレオニードを諫めるように言う。 「お、俺は認めねえ! だって、教官は俺より強くて、悪魔も倒して、この世で一番強い男なんだ……! それがΩなわけねえだろ⁉」 「……いつΩになったんですか。悪魔にやられたときからですか?」  レオニードを無視して兼景は口を開いた。 「ああ。俺がΩになったのは悪魔――アスモダイの仕業だ」  それを聞いて兼景は思案するように天井を見上げて、またディヒトバイに視線を戻した。 「教官が唯一勝てなかった王の位階、それがアスモダイ、でしたっけ。勝算はあるんですか?」 「お、おい、無視すんじゃねえよ!」 「お前が話の邪魔をしてるんだろうが。教官の言ったことを受け入れろよ。それができないならせめて黙れ」 「兼景、てめぇ……!」 「まあまあレオニード君、落ち着いて。文句ならあとでいくらでも聞くから」  イングヴァルがレオニードを宥める。レオニードは舌打ちをして渋々黙った。 「勝算、というなら五分だな」  黙っていたアカートが口を開いた。 「五分もあるんですか」  兼景が片眉を上げて驚く仕草をした。 「お前は随分と悲観的なんだな」 「人類最強の英雄が勝てなかったなら勝算は零でしょう」  兼景は苦笑する。 「極端な言い方をすればな。だが、さっきも言ったようにディヒトとチカシが近くにいればいるほど強くなる。それを含めると五分だ」 「根拠は?」 「チカシによるブーストによってディヒトの身体能力は全盛期以上、身体能力は六倍にまで跳ね上がる。お前たちやフォカロルの援護があれば十分に倒せると踏んでいる」 「なるほど……」  言って兼景はレオニードを見た。 「だ、そうだ。教官は弱いΩじゃない」 「で、でもよ……! 急に言われて受け入れられるかってんだ……!」 「信じられないというならそれでいい。今の話を誰にも言わないでいてくれたらいい」  ディヒトバイはレオニードに言った。レオニードは俯く。 「……駄目だ、Ωは弱くて、何もできなくて、そうじゃなきゃいけねえんだ……! 俺より強いΩなんているわけがねえ!」 「……レオニード君、一つ聞かせてもらおうか」  イングヴァルがレオニードに尋ねる。 「君は今のことを聞かされて、少佐の部下でいられるかい」 「そ、れは……」  レオニードは言葉に詰まった。 「外したほうがいいですよ、今のレオは冷静じゃない。ああ、俺は教官に着いていきます。俺は俺より強い人間に着いていくんでね」  兼景が言う。  レオニードは悩まし気に目を閉じる。 「……俺を外してください……。教官の言うことには従えねえ……」 「わかった、すぐに異動先を探そう。ところで、今の話は絶対に口外しないでくれ。これは大隊長からの命令だ」 「……わかりました。失礼します……」  重苦しい雰囲気を纏ってレオニードは部屋を出ていった。 「言わないほうがよかったんじゃないですか?」  閉められたドアを見てから兼景が言う。 「お前たち二人に隠し事はしたくなくてな。……俺も、言うか迷ってたが」 「レオがその誠意に答えられればよかったんですがね。まあ、あいつはΩに思うところがありますから」  そう言うと兼景は立ち上がった。 「話は済みましたよね? では、俺はこれで失礼します」  兼景はそう告げて静かに部屋を出ていった。 「……よかったのかい、ディヒト?」  イングヴァルがディヒトバイに尋ねる。 「俺は俺の思う通りにやったし、レオもレオの思う通りにやった。それだけの事です」  ディヒトバイは言うが、まだ声音は沈んでいる。  俺は戸惑うしかできなかった。 「何なんですか、みんな……。この世界じゃΩっていうのはそんなに悪いものなんですか? Ωの人たちだって望んでΩに生まれてきたわけじゃないのに、生きてることがおかしいみたいに言われて……」 「生きてちゃいけねえ人間なんていねえよ。だが、この世界は千年以上前からΩを差別してきた。そういう積み重ねはすぐに消えるもんじゃねえ」  アカートは言う。 「……でも嫌なんです」 「嫌?」 