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 推しが恋人になった。  いやちょっと何言ってんのかわらかないというかこんなはずじゃなかった畜生という気持ちでいっぱいすぎて、あれから一週間も経ってるのに全然まったく落ち着けなくて事あるごとに天井を見上げて発狂するというあまりにもひどい醜態をさらしていたわけだけど、そんなあからさまにヤバい状態のおれを目の前にしてもリウはソークールな顔を崩さない。 「いい加減慣れたらいかがですか」  その上そんな無茶なことをさらりと吐きやがるので、キャスター付きの椅子に座ったままくるくる回ってあーーーーーと喚いていたおれは(ちなみに待ち合わせの時間を決めるメッセの語尾に『きみに会えるのがたのしみ:)』と添えられていただけでこのありさまだ)、痛めつけた三半規管の逆襲に吐きそうになりつつ両手を広げてわははと笑った。 「無理。無理に決まってんでしょーがよ! こちとら根っからのガチストーカー気質なんだよなんで正々堂々お付き合い始まっちゃったのかぜんっぜんわっかんねーんだよ……!」 「嫌ならば断わればよかったのでは?」 「正論嫌いだっつのーおれだってそう思うっつか結構断った。嫌ですって。そういうんじゃないんでって。こちとらストーカーで大満足なんでって」 「じゃあ何故恋人なんて関係に収まってしまったんです?」 「……だってさぁ~~~」  頭撫でて抱きしめてくれるって言うから。そんな餌ぶら下げられたら、どんな条件だって断れない。だっておれは愛に飢えたメンヘラだ。  思わずあの日のことを思い出してしまい、両手で顔を覆いながら喚いてしまう。  ストーカーがバレて何故かレストランに拉致られて、そんで意味不明すぎる恋人の誘いを受けた日。約束どおりおれをお持ち帰りしたヤルマリは、本当におれがもういいから勘弁してって懇願するまでただひたすら甘い言葉吐き出しながらおれの頭と言わず全身を撫でまわして、あの素晴らしく最高な身体を密着させてぎゅうぎゅうに抱きしめてくれた。  幸せで死ぬ。まじで死ぬかと思った。なんならちょっとよだれ出た。  おれのだらしない口を笑ってぬぐったヤルマリは、アンジュはとっても格好いいのにちょっとだけ残念なところがかわいいよね、と笑ってどろっどろのキスをかましてきて――ああいや、その話は思い出さなくていい。職場なのに勃起しそうだから封印だ。つかあいつのキスまじでエロくてダメなんだ……結局あの日も勃ってんのがバレてそのままなだれ込んでしまった。いやセックス好きだから別にいいんだけど、ヤるたびになんかイク回数増えてる気がして若干どころかかなり怖い。  おれは依存体質だ。バリバリの恋愛依存メンヘラ野郎の自覚はある。だからなるべくなら距離を取っていたいのに、ヤルマリ・カンガスはそんなおれの心情を一切合切スルーして『でもぼくはアンジュを甘やかして、アンジュとセックスしたいなぁ』なんて笑って抱きしめてキスしてくるのだ。  ひぃぃ……マジで無理。溶ける。死ぬ。毎日死ぬほど好きって実感しちまってもう同じ空間で息をするのも若干辛い。  割と本気でぜぇはぇしながら以上のことを訴えたというのに、やっぱりリウは表情一つ動かさ――いや珍しく引いてんな? ひでーな? でもまぁおれも自分に引いてるから、リウの気持ちもわかるわ、わはは! 「理由はどうあれ、始まってしまったものはどうしようもないですよ。さっさと恋人の存在に慣れてください、仕事に支障が出そうです」 「わっかるーーーーおれもそう思うわーーーーでも無理っすわーーーー人生二十、えーとおれ何歳? 七だっけ八だっけまあいいや二十数年よ、生まれてこの方順風満帆な恋愛なんてもんとは無縁なのよ! リウも知ってんでしょうがよ。くっつくのは容易なの、おれってね、ほら見た目はわりとマシだから。でもその後がもうクソ、最悪、てんで駄目!」  そこそこの男前だ、という自覚はある。日本人にしちゃ背も高い方だし、デブじゃねーし、自分で適当に切るせいで今は切り裂かれた暖簾みたいな髪型になっちまってるけど、それでもナンパも告白も大概成功する。ただし、成功した後が駄目だ。もう、駄目としか言いようがない。  何が悪いのってそりゃ相手じゃなくておれの重すぎる恋情なわけだが、要するに破滅的な恋愛経験しかないから普通のラブラブな恋人関係に免疫がなさすぎる。  いつだっておれの愛の方が重い。追いつめて追いつめて迫って欲しがってドン引きさせて駄目になる。我慢ができない。自制心がない。手が届く場所にあるとマジで駄目で、秒で依存してしまうのだ。  だからおれは、恋人なんて作らない。