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クーデターの日 5
前方が奇妙に明るい。アルヴァは目をすがめた。
「傷つけたのか? 彼のことは丁寧に扱えと命じていたはずだがね」
状況にそぐわない、ゆっくりとした馬の足音。
耳に入った声は、よく響くバリトンである。甘さをはらむ柔和な声音。
声の方向にはいくつか松明が焚かれている。衛兵らしい者に周囲を守らせている男を中心にした一団が近づいてくる。
部下の騎士達は、その様子を見て攻撃の手を止めた。かかげている旗が、味方の証である王国軍のものだったためだ。
「サー・アルヴァドール・シャソン、近衛師団及び王室属親衛隊隊長」
紙面上でしか用いない肩書を、歌うように舌先に絡ませて長々述べながら、声の主が進み出てきた。
その男は軍装を身に着けておらず、豪奢な上着をまとった貴族風の装いである。
兵が持つ松明に照らされた顔は、壮年の頃の齢か、アルヴァよりも一回りは年上だろう。
品良く撫で付けた乾いた色味の暗いブロンドに、彫りの深い顔貌は整っており、冷たい知性を感じさせた。笑みは穏やかだが、佇まいに何か違和感がある。
「……何者だ」
衣装はたしかに上流階級らしい高貴さであった。
しかしその眼は、単なる貴族だとは思えなかった。どちらかと言えば軍人であろう。隙のない視線には、武門よりも策謀に長ける、感情を読ませない冷徹な色を宿している。
「この不毛な戦いから引き上げるように伝えに来たのだよ」
落ち着き払った柔らかなその声は、どこか空虚で感情に乏しい。
「私は名を名乗れと言っている」
言い放った声は、空気が痺れる硬い語気であった。
アルヴァは熱を持ち疼きはじめた左肩を庇う素振りを見せず、平時のように背を真っ直ぐに伸ばしたまま男を睨む。手には大槍を構え、戦闘の姿勢を崩さない。
「バルドメロ・ナヴァスケス、ディミトリ殿下の友人だ」
その含み笑いはアルヴァの耳朶を逆撫でする。
ディミトリ──セフェリノと王位継承権を争っていた、兄にあたる王の側室の子である。
出自よりも、能力によって嗣子を決めようと考えていた国王の思慮によって、ディミトリもまた候補に挙げられていたが、元より浪費家であり女性関係にだらしない放蕩ぶりが露呈した。
その他にも、私財を肥やすための詐欺まがいの行為や、市井の娘を妾に取ろうと恫喝するなどといった問題を起こしていることが発覚し、彼は庶子に降ろされた。
その後、王族の名を汚しかねないとして、王都から離れた領地を与えられて事実上王宮より追放された形となる。
彼が今どうなっているのか、アルヴァは知らなかった。
「……セフェリノ殿下の命を狙っているのではあるまいな」
ディミトリが、正式な後継者となったセフェリノや、国王を憎んでいると考えてもおかしくはない。このクーデターの首謀者である可能性も考えられる。
「それはどうだろうね。親衛隊長の行動次第だよ」
鷹揚な足取りでアルヴァに近づく。
「君が私の元に来るのならば、王太子殿下の命の保証をしよう」
「貴殿がその口約束を守りうる根拠を示すべきだ」
貴族風の男は、返答の前に、揶揄とも苦笑ともつかない笑い声を洩らした。
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