「俺のいた世界だって差別はあった。なのに俺はそれを見ないふりをしてた。いや、知らず知らずのうちに何かの差別に加担してたかもしれない。それが、こっちに来てから差別はいけないって思うだなんて、そんな自分が嫌になる……」  自分が逃げてきた罪が今更のしかかってくる気がする。 「そう思えるだけ上等だぜ。その心があるなら、お前はいい奴だよ、チカシ」 「僕もそう思うよ、チカシ君」  アカートとイングヴァルはそう言ってくれた。 「……俺は部屋に戻ります。昨日の疲れがまだ残ってるんで」  ディヒトバイはそう言って席を立った。  疲れなのか悲しみなのか、その声は弱弱しい。 「ああ、休んでくれ。色々あったけど、なんたって昨日は悪魔と戦っていたんだからね。十分な休息を取ってくれ」  イングヴァルが言うと、ディヒトバイ、アカートに続いて執務室を出る。  皆行先は研究棟なので、ぞろぞろと歩いていった。  すれ違う度に人が立ち止まって敬礼をする。  その人たちは、ディヒトバイがΩであることを知らない。もしΩだと知れたら、敬礼なんてされなくなってしまうかもしれない。  そんなことを思った。  お馴染み研究棟に来た。エレベーターホールでアカートと別れる。 「明日、朝九時から義肢の調整だからな。忘れるなよ」 「わかってる」  アカートの言葉にうんざりしたようにディヒトバイは答える。  そして自室のほうに歩き出す。俺の部屋も同じ方向なので、ディヒトバイの後ろを歩く。  少し歩いて自室の前まで来た。  ディヒトバイが自分の部屋のドアにカードキーを翳し、中に入ろうとする。 「あの、ディヒトさん」 「……どうした」 「俺はディヒトさんがΩでも気にしないっていうか、俺と会ったときにディヒトさんはもうΩだったから、こんなこと言うの変かもしれないんですけど……。でも、ディヒトさんが何であっても、俺はディヒトさんの力になりますよ」  何でもいいから、ディヒトバイの側に立つ人間が彼を信頼していることを伝えたかった。 「……ああ、わかった」  ディヒトバイは空返事をして部屋の中に入っていった。 「……大丈夫、かな」  心配だったが、勝手に部屋に入るわけにもいかない。  俺も部屋に入って休むことにする。  時計を見れば午後一時だ。まだ寝るには早すぎる。  テーブルの上に投げ出してあったリモコンでテレビをつける。 『ディヒトバイ少佐がΩという疑惑が出ましたが、それについてはどう思われますか』 『あの記者は昔からいい加減なことばかり言うんですよ。ただの軍部批判だと思いますけどね。だって、Ωに悪魔が倒せるわけないんだから』 『でも悪魔の力を借りればできるかもしれないでしょう? もし本当にΩだったらどうします、Ωにとっては希望の星かもしれませんけど』 『駄目駄目、昔からかっこいいヒーローっていうのはαって相場が決まってるんだから。Ωのヒーローなんて、弱そうでかっこ悪いじゃない。敵に倒されちゃうよ』  テレビのワイドショーでコメンテーターが好き放題言っている。 「……何も知らないで……」  チャンネルを変えても同じようなワイドショーか、国営放送、教育番組だ。うんざりしてテレビを消した。  散歩がてら軍本部内をうろつこうか。  そしてまた部屋を出る。  エレベーターホールの案内板には、A棟、B棟、C棟、地下の研究棟の地図が書かれている。  A棟は訓練施設に各隊本部が多く入っており、B棟は座学に使う講堂や会議室、C棟は娯楽施設などが入っている。 「お、どうしたチカシ」  そうアカートの声が聞こえて振り返る。 「アカートさん、どうかしたんですか」 「いやなに、考え事をしたくてな。散歩だ散歩。着いてくるか?」  コンビニまで行くような感じでアカートは尋ねてくる。 「邪魔じゃなければ」  一人でふらついても邪魔になるだけかもしれない。向こうから誘ってくれていることだし、少なくとも邪険にされることはないだろう。 