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クーデターの日 6

 芝居がかった、大仰で勿体振った口調と、耳にねばりつくような低く甘い魅力的な声。  アルヴァは無意識に眉根を寄せていた。謀を弄する者特有の回りくどい物言いには、本能的な部分で忌避感がある。不愉快だ、と唾棄したくなる衝動を抑える。  気づけば、男は手が触れそうなほどの傍に寄って来ていた。 「愛しいサー・アルヴァドール、賢い君ならば理解できるはずだがね。私にはその力があるのだよ」  グローブをはめた指が顔に伸びてきたのを、反射的に得物のない左手で振り払おうとして激痛に襲われた。アルヴァは顔に出さないように歯噛みして、一瞬息を詰める。  素性の知れぬ者とはいえ、武装していない相手を傷つける程無粋ではない。  アルヴァは頬を撫でられる感覚に、ぞわりと肌が粟立つのを感じた。背筋に寒さが走る。  王宮に出入りしていたと思われるこの男の事情は知らないが、アルヴァにとっては初対面である。それにも関わらず『愛しい』などとうそぶく。 「ナヴァスケスといったか──私と貴殿は、了承も得ずにこのような接触に至る間柄ではないと存ずるが。……これは、無礼な行為だと思われぬか」  アルヴァが放った平坦な声には、何の感情も含んでいない。  しかしそれは人の上に立つ者が、咎を責めるときの凍りつくような声音であった。  彼を隊長と仰ぐ騎士達は、理知的な言葉と疑いようのない強さと、何よりその美貌による有無を言わせない睥睨を敬い、恐れる。  対する男は、アルヴァにおだやかな微笑を向けながら、指をすべらせ頬から顎を撫ぜる。膚に触れた、シルクのぬめらかな冷たさが不快だった。 「君は息も止まるほどに美しいな」  口端に笑みを張り付けたまま、令嬢を口説くときに用いる言葉が吐き出された。  それを聞きながら眉根をさっきよりも深く寄せる。感じたのは明確な苛立ちだった。  もてあそばれているのか。  男の一挙手一投足が神経に障った。だが、男の思惑ならば、流されるべきではない。  傷からじわじわと流れる血が、指先を冷やしていく。  ともかく、早く取引を進めなければならないとアルヴァは断じた。 「……この状況だ、セフェリノ殿下の身の安全を保証できるというなら乗ろう。但し貴殿の立場と、詳細な方策を明らかにして頂きたい」  静かだが言葉の端に含まれた微かな怒気に、部下の騎士達は息を潜ませていた。切迫した状況もありアルヴァは、かつてない剣呑さをまとっていた。  わずかにも頬を緩めず、凍りつく視線で睨めつける顔から、男は名残惜しげに指を離した。 「私は国王陛下より爵位を賜っている。兵も私の手の者だ。国への叛意がないことは我が名に誓おう」  気圧された風もなく述べられた、絢爛な装いに相応しい口上は、あらかじめ用意した文言を読み上げているようにも聞こえたが、真に迫っていると思われた。 「しかし講じる策は今は教えられないな。言った通り、王太子殿下の身は私が保証する。追手の届かないところにお連れしよう」  アルヴァはその声を聞きながら、唐突に訪れた感覚に怪訝する。  目の前の景色が遠ざかっていく。天地が逆さになるような目眩が襲った。  ──矢に痺れ薬でも塗られていたのか? それにしては回るのが遅すぎる。  霞む視界を睨み、口を引き結んでいたが、ついに姿勢を保てなくなった。鞍から座が滑る。ずるりと体が揺れた。  物々しい音を立てて、手から離れた槍が地面に落ちる。 「それから私のことはバルドと、親愛を込めて呼んでくれたまえ」  上腕を掴んで支える、男の想定外に硬い大きな手の感触。力が抜けていく体を引き寄せられて、耳殻に男の唇が触れた。  無声にも近いほど低められた、喉の奥で掠れる囁きは、まるで神経に直接吹き込まれるようだった。  甘美な毒をはらんだ官能的な声音が、体の内側を愛撫する。  この男は危険だ。  意識を手放してはならないと叱責するが、アルヴァは外的要因による強制的な変化に抗うことができなかった。 「親衛隊長は、出血と疲労で戦闘を続けられないようだ。私が救護しよう」  そう深い声が響いた。  白々しい、と吐き捨てたかったが声にならない。 「残る騎士は、私の手勢と合流し戦場を脱するように」  命令する声は、最早アルヴァの耳には入っていなかった。  全てが遠ざかっていく中、あがこうとする意志も虚しく、視界が暗転する。

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