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第13話

「温室……?」  ディヒトバイとエレベーターで地下十一階に来た。  エレベーター内のフロア表示には植物研究プラントと書かれている。  エレベーターを降りると何階もぶち抜いたような大きい吹き抜け構造になっている。  ガラス張りの温室の中には、屋根から飛び出すほどの大きな木が一本生えている。 「IDと訪問内容を」  エレベーターを降りてすぐにゲートがあり、守衛に尋ねられる。  ディヒトバイは自分の認証カードを渡すと、守衛は機械に通して内容を確認する。 「同行者の方もお願いします」  言われて自分も認証カードを渡した。守衛は同じく機械に通してすぐにカードを返した。 「見学だ」  ディヒトバイが守衛に目的を言う。 「見学の方は一時間の時間制限があります。現在十四時三十八分ですので、十五時三十八分までの滞在をお願いいたします」  守衛がそう言うとゲートが開いた。 「行くぞ」  歩き出したディヒトバイの後を着いていく。  温室の中に入ると、暖かく調整された室温を肌に感じる。  中は植物園のように名前も知らない草木が生い茂っていた。  レンガ敷きの歩道の両脇には新緑の葉を芽吹かせた木々が生えており、溝には水が流れてせせらぎの音が聞こえる。  天井からは太陽光のように光が降り注いで、まるで木漏れ日のようだ。  この世界に来て、初めてゆっくりと落ち着く場所に来たかもしれない。 「ここは植物工場の研究プラントでな。あとは研究棟職員の息抜きの場だ」  ディヒトバイは葉っぱに触れながら先を歩く。 「植物工場……」  それは元いた世界でも聞いたことがある。確か少数ではあるが実用化もされているはずだ。 「魔族が死ぬと泥みてえになって溶けてくだろ。あれで土壌が汚染されてな。悪魔がいなくなったとして、すぐに元の世界に戻るわけじゃねえ。ここは土壌改善、品種改良の研究をしてる」 「なるほど。ここは未来を考えてるんですね」 「大袈裟じゃねえか?」  言ってディヒトバイは振り返った。 「俺たちはいつも生きるのに必死なだけだ。今までも、今も、これからも。ずっとそれは変わらねえ。人間なんてのは結局ただの動物なんだ。生きたいって欲しかねえんだよ」 「ディヒトさんって、なんだか悟ってますよね。だからあんなに強いんですか?」 「……は?」  そう言ったディヒトバイの声は何とも素っ頓狂で、多分今までで一番気が抜けていたと思う。 「悟ってるのと強いのとに何の関係があるんだよ」  確かに、そこだけ抜き出されると何の関係もないような気もする。 「け、剣だって無我の境地に至るのが目標、みたいなの聞いたことありますし」 「自分の思い通りに体が動きゃいいんだよ。それを型がどうたら精神がどうたら、下らねえ」  人類最強の男がこう言うと、何も言えなくなってしまう。 「ま、まあ、ディヒトさんみたいにできる人ばかりじゃありませんから……」 「……お前に言われると悪い気はしねえな」 「え?」 「周りの奴にどれだけ褒められても受け答えが面倒なだけだったが、お前に褒められるのは嫌じゃない」  それだけ言ってディヒトバイはさっさと先に歩いて行ってしまう。今のはどんな意味の発言なのか。考える暇すら与えてくれない。  少し緑の小道を歩くと広場に出た。  ウッドデッキに椅子のセットが置かれ、何人もの人々がくつろいでいる。  地下ばかりの生活ではこういった息抜きが大事なのもよくわかるし、何より今は世界の存続がかかっている最中なのである。  常に気を張っているわけにもいかないし、たまには自然の中で休むのも必要なことである。  隅には売店が立ち、そこで飲み物を買っている人がいた。  ディヒトバイは迷うことなく売店に向かう。 「コーヒー二つ」 「あっ、自分の分は自分で払いますから……」  俺が言うとディヒトバイはじろりとこちらを見た。 「俺がコーヒー代も払えねえように見えるのか」 「み、見えないです……。ありがたく頂きます……」  売店の店員は手早くコーヒーをカップに注ぎ、カウンターに置いた。  まだ熱々のそれを手に取り、ディヒトバイはまたふらりと歩き出す。 「ここで休むんじゃないんですか」 「誰が何聞いてるかわからねえだろ」  ディヒトバイは小声で答えた。  確かに。ここは混み入った話をするには向かないかもしれない。  ジャングルのように植物が茂っている小道を、奥へ奥へと歩き続ける。  