「はい、決まりぃ」  アカートはふざけて言いながらエレベーターの呼び出しボタンを押す。  エレベーターはすぐに来て、中に乗り込む。 「どこに行くんですか?」 「内緒。着いてからのお楽しみ」  言ってアカートは操作パネルにカードキーを翳し、ボタンを操作した。エレベーターは下に降りていく。 「まだ下があるんですか?」 「地下ほど安全だからな。重要なものほど地下にある。ここから下が、ある意味本当の研究室だ」  随分長いことエレベータは動いている。階数表示は地下四十階と表示していた。  やがてエレベータは止まり、ドアが開く。  そこは工場のように壁に大小様々なパイプが這っており、広い廊下がある。  アカートは歩き出し、その後を着いていく。  そして、大仰なシャッターの前に立った。 「何ですか、ここ」 「秘密の実験場」  アカートは悪戯っぽく言うと、シャッター脇のパネルにカードキーを翳してシャッターを開く。  シャッターが開くと生暖かい空気が流れ込み、中には大小さまざまな機械が並べられ、両脇に五十センチほどの円筒形の水槽のようなものが沢山並んでいた。 「えっ……」  その水槽の中に入れられているものに驚いて言葉を失う。  赤い小さな体を丸め、へその緒が付いた胎児だ。水槽の中には大きさが違えど胎児が入れられている。 「安心しろ、豚だ」 「ぶ、豚……?」  確かによく見ると、大きく成長したものはまるで人間とは形が違う。  アカートは奥へと歩き出す。 「ここはドーム国家だが、農場や工場はドームの外にある。だが、悪魔や魔族のおかげで全て壊されちまった。そこで地下で農業や畜産ができないかと研究してんだ。軍人が食う飯の確保ぐらいはできてるな」 「それだけしか食糧が生産できないんですか?」 「野菜はそう難しくねえが、問題は肉だ。畜産には自然と繁殖が必要になる。ここで実験しているのは人工子宮だ。悪魔が侵攻して以来、限られた飼料で安定して家畜の繁殖を行うのは難しい。そこでこの人工子宮の出番だ」 「そうなんですか……」  そう言われると、少し嫌悪感が薄れたかもしれない。 「ここはフォカロルの魔力が流れててな。空気が甘ったるくて変だろ。魔力――生命力に溢れている。俺の寝てるタンクと同じだな」 「ああ、なんだか変な空気ですよね。温室の中にいるみたいで」 「フォカロルの魔力提供もあって、実験は順調に進んでいる。この人工子宮はいよいよ実用段階だ」 「じゃあ、みんなお肉を食べられるんですか?」  避難民やドームの中の市民は栄養価を満たせるパンしか食べていない。 「上手くいけばな。だが、この人工子宮は豚じゃねえ、もっと可能性を秘めている」 「可能性……?」 「お前も知っての通り、Ωに対する差別や偏見ってのはひでえもんだ。男のΩは子宮が発達してねえから大体が流産、よくて未熟児って前も言ったろ」 「はい、聞きました」 「それが、この人工子宮で安全に、健康な子供が産めるとなったらどうなる」 「Ωの人たちの地位が上がるんですか?」 「少しはマシになる、程度かもな。世に出してみねえとわからん。だが、αやβも加齢や病気、体質なんかで妊娠、出産が難しい人間が山程いる。だからこの人工子宮の開発を進めてる。ま、これは勝手に畜産研究の予算を掠め取って秘密にやってんだが。書類の上じゃここも資材置き場だ」  アカートはにやりと笑った。 「えっ、そ、それって横領とかにあたるんじゃないんですか⁉」 「そう、業務上横領罪」 「よくないですよね⁉」 「ああ、よくないさ。だが、軍の上層部にゃ同じく横領仲間がいるんだよなぁ。軍本部内にフォカロルのアンテナを張ってお偉方の会話を盗み聞きしてるんだよ。そしたら出るわ出るわ黒い話が。俺が横領で捕まるときは、それらの秘密も同時にばらすぜ。花火はでけえほうがいいだろう」  相討ち覚悟でこれだけのことをやってのけるとは。ディヒトバイの体のことを黙っていたことと言い、先程の官僚への接し方といい、アカートの肝の据わりようは感心する。横領はよくないが。 