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追想 3
闘技場で二人の騎士が、剣を携えて丁重な拝礼の姿勢をとっている。
中央には、巨大な戦神の像が鎮座していた。
試合の前に、戦神への畏敬を示し守護を祈願するのが、この祝祭の通例である。
それから彼等は離れて立ち、互いに構えを見せ合う。
アルヴァと対するのは同じく若い騎士であった。名も顔もよく知れている貴族の子息である。
剣を片手に立ったその風格は立派であるが、姿勢は緊張感に欠け、やや浮ついた形ばかりの構えにも感じられた。
前方に立つ、名も知らぬどこぞの卑賤の者が、自分に盾突くはずがないと見くびっているようでもあった。
高らかに開始の合図が下される。
二人はすぐには動かなかった。相手がどう出るかと様子を窺うように油断なく視線だけを配っている。
セフェリノは固唾を呑んで、座席で体を小さく縮めていた。
アルヴァの身を案じているのではなく、相手の貴族の倅を起き上がれないほど打ちのめすではないかという心配だった。
当人よりも余程気を張り詰めさせているその隣に、誰かが腰掛けた。
「それほど体を堅くされずとも、アルヴァは上手くやりますよ」
砂色に近い銀褐色の髪に、深いグリーンの目をした青年。
見物に来ている貴族に紛れるような装いをまとった物腰穏やかな人物だ。
彼は、古くから王国に敬虔に尽くしてきた功績を称えて爵位を受けたといわれる、アラクス家の末子であった。
複雑化する権力争いに巻き込まれるのを避け、その青年──ローレンは家を出て、下級騎士に名を連ねることにしたのだと言っていた。
貴族と騎士の二つの顔を器用に使い分けられるのは、元来の聡明さがあるからだ。
「分かっているが、相手の騎士はフィディス子爵の子だろう。後で面倒なことにならなければいいけれど」
アルヴァと対している若い騎士は、ディシー・フィディスといった。子爵家の三男坊である。
騎士として認められてからまだ数か月程度で、経験をほとんど積んでいないにも関わらず、この御前試合に選ばれている。
どう好意的に解釈しても、実力ではなく血統で抜擢されたとしか考えられなかった。
「ディシーは少し揉まれた方が薬になります。骨の一つくらい折られるのが丁度良いでしょうね」
歯に衣着せない言葉は、装いに反して貴族らしくない。
出自に頼らず一人で立身を決めた彼には、貴族が王族に接するときの特有の諂 いを感じさせず、さっぱりとした振る舞いが好ましく見える。
ローレンは顎に触れながら、笑みに細めた視線を傍らにやる。
武芸の心得がある彼は、些細な仕草も洗練されていた。
「アルヴァは家柄しか取り柄のない男のやっかみなど、歯牙にもかけません」
信頼のうかがえる力強い声だった。
剣を交えた者同士の関係は、乾いているが結びつきは固い。
先に打ち込んだのは、ディシーであった。
二人が持っているのは、模擬用の刃を潰した細身の軽い剣である。
刺突にも軟すぎ、実戦には全く使えない物だ。
踏み込みと共に装飾の施された式典専用の剣が、日の光を受けて眩しいほど輝いた。
剣を構え、思い切りよく飛び込む姿は勇ましく、見映えはする。しかし姿勢は不用意に大きく、意識していない左脇に隙ができている。
アルヴァはその剣を受けた時、直立の体勢からほとんど動かなかった。
対峙する相手の騎士よりも、多数の視線から囲まれていることを気にするように最小の動きで切先をさばく。
祝祭の御前試合における特殊なルールでは、剣が体に触れれば敗北とされている。
それを理解しながら、アルヴァは相手の剣先が触れるか触れないかのぎりぎりで躱す芸当をしていた。
観客席からでは、動きの小さいアルヴァは、ディシーの激しい剣戟に押されていると錯覚する。
迷いのない攻撃は、見る分には華々しくも思われた。
空中に大きな銀色の軌跡を描けば、剣の柄や鍔に宝石が煌めく。
恐らく、師の見よう見真似であろう剣術は、形こそ様になっているが、実戦を想定しておらず重さが足りない。
アルヴァは、ディシーの剣先を見ていなかった。
視線は前に据えられていても、視界に入れているのは足運びだ。
常に全く同じ間隔で踏み出せば下がり、下がれば踏み込む。
どれだけ激しく打ち込もうと、互いの距離は変わらない。
一定の距離を保ち続けることで、間合いを正確に測り、避けるタイミングを見極めている。
そんな技巧に、最初こそまるで実力は拮抗しているかのように騙されていたが、対する騎士は手応えのなさを感じはじめた。
無遠慮な横薙ぎを、アルヴァは体幹を一切動かさずに手首だけで弾いた。
ディシーが踏み込む歩幅と全く同じだけ後退する。
やわらかい材質に、厚みのない剣身は撓みやすい。
振りかざされた高さを見て、直感と経験則から、アルヴァは斬撃に対し剣が水平になるよう角度を合わせた。
想定通りに当たれば、実用性のない剣であっても損傷なく弾き返せる。
「本気で来い!」
さしもの相手も、相対する男に転がされていると気づいて距離を取る。
そう言い放った声には苛立ちが感じられる。
「卿には、私が本気を出すほどの技量がないもので」
ディシーの顎から、汗が流れ落ちていった。
かの貴族の令息は、式典のきらびやかな衣装やアクセサリーにも霞まない、舞台役者めいた自信に溢れる容貌を憤りに染めている。
「俺を愚弄するのか?」
口端を引き上げながら、高貴な血筋の若い騎士を見やる。
「思ったことを言ったまでです」
挑発に乗せられ、ディシーは突きを繰り出した。
切先は剣の鍔に当たって、高い音を立てた。
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