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第15話

「大佐、今いいですか」 「何だい、兼景君」  兼景はアカートとイングヴァルが話し終わった隙を見てイングヴァルに話しかけた。  床に胡坐をかいていたイングヴァルは兼景のほうを向く。  アカートはタブレット端末と向き合いながらぶつぶつ独り言を言っている。 「……相談というか、質問というか」  言いながら兼景もイングヴァルの前に座る。 「どうした? 君にしては珍しく歯切れが悪いな」 「俺にもわからないことを聞こうとしているからです」  観念したように兼景は溜息をして俯いた。 「俺と大佐の違いは何だろうと思っていまして」 「違い、とは?」 「大佐は一人でA級魔族を倒せます。でも、俺はまだ倒せない。何が違うんだろう、と」  兼景の問いにイングヴァルはふむ、と頷いた。 「フォカロルやアカートが言うには、思念の力は本能に近いほど強さが増すという話だね。君は何のために戦っているんだい?」 「俺は……、何だろうな」  問われて兼景は困ったように首を振った。 「一宿一飯の恩義、というには大袈裟ですけど。この世界に来て、いいもん食わせてもらって、服も住む場所ももらって、それで満足しちまってるんです。俺の大事なものは、全部故郷に置いてきちまったんで」 「大事なものって何か、聞いていいかい?」 「親に嫁、子供です」 「こ、子供⁉ 君、お父さんだったのかい? 確か二十歳だったよね?」 「武家の跡取りが二十になっても子供の一人もいないんじゃ困りますよ」 「そういえば、君はサムライ……。こちらで言う貴族階級の生まれだったね。血を繋ぐのは家のためか」  イングヴァルの言葉に兼景は頷いた。 「俺のいたところは学問もまだまだで、例えば手を洗うだけで救える命が沢山あった。子供はすぐに死んじまうし、五十まで生きれば大往生だった。いつ自分が外れくじを引いて死ぬか、みたいな世界だった」  兼景はそこで言葉を区切る。 「俺があっちにいたときは家のために働きました。少しでも手柄を上げて、皆がいい暮らしができるようにって我武者羅だった。でも戦で死んでこっちに来て、俺には望みってもんがなくなっちまったんです。軍に入れば衣食住は困らないし、自分が生きていくだけならどうとでもなる。いずれは死ぬんだから悪魔に滅ぼされても同じって思うだけの俺がいる」 「君のいた世界は過酷だったんだね」 「こっちで言うなら野蛮な世界でしたよ。悪い場所じゃなかったが」 「……僕はね、家族を守るために戦っている。その想いが僕を強くしてくれているんだと思う」 「大佐にも、ご家族が……?」 「厳密に言うと、これから生まれる家族だ」  言ってイングヴァルはずらりと並んだ人工子宮を見つめる。 「僕は許嫁と結婚した。でも、悪魔の侵攻で彼女は亡くなってしまったんだ」  イングヴァルは兼景にそう告げた。 「仕事にかまけてばかりの僕に文句ひとつ言うことなく、彼女は僕を愛してくれた。人を助けることが何より好きで、カウンセラーの資格を持ってた。僕の仕事の悩みを聞いてくれたし、自分でボランティア団体を立ち上げていた。彼女は悪魔の被害を受けた場所に行って救援活動をしていた。でも、また悪魔が来て死んでしまった。遺体も残らなかった」 「それは……。さぞお辛かったでしょう」 「ありがとう。兼景君」  イングヴァルは頷く。 「なんで彼女を助けてあげられなかったんだろうって何回も思った。でも、僕だって特別大隊長の立場だからね。そう落ち込んでもばかりいられないさ。……それでね。彼女の遺品を整理していたら、ある書類を見つけたんだ。卵子バンクの」 「卵子バンク……? 何ですか、それって」 「君は初めて聞くだろうね。精子が男の子種なら、卵子は女の子種だよ。この国では一定年齢に達した女性とΩは卵子を卵子バンクに預けることになっている。だから、僕は彼女の卵子を使って子供を作りたかった。ここにあるのは人工子宮。機械で子供を育てて出産するんだ。今はまだ豚の生殖に成功しただけで、人間はこれからだけどね」 「こんな機械で、子供が産めるんですか……」 「ああ。僕はアカートの人工子宮の研究の援助をしている。彼女との子供を作るために。でもね、そうは問屋が卸さなかった」 「どうして、ですか」 「αはα同士で婚姻関係を結び、その縁故によって互助をする。そういう習慣で階級が固定化されているんだ。それで、妻を失くして子供もいない僕を一人にさせておくと思うかい? すぐに再婚相手を挙げられたよ」 「俺たちみたいだ」 「だろう? 血を繋ぐなら何だっていいのさ」  イングヴァルは苦笑した。 「再婚を迫られても僕は結婚するつもりはない。僕は彼女の卵子と、この人工子宮で僕と彼女の子供を作りたいんだ。だから、悪魔なんかに負けるわけにはいかない」  イングヴァルの言葉に兼景は溜息をついた。 「大佐はそんなものを背負って戦ってるんですか。