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暗淵 1
寝返りを打ったセフェリノが、不意に上体を勢い良く起こした。
容易には醒めなかった眠りの中でぼんやりと靄のような夢を見ていたが、ようやく意識が現実に戻ってきた。
関節のあちこちが痛む。
体を伸ばしながら、きょろきょろと辺りを見回す。
「ここは……」
知らない場所に身を置かれていると気づき、訝しげに眉を寄せる。
「王子様のお目覚めか」
そう言って笑みを向けてくる男の姿。
「ずっと眠っていたのか……」
セフェリノは、意識を失う前までの記憶を脳裏から呼び起こした。
王都襲撃のあの時、セフェリノはアルヴァと別れてからローレンと共に走り続けていた。
かなりの距離を走った頃、親衛隊副隊長に宛てた書状を持った早馬がローレンの元に来たのだった。
爵位ある貴族からであるという証明のついた伝書には、セフェリノの救助のために兵を出したいと記されていた。
その書の主は『ナヴァスケス』という聞き慣れない名であった。
それを読んだローレンの表情はすぐれなかった。
彼によれば、僻地に追放となった兄、ディミトリと通じていた貴族だという。
クーデターの首謀者である可能性が高い兄と、関わりの深いその男が、なぜローレンとセフェリノが共に逃げていることを知っているのか。
切迫した現在の状況では、不可解なその由を解く方法はない。
ローレンはセフェリノに命令を仰いだ。
『ナヴァスケス殿を待ちますか』と訊ねてきた。
セフェリノは良くない予感を胸にいだいたが、縋るものがない以上、その男の言葉を聞くのも選択肢であろうと考えた。
初めから殺すつもりならば、書まで用意はしないだろう。警戒する前に、刺客を寄越した方が事はすぐに終わる。
書状の主と合流するまでに時間はかからなかった。
セフェリノ達の元へ、灯りが囲うように近づいてくる。
見えたのは王国軍の旗だった。
クーデターの共謀者ならば、軍から狙われると知って堂々と居場所を誇示しないだろう。
余りに行動が早すぎるが、旗を見て安堵する感情が生まれたのも確かだった。
──味方であるのか?
セフェリノの胸に淡い希望が生まれる。
結果的にセフェリノはこの男を信じることにしたのだ。
負傷したアルヴァの手当てをして、丁寧に運んでいるということを知り、ローレンも警戒を解いていた。
二人の前に現れたバルドメロ・ナヴァスケスという男を信じることにした。
待つのが死であるならば、運命はそこまでということでしかない。
セフェリノは、ベルベットの上で姿勢を正して座り、男と対した。
「卿はこれからどうするつもりだ?」
「王太子殿下が、王になることを望まれるのなら協力しましょう」
含みのある物言いである。
敢えて端的に話さないのは、主導権を握ろうとする思惑からであろう。
意図せずセフェリノは眉根に皺を寄せて、鈍痛のする頭を押さえた。
「何に協力するというのだ」
「父君を弑殺 した叛逆者を排除する手筈を整えます」
バルドは飄然とした微笑を浮かべている。
それを聞いたセフェリノの表情が険しくなる。言葉を交わすほど、この男の調子に呑まれるようだった。
「どうやって?」
「我が領地を守る兵を集めて戦力とします。時間を頂けるならば、正当な継承権を持つ殿下の即位を望む人々の名前を連ね、王国全土から王都と宮殿を取り返す軍を募りましょう」
「……そんなことができるのか?」
「無論。私は不可能な提案など致しません」
真意を測りがたい、口元を歪めているバルドの笑みを見ていた。
「卿は何者なんだ」
バルドは優雅に茶を口にしている。
「失礼ながら──貴公の愚鈍な兄君は、事を起こす前に早めに殺しておくべきだった」
そう切り出された声に、セフェリノは僭越 を咎める視線をバルドに向ける。
王族でも憚られる発言だろう。まして一諸侯程度の者が口にしていい言葉ではない。
しかし、この男に誘いに乗せられ感情的になるのは避けたかった。
「ディミトリ兄上が本当に王都を襲ったのか?」
厳しくなる視線で、セフェリノはバルドを睨むように見やる。
「ええ。私はその計画を聞いていましたので」
その答えに閉口し、考え込んだ。
「国王陛下はお優しかった。恨みを買っていると知っていて、御子息を手に掛けられなかったのですから。陛下の御身が危険に晒されると考えれば、出来るだけ早く排除すべきであったでしょう」
俯きながら、セフェリノは大きく息を胸から吐き出した。
兄ディミトリは短慮な人物だったが、父王は彼と完全に縁を切らなかった。
王都から僻地へ追いやったとしても、憎しみを燻らせたままでは不穏分子に担ぎ上げられ、王朝を脅かす存在になるかもしれないという危惧はあった。
以前、現在の政治情勢に不満を持つ者が、水面下でそんな画策をしていると噂が流れたこともあった。その時はすぐに対処された。
当時はまさか兄が、国王殺しを企んでいるとは考えもしなかった。
しかし、奪われた継承権を取り戻し、あわよくば王位に就けるかもしれないという甘言に乗せられるほどに、彼は愚かであったのだ。
冷徹な為政者ならば、ディミトリから王家の名を剥奪していたのだろう。
叛意があるとするなら、手を下す判断もしなければならなかった。
「……子を殺したがる親なんていない」
「王太子殿下も、お優しい方であられる」
眼前の男はうすく笑っているばかりだった。
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