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面倒くさいから結論から言うと、おれは拉致られたものの、周りの尽力のおかげさまで早急に救出されてかすり傷ひとつなく解放された。
阿佐ヶ谷庵寿誘拐事件のスピード解決に一役どころか三役くらい買った貢献者は、赤い目をした柳梓萱と、顔を真っ青にしたヤルマリ・カンガスだった。
うはは、赤と青でお似合いじゃん。なんて軽口をたたく気力と無神経さはさすがになくて、二時間の無駄な聴取からやっと解放されたおれはふらふらとベンチに座る二人の前に立ち、おつかれ、と声をかけようとした後に少しだけ言葉を変更して、あんまり口にしたためしがない日本語を選んだ。
「……えーと、……ただいま」
放心していた二人の反応は、無い。
あれ? おれ、言葉のチョイス間違えたか? 二人とも日本語わかんだろ? おかえりただいまいただきますは日本の素敵単語だろ? おれあんま縁ないからつかわねーけどさ。
すごい久しぶりに口にしたんだからリアクションかえせよ……と眉を寄せていたんだけど、ゆっくり立ち上がった二人がほとんど同時にわーッと抱きついてきて眉間の皺どころじゃなくなっ……なんだよおまえら暑苦しいな!
「ちょ、落ち着……っ、いた、いてぇっつのッ……!」
「良かった、良かった、良かったですアサガヤさん五体満足ですかどこもお怪我はありませんか脳は言語視野はご無事――」
「アンジューーーーー! あーーーびっくりした! びっくりした! 心臓止まるかと思ったよもう! もう、本当に、無事でよかっ……!」
「落ち着けっつってんだろ……」
まぁ、その、悪い気分じゃないけどさ。ただ心配をかけたんだな、と実感してしまい、なんとも言い難い自己嫌悪がじわじわと這い上がるから、二人とも落ち着いておれにわかる言語を話してほしいと思う。
良かったとか無事かとか喚いてるのはわかるが、パニックしてるらしいリウとヤルマリの口から溢れ出す高速の中国語とフィンランド語を同時に完璧に理解できるほど、おれはいま元気じゃない。
「プリーズ、スピーク、イングリッシュ」
わざとゆっくり区切ったカタカナ発音の英語を吐き出す。やっとおれの体から離れたリウは(ヤルマリは抱きついたままだ暑苦しいしまじで勃ちそうになるから離れろくそが)、おれと同じようにアジア訛りたっぷりにわざとらしい英語を並べた。おれとリウの、いつものふざけた英会話だ。
「イエス、アイキャン、スピーク、イングリッシュ。……アイム、リリーヴド」
付け加えられた『安心しました』の一言に、彼女の感情すべてがぶっ込まれていた。震える息から、泣き腫らした目から、リウの動揺と安堵がいやでもわかる。
悪いことしたなぁ、と久しぶりに反省する。まぁおれが悪いんじゃないんだけど、飲みかけの冷めた珈琲を面倒くさがってそのまま飲んだのはシンプルにおれのミスだ。外じゃ絶対に飲み物置いて離席なんかしないのに、ラボだからって気を抜いていた。
リウ帰ってこねーなぁとチラッと気にしたのに、確認をしなかった。なんか人いねーな、と思ったまま放置した。
小さなミスが重なって、結局おれはまんまと珈琲にぶちこまれた睡眠薬に意識を飛ばされ、ヒロインよろしく拉致られてしまったわけだ。
おれを拉致した悪党は、なんと過去の元カレでも、もう顔も忘れた親類でもなく、微塵も知らない白人男性グループだった。どうやらおれはスコット――しばらく前に公衆の面前でおれが詰めちゃった学生だ――に逆恨みされて、彼のお仲間に誘拐されちまったらしい。
これにはちょっとびっくりした。おれが刺すなら元カレ、刺されるなら親族だろうよ、と思っていたから。
おれが比較的迅速に解放されたのは、どう考えても目の前の二人のおかげさまだ。
リウは昼食後突然閉められたラボに不信感を抱き、おれ(に偽装した誰か)の予定変更の書き置きを一切信じずにすぐに警備を呼びラボを開けて、机の上に転がってるイヤホンを見つけて青ざめた(らしい)。
それはここ最近、おれが肌身離さず耳につっこんでいるイヤホンだった。そう、ヤルマリ用盗聴イヤホンだ。いや本人の許可はとってるから合法なんだけど。
そんなクソほど大事なものを、おれがそこら辺に放り投げておくわけがない。財布を忘れて出かけても、アサガヤさんがこのイヤホンを放り投げて消えるなんてありえない。これは一大事だ。アサガヤさんの身に何かあったに違いない!