この研究棟はどれくらいの広さなのだろうか。もう学校のグラウンドくらいの距離は歩いているはずである。  木々のおかげで見通しが悪いのも、距離の把握を難しくさせていた。  とはいえ、ここがどれだけ広くても困ることはないのだが。  十分ほど歩くと、向日葵が植わっている一角に着いた。 「この世界にも向日葵があるんだ……」  小さな噴水を眺めるようにして東屋がある。中のベンチには誰も座っていない。 「ここでいいだろ」  言ってディヒトバイはベンチに座った。自分もその隣に座る。  噴水の流れる水を見ながら、手に持ったコーヒーに口をつける。少し熱い。これからゆっくり飲むには丁度いい飲み頃の温度だ。 「あれ、そういえばディヒトさんって飲み食いが駄目なんですよね、コーヒーは大丈夫なんですか?」  そう言って隣を見ると、今まさにディヒトバイがコーヒーを飲んでいるところだった。 「食べ物は食っても吐き出しちまうが、飲み物はいい。そのまま出てくるだけだがな」 「そうなんですか。そのまま……」  そのまま出てくる? 「って、コーヒー飲んだら黒いおしっこが出てくるってことですか!?」  俺の発言にディヒトバイがげほげほと盛大にむせた。 「な、何を言い出すんだ突然……」 「だって、気になったから……」 「飲み物飲んでるときに小便の話すんじゃねえよ。……まあ、言い方が悪かったな。一通り消化はされるが、栄養は吸収されないってだけだ」 「そうなんだ……」  その発言を聞いて少し反省した。確かに飲み物を飲んでいるときにする話ではなかったかもしれない。 「俺がΩに作り変えられたのはどうしようもねえが、精液だけが栄養ってのはアスモダイの呪いみてえなもんなんだと。だから、あいつさえ倒せばこの馬鹿げた状況からもおさらばってわけだ」  その言葉にどきりとする。  ここは未来を考えている場所だ。  アスモダイを倒し、この世界を救ったあと。  倒してもいないのに気が早いかもしれないが、何も考えないでもいられない。  アスモダイを倒せばどうなる。  ディヒトバイはまさに世界を救った英雄となるだろう。  そして、俺はどうなる。  何の縁もない俺は、一人放り出されてどうなる。  ディヒトバイとは二度と会えなくなってしまうのだろうか。 「……なあ、お前のことを教えてくれないか」 「俺のこと、ですか?」 「ああ、今までお前の話をゆっくり聞く機会もなかったからな」  意外だった。ディヒトバイがそこまで俺に興味があるなんて。  てっきり、ただのパートナーとしてしか俺を見ていないと思ったからだ。 「お前のいた世界は、どんな場所だったんだ」 「何って、普通の世界でしたよ。悪魔も魔族もいない。だからって何も悪いことがないわけじゃない。環境汚染は進んでいるし、戦争や疫病もある。俺のいた日本が平和だっただけです。……だから、何に対しても他人事と思っちゃうところがあって。当事者じゃないからって。人の死にしても、俺は他人事だと思ってた。でも違った」 「違った?」 「ついこの間、両親が事故で死んじゃって……」 「それは……」  ディヒトバイは何と声をかけていいのか迷っている様子だった。 「でも受かった大学に行かないわけにもいかないし、東京で一人暮らしをしながら大学には行っていたんです。でも、駄目だったな」 「駄目だった、ってのは」 「俺、剣道をやってたんです」 「ああ、秋津のスポーツだな。剣を使うってんで軍にも取り入れられてる」 「そうなんですか。だったら話が早いですね。俺、実はそこそこ強いんですよ。全国大会に出たことがあって」 「全国とはすごいな。国で上から数えたほうが早いってことだろ」 「はは、ディヒトさんに褒められると嬉しいな」  そう言って口が自然ににやける。 「練習は厳しかったけど、俺が大会でいい成績を残すと両親が喜んでくれて、それが嬉しくて。俺が勝っていられたのは両親がいたからなんです。……わかりますよね、じゃあ両親が亡くなった後はというと、全然何もできなくて。何のために頑張ればいいのかわからなかった。大学の剣道部で足を引っ張ってばかりで、掃除ばっかりやらされてた」 「……それは、つらいな」  ディヒトバイの言葉は意外に思えた。 「つらい?」 「つらくないわけねえだろ、親御さんが亡くなって、好きなことにも打ち込めなくて……」 「……そっか、俺、ずっとつらかったんだ」  そう言った声は震えていた。それと同時に視界も滲む。