作りたくない。向いてない、本当に。  それなのにヤルマリという男はふわーっと笑って強引におれの手を引き寄せやがった。  あの海辺のシーフードばっかりのレストランで、おれは早くも絶望に打ちひしがれていたのだ。どうせこの恋も三日で終わっちまうんだろうなぁって。だって今までもずっとそうだったから。  ……しかしながらあの鳥類学者は、おれが今まで付き合った男たちとはちょっとだけ毛色が違う、ような気がしてきた。  というのもうっかり恋人になっちまったその日、『何かぼくに要望とかあれば善処するよ?』とえらく優しく訊かれたのでもうどうにでもなれと思った自暴自棄なメンヘラストーカーことおれは、『あんたの生活音がほしい、ぜんぶ』とストーカーらしい普通の人間ならちょっとどころか相当ドン引くセリフをぶちかましてしまった。そしてヤルマリはといえば、盛大に笑った後に何故か爽やかに快諾しやがったのだ。  いや嘘だろ。  盗聴器仕掛けさせてって言ってんだよ? 普通断るだろうがよ。  と、おれの方が面食らって言葉どころか息も忘れそうになった。ヤルマリの豪快な爆笑が可愛くて死にそうだったせいもある。  ヤルマリ・カンガスはジェントルマンだ。  大体誰にでもふんわりと優しく、大して怒らず、頭も良くて顔も広い。そしてチャーミングかつキュートで筋肉もある。完璧。およそ恋人として完璧な男だ。  あんなに完璧でモテるのに、なんでおれなんかを口説いてきやがったのかさっぱりわからない。その上ストーカーの要望をさらっと快諾する変人っぷりだ。……おれはおれのことを相当変な生き物だと認識しているけれど、もしかしたらヤルマリも相当な変人なのかもしれない。  普通の男じゃないなら、もしかしたら恋は続くのだろうか。  そんな希望的すぎる妄想がちらっと頭をよぎり、いやいや無理だろ無理無理、だっておれだよ? 阿佐ヶ谷庵寿だよ? と、妄想を打ち消して自嘲する。  朝から耳に突っ込んだままのイヤホンからは、ギコギコと金属が擦れるような耳障りな音が零れてくる。錆びた自転車をヤルマリが漕ぐ音だ。自転車もらったんだけど壊れかけなんだよねぇ、と眉を落として苦笑する様を思い出し、胸がグッとつまって内臓がオエッと口から出そうになる。どんな小さな一言でも全部が好きで、あたまがおかしくなりそうだ。  今日は午後から出勤だっけ?  なんか向こうもおれが生活音聞いてることに慣れ始めたらしく、チャットアプリで『おかえり』って送ると、普通に声で『ただいまー』と返ってきたりする。  同じカリフォルニア在住とはいえ、結構距離は離れている。それなのになんか、こう、同棲してるみたいな距離感ができちまってて、ひぃ……無理……とまた全身をかきむしりたくなってしまうのだ。いやおれが勝手に盗聴してんだけど……おれが悪いんだけど……。  リウの言うように、せめて慣れたい。  恋人になっちまったもんは仕方ない。どんな未来が待っていようが、それが破滅だろうが、とにかく現状は恋人同士なのだ。慣れるしかない。  そう決意した直後にヤルマリが軽やかに通行人に挨拶する笑い声が耳から飛び込んできて、いや慣れねーよこれ、と思い直す。  おれの良いところは若干整った顔と、そこそこハイスペックな脳みそと、仕事に真面目なところだけだってのに。このままでは顔がマシなだけの屑だ。 「仕事……仕事頂戴よリウ……せめて何かに集中してお花畑野郎から脱却してーのよ……」  優秀でソークールな助手に縋りつくと、ため息を飲み込む仕草をわざわざ一つ挟み込んでから、とても嫌そうに目を細める。 「と、言われましても。オックスフォードからの論文の精査は返信してしまいましたし、アサガヤさん個人のお仕事はほとんど片付けてしまいましたよ。実証実験は上の許可待ちですし……今月号のサイエンスでも読んでいたらいかがです?」 「もう読み切ったっつの。二回読んだっつの」 「では、学生の研究論文の採点などは?」 「あー…………あー、うん、それはリウのほうがいいんじゃない?」 「私がやってもかまいませんが、アサガヤさんはお仕事をお探しなのでしょう? というか、先生は学生との接触を避けますね? なぜ?」 「リウはがつがつ踏み込んできやがるねぇ」 「せっかく貴方の下につけたのですから、機会は積極的に使わないといけません」 「おれのことそんなに好きなのリウだけよ~。リキもまあまあおれの信者だったけどねぇ」 「いはま独り占めできて大変すばらしい環境です。ところで先ほどの疑問への回答は?」 「……おれあんま優しくねーからさぁ。アジア人だし。東の人間が偉そうにズバズバ言葉投げてくんの、若いアメリカ人は腹立つでしょうよ。