と素晴らしい観察力とおれへの理解力と推理力を発揮させたリウは、見事正解に辿り着いたものの、そっから大変だった(らしい)。
ラボの監視カメラはなぜか故障していた。大学自体に怪しい人物が進入したような形跡もない。アサガヤ・アンジュはたしかに見当たらないが、用事を思い出して席を外しているだけでは? ていうか数分くらい連絡取れないだけで誘拐扱いはどうなのよ。まさかそんなことないでしょう、アジア人はマジでヒステリックで面倒くさいな……などと言われたかは知らんけど、当たらずも遠からずだろう。
けんもほろろに訴えを退けられたリウが次に頼った人物こそ、いまおれにまとわりついて離れない恋人こと、現在カリフォルニアに滞在中の鳥類学者だったわけだ。
ヤルマリがどうやって警察と大学を動かしたのかは知らんし聞いてない。それはリウも知らないらしい。まぁとにかく白人の権限か、大学の繋がりか、それとも別の人脈的な奥の手か、どれかを使ってヤルマリはおれの救出に成功したわけだ。
おれは痛いのは嫌いだし、いまのところ死にたいとも思っていないから、リウとヤルマリには結構まじで感謝しているんだけど。
「あー……心配かけて悪い、と、思ってるけど、いい加減離してくんない……?」
……感謝、してるけど、それとこれとは別問題だ。
つーか、実はまだ分署の目の前だ。抱きついたままのヤルマリを引きずり、ふらつくリウを追い立ててなんとか分署からは出たものの、ゲイカップルが正々堂々いちゃついていい場所じゃない。
人間みな平等に人権があるなんて言葉は建前で、自由の国アメリカにだって偏見と差別はある。どうにか頑張ってヤルマリを引き離そうともがくものの、着痩せするマッチョはおれの抵抗などモノともしない。くそ。脱いだらすごい筋肉は大好物だが、いざ力比べになると最悪だ……。
「ヤルマリ、離せってば」
「だって! 心配したんだよ! もー、ほんと、誘拐って何、きみは本当になんでそう、予想外なんだろう……! ぼくの期待を裏切るどっきりエピソードはもっとかわいいやつでお願いしたいよ! アンジュが悪いわけじゃないんだけど……!」
「いやおれが悪いっしょ……そもそも他人に喧嘩売らなきゃ始まらなかった話だし」
「アサガヤさんは喧嘩を売ったわけではなく、正当に指導をしたまでですよ。完全なる逆恨みです」
「ほら彼女もそう言ってるしアンジュのせいじゃないよ! あー、もう、生きた心地がしなかった……本当に本当に無事で良かった……」
痛いと喚いたおかげでなんとか腕からは解放してくれたものの、過保護な飼い主と化しているヤルマリはおれの手を掴んだまま、はーーーーっと長い息を吐く。
…………なんかこう、そんなに? と思ってしまうおれはやっぱり変なんだろう。人の心がないことは承知しているので普段は人間に擬態してなんかそれっぽい言葉を適当に吐くんだけど、この時のおれはやっぱり冷静じゃなかったらしく、ついうっかり本心が顔に出ていたらしい。
おれの顔をじっと見つめたヤルマリは、少し不安そうに眉を落とす。
「あー……ごめん。さすがにちょっと、騒ぎすぎだよね」
「あ、いや、違う違う。別にうざいとか嫌だと思ってねーから! いや離せよとは思ってるけど気持ちは嬉しいし、えーとなんつーか、ほら、大事な人みたいに扱われてびっくりしたっつーか……」
「…………大事な人だけど……?」
「…………」
「…………………」
あ、やべ。
いまの完全にまずった。
と気が付いたのは、ヤルマリが五秒くらい固まったからだ。
やばいやばいやばい、違う違う違う、えーと違うそうじゃない、おれはほらちょっと振られるのに慣れすぎてて自分なんかどうせ好かれないって思いこんでるとこがあって、それってヤルマリに対してすっげー失礼だよなってことはちゃんとわかってるつもりで、だから好きって言ってもらえる言葉をちゃんとこう、しっかり大事に受け止めるようにってちゃんと思ってて、でもほら慣れないってーか、信じてないわけじゃなくておれなんか~みたいなクソみたいな考え方が沁みついちゃってるっていうかちげーんだってマジで……!