それを隠すように俯いたが、手に持ったコーヒーのカップに涙が一粒落ちた。  ディヒトバイは何も言わずに俺の背中を撫でてくれていた。 「俺、何の役にも立てないのかってずっと思ってて……。このまま何もできないまま死んじゃうのかなって、何のために生きてるのかなってずっと思ってて。だから、ディヒトさんたちが俺を必要としてくれて、嬉しかったんですよ」 「お前がいなかったら悪魔を倒せなかった。お前なしじゃできなかった。お前は十分役に立ってるよ。それにな、千樫」  ディヒトバイの言葉の続きを待つ。 「誰だって生きる意味なんてねえんだよ。俺たちは遺伝子が次世代に繋がるための乗り物にすぎねえ。だからこそ、生きる意味を勝ち取るんだ。そうして勝ち取った意味は、何より尊いものだ」 「生きる意味を、勝ち取る……」  その言葉には覚えがあった。 「ヴァプラと戦ったとき、もう駄目かと思った。でも、お前の声を聞いてこんなところで倒れるわけにはいかねえと思った。だから限界以上の全力を出せた」 「ディヒトさんって、俺のことどんな存在だと思ってるんですか?」 「……パートナーだ」  そこは一線を引かれているのか。 「ねえ、ディヒトさんのことも教えてくださいよ」 「俺だってろくな人生歩んじゃいねえよ。母さんは俺を産むと同時に死んじまって、親父は仕事で忙しいってんでアカートの家に預けられてた」  ディヒトバイはそこで言葉を区切った。 「俺はずっと英雄になりてえと思ってた。だから勉強だって何だって頑張った。でも、英雄なんて早々なれやしねえ。何をすれば英雄になれるのか、英雄ってのは何なのか、そんなことを考えながら軍に入った。悪い敵を倒せば英雄になれると思ってた。でも、俺が英雄になりたいと願うことは、誰かの不幸を願ってるのと同じだ。だから俺は英雄になれねえんだ。このまま、ずっと」  また英雄の話だ。 「ねえ、ディヒトさんはどうして英雄になろうと思ったんです?」 「何回目だ、それを聞くのは」 「だって、聞いても話してくれないから」 「ガキの頃からの夢だって言っただろ」 「何かに憧れたんですか?」 「……テレビで見た」  少しの沈黙の後にディヒトバイは答えた。 「嘘ですね」 「っ……。なんでわかった」 「やっぱり嘘じゃないですか」 「てめえ、カマかけやがったな」 「なんでそんなに隠しておきたいんです」 「……誰だって秘密にしておきたいことの一つや二つ、あるだろ」 「困ったな。そこまで言われちゃうと、これ以上聞けないじゃないですか」 「だから言ったんだ」  ディヒトバイはまたコーヒーを口にする。 「でも、一つ言わせてください。俺はディヒトさんのこと、英雄だと思ってますよ。どんなに自分が傷付いても、悪魔や魔族から皆を守った。そしてこれから、世界を救う英雄になるんです」 「……その時は、お前も一緒だ」  ディヒトバイはそう言って飲み干したコーヒーのカップをそばにある屑籠に捨てた。 「見学は終わりだ。俺は部屋に戻る」  言ってディヒトバイは立ち上がる。 「あ、だったら!」 「何だ」 「部屋を! 片付けましょう!」  俺も立ち上がってディヒトバイに迫った。 「ど、どうした突然」 「あんなに散らかった部屋じゃ気分も落ち込みます! 俺も手伝いますから、一緒に片付けましょう!」 「寝る場所を確保できてんだからいいだろ」 「よくないです! アカートさんだって言ってました、ディヒトさんの部屋があんなに散らかってるのはよくない兆候だって! はい、だから行きましょう!」  自分もコーヒーを飲み干してゴミを屑籠に捨てると、ディヒトバイの手を取って元来た道を歩く。  小道を歩いている人たちが、何かあったのかとこちらに視線を向けている。  それはそうだ、大男が英雄であるディヒトバイ少佐の手を掴んでずかずかと歩いているのだから。 「おい、手を放せ! 人が見てるだろうが!」 「部屋を掃除するって約束してくれます?」 「わ、わかった、約束する!」 「今度は嘘じゃないですね?」 「嘘じゃねえって! だから離せ!」  言質を取ったので、俺は立ち止まってディヒトバイの手を離した。 「はい、じゃあゆっくりとディヒトさんの部屋に行きましょう」  俺はディヒトバイに笑いかけた。  ディヒトバイの部屋はさっきの植物園とは正反対の有様、つまり汚かった。  洗濯していない隊服やタオルは山となり地層のように積み重なって、隙間には水のペットボトル、書類ゴミ、そして謎の段ボール箱の山。それらで溢れかえっている。無論床など見えない。 