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追想 5

 先達として若者を見つめる目は、厳然としながら穏やかだった。 「私がお前のために用意した舞台だ、お前の武威の勇躍を妨げるものはない。サー・シャソン」 「有難く存じます。元帥閣下」  フランシスは勝負のために闘技場に現れたわけではない。  以前より、若齢ながら類を見ない武術の腕と戦術眼に惚れ込んでいた。  彼が直々に認めたという戦績をアルヴァに与えるべく、国王陛下の御前での試合を買って出たのだ。  身体的には全盛期を過ぎ、武門としての位人臣を極めたフランシスは、世に出るべき才能を育てたいと考えていた。  審判が緊張した面持ちで間に立っている。  まだ騒然としている客席を背に、開始の合図を下した。  フランシスは悠然とした構えで待った。アルヴァは数歩離れた場所に立ち、腰をわずかに落とし視線の高さに切先を据える。  好戦的だが真摯な眼差しで、尊敬の念を込め対峙する。  観客席に静寂が広がっていった。どちらが先に動くのか、人々の全ての意識が闘技場の中心に注がれた。  地面を軽く蹴る乾いた音が、微かに空気を震わせた。  誘われる通りに、前へと踏み込んだアルヴァは先手を仕掛けた。  矛先同士がぶつかる金属音が高く響く。  それは挨拶程度の一合であった。  絡みあった視線によって、互いに次にどこに穂先が向くのか理解しきっている。  相手の片足が前に出れば逆側の脇を、一歩退けば一歩踏み込み、(きっさき)を突き出せば弾き返す。  戦歴の浅い騎士達では、全く歯が立たない速さと柔剛を兼ねたアルヴァの一閃を、フランシスは容易く見切っていた。  しかし、年功を重ねた熟達の騎士を前にしても、アルヴァに焦りはない。  緊張や切迫感よりも敬意を払う人物と手合わせできる喜びが先にあった。  フランシスとの間には、年齢と経験という決して縮まることのない隔たりがある。  頭一つ抜けた実力を称えられても、まだそこには及ばない。  風を裂く、高く硬質な音。  それが耳元に差し迫ったようにも思われた。  交わる先鋭の白い軌跡は、徐々に速度を増していた。一定のリズムを刻むようだった踏み込みが、不規則に複雑になっていく。  長躯を誇る二人の絢爛な衣装と、近づいては離れる目まぐるしい間合いの変化は、観客の目を楽しませた。  その鮮やかな芸当は一双の舞にも似ている。  四肢の運びを僅かでも誤れば、損傷をまぬがれない厳刻たる舞踏であった。  フランシスは、若き才能を王国全土に知らしめるために十数年振りに闘技場の土を踏んだが、アルヴァの独擅場とするつもりは毛頭ない。  息もつかせぬ攻防の中で、フランシスの突き出した尖端が胸郭の中央に迫った。  御前試合という場であっても容赦なく急所を狙う。  負傷すれば、アルヴァの技量はそこまでという厳しさで当たった。  (すんで)のところでそれを躱す。若い騎士には触れさせたことがない刃先が、肩口の飾りの端がわずかに切り飛ばした。  二撃目を防ぐために、相手の矛先を弾いた。長柄が交わる。  鉄がこすれ合う耳ざわりな摩擦音。  フランシスはアルヴァの頭頂から手先、足先まで所作の全てを悉さに見ていた。  類稀な才とは、どれほどのものか評価するために、時間をかけ全てを脳裏に焼き付けている。  槍という得物は、その全長から広い場所での戦いを想定したものだと思われやすい。種類によって用途はそれぞれ異なるが、今両者が手にしている直槍(スピア)は、熟練の遣い手によってリーチを自在に変化させる。  アルヴァは巧みに間合いを調整しながら、機を窺った。  攻勢が弛む一瞬、隙が生じることを理解しつつも素速く後方へ腕を引いて、腕力と遠心力で苛烈に打ち払う。  乾いた高音が響き渡った。  フランシスは手先の痺れに襲われる。アルヴァがその反動のまま大きく退った。  その間隔は、身長と加えてわずかに一歩。  手首を返し柄を掌の中で滑らせた。矛先が地面を摺るほどの末端に手をやる。  アルヴァは脚を開くと、石突を掴みながら回旋した。  翻った燕尾が空中に広がり、観客の目を奪う。  上着の金色の刺繍が陽差しをはじいて、ちかと光った。  その大きな挙動が目眩ましだとフランシスは気づいていた。  だが年齢による膂力の差を実感せざるを得ない。  駆け出しの騎士は、若々しい美男であったがその体躯は屈強であった。  円を描き、宙を斬り裂いた鉾を受け止める式典用の直槍(スピア)が、甲高い軋りを上げた。  鉄製の穂に一筋、亀裂が走る。  この大舞台にありながら、まるで物怖じのない不敵な一撃に、フランシスは口元を笑みに緩めていた。 「私の負けだ!」  二つに割れた矛先を掲げて、そう朗々と告げる。どよめく客席が波のように沸き立った。  緊張も忘れて見入っていたセフェリノも、思わず立ち上がり手を叩いた。  アルヴァは歓声の中で、肩に手を当てて深々と礼をした。 「感謝致します、閣下」  厳格に思われていた表情に笑みが浮かんでいる。 「まさか本当に勝ってしまうとはな。それなりに本気だったのだぞ」  言いながら背中を叩いてフランシスは笑い声を立てた。  どこか晴れ晴れとした言葉に、照れたようにアルヴァは顔を俯ける。 「約束通り、王宮付きの親衛隊に推薦しておこう。勿論、後で試験は受けてもらうがな」  温かく見つめるその双眸を受けて、アルヴァは頬を紅潮させてうなずいた。 「閣下と手合わせ出来たことは、一生の思い出になります」  その顔貌は秀麗すぎ冷たい印象もあったが、少年のように瞳を輝かせている。  目を細めて、子にするようにフランシスは頭に手を軽く乗せた。  アルヴァはくすぐったそうに微笑んだ。  セフェリノは眠りの中で、自らの肩を抱きながら膝を体に付ける。  あの日が転機になった。  アルヴァが親衛隊長という職位を冠するまで、そう時間はかからなかった。  昇進は嬉しかったが、セフェリノにとってはその存在が少しずつ遠くなっていくように思えた。  嫡男として認められてからまたその距離は開いていった。  傍にいても言葉を交わす機会が減っていく。  セフェリノの中で、あのもやもやとした気持ちは解消できないまま今に至っている。

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