って言葉は何一つ声にならなくて、心臓バクバクしちゃって、涙滲みそうになって違う、違う、おれちゃんとアンタのこと好きだし大切だしアンタの言葉もちゃんと大切にしてんだよって言いたいのにうまく言葉になってくれない。
そのうちヤルマリのフリーズが溶けて、そっと手を離された。やめて泣きそうさっきは離せって喚いててごめん離さないで嫌いにならないでここに居てお願いしますの気持ちだけが焦って募って死にそうだ。
「あ、違、おれ、ちゃんと、その……っ」
「……うん。大丈夫、別にアンジュの気持ちを疑ったりはしてないから平気だよ、でもちょっとごめんね、五分待ってもらえる?」
「…………ごふん……?」
なにそれこわい。
って思ってるおれの前で、携帯取り出したヤルマリはどこかに電話をかけ始める。どこかっていうか、いまちょっと見えた画面に並んでいた名前は、某イタリアのレモンシロップ会社の若社長だったんだけど、え、何、いまアデルノルフィ氏に電話する流れだった……? なんで……? だめだ、さっきのパニックがやばすぎてあたまがうまく働かない。
「あ、ごめんね今大丈夫? 実はちょっとね、お願いがあって――、勿論! お礼はたくさん用意するよ! この前時間ないからって断っちゃった買い物だってなんだって付き合うし……え? あ、そんなんでいいの? じゃあお言葉に甘えて――……」
あたまがおかしくなってるおれは、断片的な言葉しか拾えない。なんかホテルがどうとか、予約がどうとか、そんな言葉が聞こえてきたようなこなかったような……気が付いたときにはヤルマリは笑顔で携帯に向かって別れの挨拶を告げていて、その後はおれじゃなくて何故かリウに向かって声をかけた。
「ミス・リウ、申し訳ないんだけどアンジュのえーと、欠席? 休暇? 有給があるならその申請をしてもらいたいんだけど、問題はある?」
「イエス、ヤルマリ。一切の問題はありません。一週間ほどでよいでしょうか?」
「うーん、それはさすがに彼の仕事に影響ありそう……でもまあ、あんな事件があったばかりだし、三日くらいはきっとゆっくり休んでも怒られないよね?」
「勿論、問題ありません。私もアサガヤ先生の休養を強く望みます。ではとりあえず三日で申請を出しておきますが、どうぞ変更等ありましたら遠慮なくご連絡ください。こちら私の連絡先となります」
「わぁ、ありがとう! わざわざごめんね、一応チェックインしたら場所だけ送っておくね」
「お気遣い感謝いたします。こちらの手続きはお任せください、どうぞごゆっくり」
話が早いできる助手は、いつもより相当晴れやかな笑顔でヤルマリに向かって頭を下げる。おま、そんなメイドみたいな仕草できんのかよおれにはもっとぞんざいじゃねーか……と文句を口にする前に、おれはヤルマリに柔らかく、そして絶妙な強引さで手を引かれて歩き出す。
「え、ちょ……休暇? 何、どこ行くの、待って待ってヤルマリちょっと、待てってば……!」
「待たないよ~無理やりねじ込んでもらったチェックインの時間が十分後だからね。いやぁ、トモダチが酔狂な金持ちで良かったよ。ちょっと飲みに付き合うだけで、ブティックホテルを秒で予約してくれるんだもの。今度どこか行ったらお土産買わないとだねぇ……まあぼく、アラスカとニュージーランド以外あんまり立ち寄らないんだけど……あ、そうだアンジュ、今度どっかに旅行に――」