だったら、俺が敵う道理はないですね」 「君は何が不満なんだい?」 「俺は……、強くなれるなら何でもいい」 「強さなんてものは手段だよ。強くなったその先に何を求めるのか、じゃないのかな」 「強さの先に、何を求めるか……」  兼景はイングヴァルの言葉を噛みしめるように繰り返した。  人工子宮の並ぶ部屋を通り抜けて、奥にある実験室の一つに入る。  棚と机、引き出しが並んでいた。  机の近くに置かれていた椅子にディヒトバイは座る。自分も同じように椅子に座った。 「なあ、千樫」 「ディヒトさん、その前に俺の話を聞いてくれませんか」 「お前の?」  ディヒトバイは意外そうな顔をした。 「ディヒトさんの部屋を片付けてたら、これを見つけて……」  言ってポケットからお守りと紙を取り出してディヒトバイに見せた。  それを見てディヒトバイはわずかに目を見開いた。 「ディヒトさん、このお守りをどこで手に入れたんですか。この紙に書いてあるのは俺の名前で、父の文字です。俺はこのお守りを、ここに来る前に会った子供に渡したんです。こっちの世界にあるわけがない」  そうだ。なんでこのお守りがここにあるのかがわからない。 「……俺は、小さい頃にお前に会ったことがある」  ディヒトバイはそう告げた。その告白が意味するのは。 「お前の思っている通りだ。お前が会ったのは子供の頃の俺なんだ」 「あの子供が、ディヒトさんだった……?」  あまりの展開に思考がついていかない。  でも、納得できるのはそれしかないのだ。 「で、でもおかしいじゃないですか。子供の頃のディヒトさんに会ってお守りを渡して、俺はそのあとすぐに死んでこの世界に転生したんです。なんでディヒトさんが俺より年上になってるんですか」 「アカートの野郎が言ってただろう。転生とは世界間に起きる時空乱流によるものだと。ただ世界を移るだけじゃない、時間さえも飛び越える」 「時間さえ……?」  ディヒトバイは頷いた。 「俺は十歳のときに家出をして、気が付いたらお前の世界にいた。お前に会って、お守りをもらった。俺はすぐにこっちの世界に戻った。そのときには時間の乱れも何もなかった。俺はそのまま育って今に至る。そして数日前、お前があの時の姿のままで転生してきた」 「そういう、ことですか……。でも、世界の移動は死なないとできないんじゃないんですか?」 「世界の移動は転生だけじゃない。生きたまま違う世界に行ってすぐ戻ってきたら誰にもわからない。きっとそんなケースが沢山ある」 「じゃあ、本当にあの子がディヒトさんなんだ……」  ディヒトバイは俺の目を真っ直ぐに見据えた。 「今のお前なら、どうして俺が英雄になりたいのかわかるだろう」  その問いに思わず息を呑んだ。 「お前に話した通り、母さんは俺を産むときに死んだ。そのせいで親父に嫌われた。お前さえいなかったら母さんは生きてたと何度も詰られた。俺は生まれてきてはいけないんだと思った」  年端のいかない子供がそんなことを思うまで思い詰められたことに心が痛む。 「俺を嫌った父親は仕事を言い訳に俺をアカートの家に預けた。俺の顔を見たくなかったんだ」  ディヒトバイはそこで言葉を区切る。 「どこにいても居心地が悪かった。どこにも俺の居場所はないと思っていた。だから家出をした。いつの間にか森の中にいて、千樫、お前と出会った」  その先。自分は出会った少年に何と言葉をかけたか。 「お前は言ったな。誰かを助けてありがとうと言われれば、それは母さんが言えなかったありがとうだと。英雄になって皆を助ければ父も文句は言わないと。だから俺は英雄を目指した」 「あ……」  やっとわかった真実。しかし、それはあまりにも。 「俺は心の底から誰かを助けたいと思ったことなんざない。英雄になるためには誰かを助けることが必要だったから助けていただけだ。俺にとって、お前以外は全員が俺の死を願っていると思っていた。俺は生きていたかった。生きることを許されたかった。ただ、それだけなんだ」  あまりに歪な英雄の在り方。そして、その原因を作ったのは俺という事実に打ちのめされていた。  俺は思わず立ち上がり、ディヒトバイの体を抱きしめた。 「ごめんなさい、ディヒトさん……!」  ただ謝るしかできなかった。 「俺が軽々しく英雄になれなんて言ったから、こんなことに。俺がそんなこと言わなかったら、ディヒトさんの体も無事だったのに……!」  声が震える。自分の犯した罪が視界に滲み出る。 「……いい。後悔はしてねえ。死ぬのは嫌だが、ただ悪魔に怯えているより、立ち向かったほうがずっとマシだった」  そう言ってディヒトバイは俺の背中に手を回す。 「お前がいなきゃ、俺は今まで生きてこられなかった。ありがとう。俺を導いてくれて」 「でも……」  あんまりだ。なぜディヒトバイばかり辛い目に遭わなくてはいけないのか。ただ生きるのを許されたかっただけなのに。 「なあ、千樫。俺はずっとお前のことを考えてた。