「ま、結果が出れば文句は言われねえ。ただでさえ悪魔のせいで人口が半減してんだからな。人工子宮で子を産む手段が増えるとなりゃ何も言えねえだろ」 「そうかなぁ……」  それは疑問に思う。 「……なんでアカートさんはΩについて、そんなに真剣に考えてるんですか? 偏見もないみたいだし」 「……昔は俺にも番がいてな」 「アカートさんに? そういえば……」  そういえば先程アカートに番がいたと防衛大臣が言っていた気がする。  でも、その言い方はなんだか不安がよぎる。 「男のΩで、名前はキースチァ・オキャロル。俺が研修医のときに会った。当時の俺は風俗通いが趣味でな。歳のわりに金があるのをいいことに男も女も抱きまくった」 「は、はぁ……」  真面目そうな話だったのに、急に雰囲気が変わったように思う。 「キースは体を売ってた。Ωは社会から隔絶されてて、まともな仕事もないんで性風俗で生計を立てるなんてのはよくある話なんだ。ま、俺は俺なりに若くてバカだったから、体売ってるΩに多めに金渡して助けになってたつもりだったんだよな。安いけどサービスのいい店で、そこの新入りだからどんな奴だろうと思って指名を入れたんだよ」 「それがキースさんだったんですか」 「おうよ。パネマジもなしの美人ってもんよ」 「なんですか、パネマジって……」 「知らねえのか? パネルマジックだよ。店にこういう子がいますよって顔写真並べてあんだけど、大体加工されててよく見せてんだよ」  知りたくなかったそんな言葉。一生使うことのないであろう言葉だ。 「話を戻すが、きりっとした凛々しい顔っての? キースはそんな顔でよ。男の俺でも綺麗な顔してんなって思うくらいに顔がよかったんだよ。俺はこりゃ大当たり、サービスがよけりゃリピ確定ってワクワクしてたさ。でもよ、挨拶からして元気がねえわけ。ちょっとおかしいなって思って話を聞いたんだよ。そしたらワケありだった」 「ワケありって……?」 「母親は早くに亡くなって父親と暮らしてたんだが、父親が交通事故で足に大怪我してな。でも金もない、手っ取り早く稼げるってんで今までの仕事辞めて風俗に来たんだと。だが、いざ本番となるとやっぱり嫌だってな。目に涙を溜めて、それが余計に色っぽいっていうか……」 「それで、どうしたんですか」  このままだと話が変に逸れそうだったので質問をして軌道修正を試みる。 「ま、Ωにはよくある話だったよ。でな、俺はそのとき一人暮らしで、研修医なんて激務だからよ。家に帰れたらラッキーぐらいの生活だった。部屋は荒れ放題だし、飯は冷凍食品。だからよ、キースに金を払うから家事をやってくんねえかって言ったんだよ。俺はその時月六十万はもらってたから、月二十万は出すって。キースは最初は遠慮してたけど、時間いっぱい考えて、やっぱりお願いしますって言ってきて」  話がまともな方向に戻ってきて安心した。 「よかったじゃないですか」 「……まあな」  含みを持たせた沈黙を置いてアカートは返事をした。 「まずは休みの日に一緒に掃除して、合鍵作って、買い出しして。昼と夜の弁当作ってもらって。キースの作る飯がまた美味くてよ。キースは俺が空っぽの弁当箱持って帰ってくるのが嬉しいって言ってたっけ。そんな生活が三ヵ月くらい続いたときだった。キースの親父さんが首吊って自殺したんだ」 「自殺……って、どうして」 「キースの親父さんは予後が悪くて結局車椅子生活になった。そんなんじゃ働けない、キースだけなら一人で生きていけるからって遺書書いてドアノブで首括ったんだ。キースは俺のとこから帰って親父さんの死体を見た。それで真っ先に俺のところに電話をかけてきた。俺も慌ててキースのところに行った。それで警察に通報して、諸々の処理があった。貯金もないんで葬式も出せないっていうんで、俺が葬儀代を払ってやった。キースの様子が見てらんなくてな。ずっと心ここにあらずって感じでよ。俺は思わず言ったんだ、お前の面倒は俺が見るからって。