「待っ、て、待て待て本当に待て! 何!? ホテル!? え、おれ今からホテルに軟禁されんの!?」
「人聞きが悪いけど、うーん、そう言われちゃうとまぁ、うん、そうかな?」
「え、なんで。え? やっぱ怒ったの? おれが、あの、ヤルマリを信じてない、から……?」
「いやぁ、そういうわけじゃ……って言いたいけど、ちょっとだけそうかも。勿論アンジュが本当にぼくの言葉を拒絶してる、とは思ってないんだけど、でもやっぱりきみは愛されることに慣れてないし、全然実感わいてないみたいだし。そしたらもう、叩き込むしかないかなぁと思って。というわけできみがぼくの愛を信じるまでセックスします」
変な声出そうになった。こんな道のど真ん中でセックスとか言うな馬鹿、ときめきすぎて死にそうになったし泣きそうになったし感情がごちゃごちゃでもうわけがわからない。
わけがわからないおれは、とりあえず感情は一旦横に置いておいて、すっと浮かんできた不安だけを口にする。
「…………それ、一生部屋から出れなくない……?」
「そこに自信持つのやめてもらえないかなぁ」
柔らかい苦笑いが、頭の上から降ってくる。ふふふ、と笑うヤルマリの声の軽さが好きだ。少し落ちる眉が好きだ。笑うと甘くなる目元が好きだ。全部好きで、大好きで、でもやっぱり見た目とか声とかよりもおれのこと好きだよってめげずに伝えてくれるところが好きで、好きすぎて涙出てきた。
慣れた様子でおれの涙をぬぐったヤルマリは、頬を両手で包んで真正面から笑う。
「好きだよ、ぼくのアンジュ。愛してるんだ、信じてね。ぼくはきみに、もっともっと甘えてほしいよ。そしてその格好いい顔で彼氏ヅラしてほしいんだ」
大好きだよ、という言葉が降ってくる。ストレートでシンプルでこの上ない愛の言葉に、隠れることも誤魔化すこともできなくなったおれはやっぱり泣いてしまった。
おれだって好きだ。大好きだ。でも言葉にならない、声を出したら全部嗚咽になりそうだ。
本格的に泣きだしたおれを抱きしめたヤルマリは、苦笑しながら『あー、いまの、ベッドの上で言うべきだったねぇ』と零す。全くだ。なんでこんな道のど真ん中でラブロマンスさせられたんだおれ。少女漫画か。勘弁してほしい。でもそういう場所を選ばずに全力でおれを抱きしめちゃうところも好きだ。
ぼろぼろと涙がこぼれるのに笑ってしまって、情緒がクソだ。相変わらず頭も働かない。今のおれはポンコツで、たぶん遺伝子工学者と名乗ったら笑われる程度の知能しか働いてなくて、だからただのヤルマリのことが好きなだけの男でしかない。
それでもきっと好きだよって笑ってチューしてくんだろうなこいつ。だっておれなんかのこと愛してるって真面目に言っちゃうわけわかんねー変人だから。
「……ヤルマリ」
「え、なに? あ、歩くの速い? もうちょっとゆっくりにしようか。ていうかどこも悪くないって言ってたけど、本当に病院行かなくて大丈夫?」
「平気。そんなことより情緒がクソ過ぎて死にそう。好き。吐く」
「その、あー……感極まっちゃうと吐きそうになるの、なんでぇ……?」
それでもちゃんと足をとめて大丈夫? って覗き込んでくれるから、はー好き大好き本当に好きって気持ちだけでもう理性とか全部ほんなげてキスをした。
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