この前も喧嘩売っちまったし」  その上おれはどう見たって若い。実際に学会の中でもぶっちぎり最年少だ。学歴をぶっとばして最短コースで出世したツケは、なんと『年を取っていないから信用できない』という意味のわからねー因縁となっておれに降りかかっている。  絶妙に眉をよせたリウは『この前……?』と顎に手を当てた後に、思い出したように声をあげた。 「ああ。アサガヤさんが評価したレポートに異を唱えた学生の件ですね。誰がどう見ても、アサガヤさんは正論だったと思いますが。何より彼――スコットは、学友であるはずのペドロを能力以外の要素で差別していました」 「ラテンアメリカの血がてんこ盛りって感じだもんなぁペドロ……おれは人種なんかにこだわんの馬鹿じゃんって思ってる派だけど、日本人は日本人以外全部外国人って括りだからだろうよ。民族の争いも歴史も感情もわっかんねーけどさぁ、そんな生まれみたいなどうしようもねーもんを頼りに因縁つけてくるヤツを評価する馬鹿なんかいんの?」 「まあ、白人贔屓の教授の噂は聞きますよ」 「うっへ、まじか。まじで。あー……そりゃペドロに悪いことしたかなー」 「なぜ?」 「他民族に目を付けられるような派手なことをした。評価なんか表に出さずに、ひっそりと書類上でつけときゃよかった」 「……ですが、ペドロは貴方に感謝していましたよ。私はアサガヤさんの公平な判断を評価します」 「リウはおれに甘いねぇ~男だったら秒で落ちてそうだわ、うはは」 「ならば私は女の遺伝子を生まれてきて良かった、と思えます。私はできることならば一秒でも長く、貴方の助手でありたいので」 「私となら恋愛もうまく行く、とは言わねーの?」 「残念ながら、恋愛面での先生の情緒の面倒を見る自信はありません。それはオオソリハシシギの学者様にお任せします。……やることがないのならばデートにでも出かけては? ここから彼の大学までは、ニュージーランドに行くよりは近いのでしょう?」  おれがあーだこーだとヤルマリの話を垂れ流すせいで、ヤルマリと会ったこともないリウは、すっかり彼のことに詳しくなってしまっている。おれがちょっとだけ三木原俊樹という人物について詳しくなっているのと、たぶん同じ感じだ。 「デートの約束は明日してっから今日は我慢すんのー。てか向こうがたぶん今日ディナーに誘われる。サマンサがケネディに振られたからね、たぶんあれ再アタックするわ」 「恋敵の出現ですか。波乱万丈ですね」 「つかおれの方が間男かもよ? 何せ向こうは五年の付き合いだかんなー。明日振られちゃったらどうすっかなぁ、それでもここ数年の恋人期間最長記録だけどな、一週間」 「先生の恋愛が末永く続くようにお祈りしておきます。デートはどこへ?」 「んー。えっとねー……観覧車? に付き合ってほしいって言われてんだけどどこに連れてかれんのかは知らん」 「……また、なんというか、レトロなデートですね」 「別にロマンチック求めてるわけじゃないんじゃね? だってヤルマリ、高所恐怖症だし」 「………………鳥の研究者なのに……?」 「いやおれもそう思う」  実際ちょっと笑ってしまった。  渡り鳥の研究者ってやつは、どうやら崖も登るらしい。ということをドキュメンタリー番組の知識として得ていたし、実際ヤルマリが崖を登っている映像をどっかで見た記憶がある。  実はね、ぼくね、高いところダメでねぇ……ちょっとアンジュ、ぼくの高所恐怖症克服プランに付き合ってさ、隣で手を握っててくれないかなぁ?  なんて苦笑いしながら両手を合わせるもんだから、押し倒してキスしまくりたい衝動と膝から崩れ落ちて溶けそうな感情と戦ってわけのわからない変な声を出してしまった後に、天井を仰ぎながら快諾する羽目になった。可愛いかよ。可愛い。ヤルマリ・カンガスは可愛くてずるくて卑怯だ、おれの恋情がドロドロになっておれの身体にまとわりついて、身動きなんかできなくなる。  はー……好き。大好き。マジで好き。  おれの世界は基本的にはモノクロで、っていうか真っ黒で、ほとんどどんな人間にも興味がなくて、色がついてるのはごく少数の知人くらいだ。  その黒い世界で、ヤルマリだけが柔らかい色を放っている。眩しくて目がつぶれそう。でも、まぶしいからこっちに来ないでよとはもう言えない。おれは彼のまぶしさを手放せない。  ……明日振られませんように。できることなら、もうちょっと、一秒でも長くヤルマリの隣をキープできますように。  結構本気で祈ってることは、たぶんリウにはバレてるけどヤルマリにはバレていないはずだった。

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