「ひ、ひとつずつ片付けていきましょう。少しでも処理をすれば前進です」  俺は自分を鼓舞するように言った。 「隊服はどうするんですか? クリーニングとかに出すんです?」 「まとめて持ってけば洗ってくれる」 「じゃあ、ディヒトさんは台車か何か借りてきて、そこまで隊服を持って行ってください。俺はその他のごみを種類別にまとめておきます。ゴミ袋ってありますか?」 「……確か、クローゼットに」  歯切れ悪くディヒトバイが答える。  クローゼット。そこは段ボールの山で遮られていた。 「何なんです? この段ボールは。やたらといっぱいありますけど」  同じサイズの段ボール箱が何十箱と転がっている。中には何が入っているのだろう。 「……ファンレターだと。アカートの嫌がらせだ」 「ファンレター? こんなに……?」 「これでも読めば前向きになるだろって。邪魔なだけだ」 「そんなことないです! こんなに沢山のファンレターをもらう機会ってないですよ! これを書いてくれた人はみんなディヒトさんを応援してくれてるんです!」 「そう、か……?」  ディヒトバイは訝しげにこちらを見ている。 「そうです! あとで読みましょう! でも、こんなにあるんじゃ先に段ボールを廊下に出したほうがいいかな……」 「面倒なら何もしなくても……」 「ディヒトさんはさっき言ったように隊服を何とかしてくださいね」  部屋の片付けを諦めようとするディヒトバイに釘を刺す。 「……わかった、台車を借りてきてクリーニングに出すんだな」 「はい、いい返事です」  ディヒトバイは引きつった笑みを見せながら部屋を出ていった。  あとは段ボールを一旦廊下に出して、その他のゴミを分別しながら処理をしていくのがいいだろう。  ディヒトバイが食事をとらないため、食べ物関係のゴミがないのがせめてもの救いだ。  俺は手近な段ボールを一つ抱えて廊下に置いた。それを繰り返す。  しばらくするとディヒトバイが業務用のランドリーカートを二つ持ってきた。中に人が入れそうな大きさだ。それだったら隊服も一気に片付けられるだろう。 「細かいことは気にしないで、どんどんカートに入れてって下さいね」 「……ああ」  ディヒトバイは生返事をしながら部屋に入り、隊服や下着類を抱えては廊下のカートに入れていく。  しかし、布は意外と嵩張るものであっという間にカートがいっぱいになってしまった。 「……クリーニングに出してくる」  ディヒトバイは掃除を始めてからというもの、少し拗ねているような様子だ。しかし、この汚い部屋は見過ごせない。  俺はひたすら段ボールを廊下に移動させていく。  そうしていると少しは床が見えてきた。その事実に少し安心する。  床にある段ボールを片付けて、次は壁際に積まれている段ボールだ。  段ボールの山を崩していくと、その奥に棚があるのが見えた。  何が置いてあるのか興味があって段ボールを取り除いていく。  そこにはディヒトバイが今までにもらった勲章や記念の刀、賞状、盾などが飾られている。  昔のディヒトバイはこれらを誇りに思う人間だったのだ。だからこうして棚に飾っている。  棚の中段に、小さな赤いものと白い紙がガラスケースに入れられているのが目に入った。  それはお守りだった。  漢字で武運長久と書かれた赤いお守り。 「え……?」  この世界の文字はアルファベットだったはずだ。ディヒトバイが漢字のものを持っているのは少しおかしい気がする。  そのお守りは口が開かれていて、隣にある紙は恐らく中身だろう。 「これ、って……」  自分の目を疑った。  そこには日本語でこう書いてあったからだ。 『千樫がどんなことにも負けない、強く正しい人間でありますように』  間違いない、父の字だ。自分の名前だ。  そこで、今まで忘れていた事実を思い出す。  自分がここに転生する直前に、子供と出会い、お守りを渡したことを。  転生したことが大きすぎたのですっかり忘れていた。  ガラスケースを開け、お守りと中の紙を手に取る。 「やっぱり父さんの字だ。なんで……」  そのとき入り口で足音が聞こえた。複数人の足音だ。  俺は慌ててお守りと中身の紙をポケットに隠した。  足音は何の遠慮もなく部屋に踏み入ってくる。侵入者の姿が見える。  黒い隊服にライフル銃を持っている兵が数人いた。 「動くな。カシマ・チカシ、連行する」

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