俺に優しい言葉をかけてくれたお前はどんな人間なんだろうって。また会ったお前は優しくて、いい奴だった。今みたいに俺のために泣いてくれるやつだった。お前に出会えてよかった。本当だ」 「ディヒトさん……」  俺は何も言えず、ただただ抱きしめる力を強くする。 「さっき、逃げるためとはいえ他の奴に襲われた。すげえ気持ちが悪かったよ。でもな、千樫。お前だったらいいんだ。だから」  ディヒトバイは俺の耳元で言う。 「お前がいいと言ってくれるなら、お前と一緒になりたい。違う、お前と一緒になれないなんて嫌だ」 「それって……」 「もう二度と会えないと思ってた。でも、また会えたんだ。お前と同じ世界にいる。こんな奇跡はない。これが運命じゃなかったら何なんだ。……俺と番になってくれ、千樫」 「いいんですか、こんな俺で……」 「お前がいい。お前以外の奴に抱かれるのは死んでも嫌だ」  その誘いの言葉と共に、急に体が熱くなって頭がぼうっとする。ディヒトバイがフェロモンを撒いて誘っているのだ。  俺はそれに抗う術を持たない。  そして、彼の番になれるならそれでいい、と思った。 「俺も、ディヒトさんの番になりたい」  顔を近付け、口付けを交わす。  経験不足な俺をリードするようにディヒトバイは舌を絡めて口内を犯す。立場が逆転したみたいだ。 「ん、ふ……っ」  口付けの合間に吐息が漏れる。  そしてディヒトバイの服を脱がして、机の上に押し倒す。 「痛くないですか」 「なんだっていい、早くしろ……」  その言葉はもう止まれないことを意味していた。  ディヒトバイの陰茎はもういきり立っていて、先端から先走りが零れている。口付けをしながら陰茎を扱く。  俺だってもう本能のままにしか動けない。  空腹でいるときに目の前にご飯が出されたときみたいに、ただただがっつくことしかできない。  ディヒトバイの足を持ち上げ、後孔に指を伸ばす。 「入れますよ」 「ああ……」  後孔は難なく一本、二本と指を飲み込んでいく。  指を動かしながらある一点を探る。やがて指は硬い場所を探り当てた。 「あっ、ああっ……!」  そこを刺激するとディヒトバイは喘いだ。 「そんなとこ、ど……でも、いい……、早く……!」  ディヒトバイはそう言って首輪に手をかけ、かちゃりと音を立てて首輪が外れた。  項に噛みつけば番は成立する。でも、それで終わりじゃあ物足りない。 「ディヒトさんはせっかちですね」  そう言って俺は慣らしたディヒトバイの後孔に陰茎を押し当てて挿入した。 「っ……!」  ディヒトバイは歯を食いしばって快楽に耐えている。声は聞こえない。そうだ、首輪は声を出す機能もあった。 「我慢しないでくださいよ、楽しんでこそ、でしょ」  言ってゆるゆると腰を動かした。 「はっ……、っ……」  ディヒトバイの息遣いだけで感じているのが伝わってくる。  俺は先程探り当てた箇所を突きあげた。 「っ……!」  ディヒトバイは体を逸らし、体を震わせて絶頂を迎える。 「は、ぁ……、ひ……ぃ」  ディヒトバイは何か言いたげに口を動かしている。  しかし自分の理性もこれまでだった。  体を折り曲げてディヒトバイの体を抱きしめる。  そして了承を得るように口付けをし、その項に噛みついた。 「んっ……」  体が芯から熱くなるような気配を感じる。これが運命の番になったということなのか。  だが、それくらいではこの欲は収まらない。 「ディヒトさん、俺、まだイッてないから……!」  ディヒトバイと口付けを交わしたまま腰を動かし、やがてその中に精液を吐き出した。  そうして俺たちは飽きるまで互いを求めあった。  そして、静かになった部屋で俺はディヒトバイを抱きしめた。 「痛くなかったですか? こんな机の上で……」 「構わねえよ。まあ、次はベッドの上がいいが」 「次があるんですか?」 「……ああ、お前になら何回抱かれたっていい」  ディヒトバイは頷く。その言葉はなんと甘い響きだろう。 「ところで、千樫。あのお守りの中の紙にはなんて書いてあったんだ。ずっと気になってた」  ディヒトバイが尋ねてくる。 「ああ、日本語ですもんね。でも、お守りは開けちゃいけないんですよ」 「そうなのか?」 「まあ、中身の入った袋なら開けたくなっちゃいますよね。あの紙には、千樫がどんなことにも負けない、強く正しい人間でありますように、って書いてあります。父さんがそう願ってくれたのが、嬉しい」  言いながら、亡き両親を思い出して視界が滲む。 「お前の親御さんはいい人だったんだな。お前を見てるとわかる」 「そう言ってくれると、両親も喜ぶと思います」  そして、ディヒトバイと初めて会ったときのことを思い返す。  お守りの他に、大事な言葉があった。 「ディヒトさん、あなたは自分のために生きていいんです。それは誰にも否定できない。それで、できることなら――」

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