そしたらキースの奴、なんて言ったと思う?」 「嫌だ、とかですか?」  違うとアカートは首を振った。 「面倒見るまでっていつまでの話なんだ、口先だけならなんとでも言えるって。俺はその時、浅はかなことを言ったと思ったよ。俺だって許嫁がいるし、医者として独り立ちする時が来る。そんな中でキースの面倒を見るって言ったって、いつまで見られるかなんて保証できねえよ。それでキースは雨の中飛び出していった。無論俺も追いかけた。その途中、キースのことをずっと考えてた。それでやっと追いついて、俺は言ったんだ、お前が好きだ、結婚しようって」 「い、いきなり?」 「いきなりかもしれねえが、俺の中じゃいきなりじゃなかったよ。ただただ驚くキースに俺は言ったさ。仕事で辛くてもお前の飯を食うと元気が出た、家に帰れる日はお前に会えると思うとやる気が出た、お前にはもう俺の生活の一部になってるって。この先、お前が一人で辛い目に遭ってるかもしれねえと思うのも嫌だ、全部俺の独りよがりだ、でも、だからこそ俺が全部責任取る、結婚しようって。キースは頷いてくれたよ。そして、その夜俺とキースは番になった」 「よかったじゃないですか」  アカートはそこで溜息をついた。 「よかねえよ。さっきも言ったが、俺にも親の決めた許嫁がいるんでな。俺がΩと結婚するってんで断ったんじゃ相手にも失礼だろ」 「難しいですね……。それでどうしたんですか?」 「俺は俺の決めた相手と結婚するからって連絡して以来、親にも連絡とってねえし家に帰ってもねえ」 「いいんですか、それで」 「それくらいの覚悟がねえとΩと結婚なんてできねえよ。それでキースと俺は同棲して、順調な生活を送ってた。で、子供を作ろうって話になったんだよ。俺は男のΩの妊娠は危険だからやめようって言ったが、キースは俺の子を産みたいって聞かなくてな。俺だってできるなら欲しかったけどよ。結局キースは妊娠したんだ。……楽しかったよ、名前を決めたり、育児用品を買ったり。だが、結果は二十五週で早産、キースは出産時の脳出血で死んだ。赤子も産声を上げないまま死んじまった。男のΩの妊娠、出産ってのはこういうことなんだよ。俺はわかってたはずなのに、なぜか自分たちは平気だって思ってた。現実はそうはいかなかった」 「それで、人工子宮の研究を……」  アカートは豚の胎児を見ながら頷いた。 「豚の胎児が軌道に乗ったら人でも実験をする」  アカートの言葉を理解するのに時間がかかった。 「人体実験……ってことですか? それはいくら何でも……」 「いずれは誰かがやらなきゃいけねえ問題なんだ。だから俺がやる」 「アカートさんが?」 「この国の法律で、女及びΩは成人時に卵子バンクに卵子を預けることになってる。だからキースの卵子もあるんだよ、卵子バンクにな」 「まさか……」 「そのまさかだよ。俺は配偶者なのをいいことに体外受精目的でキースの卵子を引き取った。キースの卵子と俺の精子で実験をする」 「でも、それは……」 「キースは俺の子を産むのを望んでた。俺はそれを言い訳に自分のエゴを通そうとしてる。……まったく、笑えねえよな。狂った研究者でもここまではしねえ。だがな、男のΩでも、誰でも安心して出産ができるようにする。そのためにも人工子宮が必要なんだ」  自嘲するようにアカートは言う。 「なんて言っていいのか俺にはよくわからないですけど、でも、好きな人との子供ができるのは、願っていいものだと思います」 「……ありがとな、俺みてえな横領するクズにそう言ってくれてよ」 「過度の自虐はよくないと思いますけど……」  そう言うと、しゃがんでいたアカートは立って大きく伸びをした。 「まあ、前置きはここまでにしといてだ」 「前置き?」 「今までのはここが何のための場所かって説明だろ。これからが本題だ。俺が今悩んでること、な」  アカートは言って俺に向き直った。

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