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15.研究所

 図書館をぐるっと歩いて、連絡通路から研究所に足を踏み入れた。  研究所員からは遅刻だなんだと言われたが、王命で街の案内中だと伝えると生ぬるい目でグラキエを見てくる。何かやらかしたペナルティだと思われたらしい。失礼な。  そんな周囲を横目に階段を昇ると、壁一面を本で埋め尽くされたフロアに出た。 「こちらは完全に本だけなのですね」 「二階は魔法学のフロアなんだ。魔法の専門書はここと保管庫にある」  魔法技術は魔法の応用にあたる。  魔法を研究する魔法学とは兄弟学問のようなもので、参考文献も共通のものが多い。魔法学の書架や保管庫を共同で使わせてもらっているのだ。 「凄い……古めかしい本もありますね」 「レプリカだから触っても大丈夫だ。原著は全て保管庫の禁帯出書架にある」  装丁がボロボロなのは古いからではなく、使用頻度が多いから。  特に魔法技術フロアは作業の合間や不具合の起きた時に参照するので扱いが荒く、物にぶつけたり溶液を飛ばしたりしがちで原著はとても置いておけない。レプリカの扱いについてですら、大人しい司書から小言を言われるほどだ。  背表紙がはげかけている本を一冊抜き出して渡すと、ラズリウ王子は恐る恐る本を開いた。次第に興味深そうにページを捲り始める。ぱらぱらと紙の立てる音に耳を傾けていると、足音のような音が混ざって。  もしやと思って振り返れば、そこに居たのは予想通り次兄だった。 「やはり来たね。街の案内をしろと言われていたのに……あーあ、兄上に言いつけてやろうかな」  口振りからして、ここに来るのを見越して待ち構えていたらしい。ニコニコしながら言うその顔はそこはかとなく楽しそうだ。 「違います、案内中です。これから研究所の案内なんです」 「ふーん?」  ほんとかなぁと呟きながらグラキエをじっと見てくる。  アルブレア王家ではグラキエよりも次兄の方が発言力が高い。ここで変に動揺して通報されると、後々誤解を解くのが面倒になる。何としても黙って引いてもらわなければならない。  そう心に据えて次兄の視線に立ち向かっていると、あの、と後ろから遠慮がちな声が聞こえた。 「本当に案内をして頂いている最中です。救済院で食事を取ってきましたし、商店街で果物も買って頂いて」  ラズリウ王子が大事そうに抱えていた紙袋を開くと、ふわりと甘い香りが広がる。 「おや、ドライフルーツだね。グラキエにしてはまともな物を贈るな」 「どういう意味ですか」  少しむっとしながら次兄を睨むと、気を悪くするどころかますます楽しそうに笑った。長兄を救いの神にたとえるなら、ニンマリと口角を上げる時の次兄は悪魔のようである。 「お前は相手の好みを考えずに物を贈りがちだろう? 食べ物なら苦手でも周りに分けてしまえばいいし、無難だと思うよ」  言われてみれば自分の好きなものを渡してみたり、自作で一番出来の良いものを渡したりしていた事が殆どだ。そして贈った箱を開けた瞬間の微妙そうな顔は嫌というほど記憶に刻み付けられている。流石に今は学習して、贈り物は女性向けに売られている花や小物にしているけれど。  兄の解説を聞いていて、ふと。 「……もしかして苦手……」  思えば食べ切ったグラキエに対してラズリウ王子はいくつか口に入れただけだ。残りの袋は当然保存するものだと思っていたが、まさか苦手だったのだろうか。  同性相手だったから何も気にしていなかったけれど。  恐る恐る隣に視線を向けると、少し苦笑を浮かべた顔が見える。 「いえ、果物は好物です。日持ちすると伺ったので、ゆっくり頂きますね」 「そ、そうか……よかった」  苦手なものを押し付けていた訳ではなかったらしい。  やらかしの回避に思わず胸を撫で下ろしていると、次兄がじろじろとグラキエを見つめてくる。今度は何だろうと視線を返せば、またニンマリと笑みを浮かべた。 「思ったより懐いているな。ラズリウ王子は手懐けるのが上手いですね」 「弟を動物みたいに」 「似たようなものだよ。お前は動物の如く懐いてるか否かで態度が違うからね。まぁその分、懐かれると可愛いんだけれど」  よしよしと頭を撫でられたと思えば、猫にする様に顎の下を撫でてくる。昔はそれが褒められているようで嬉しかったが、今思えば完全に動物扱いであると認識できる。人前で何をしてくれるのか。 「もう行きます」 「おや。ふふ、そうだね。兄上にはきちんとしていたと報告しておいてあげるよ」  これ以上余計な事を言われる前に次兄から逃げるべく、ラズリウ王子の手を引いてフロアを突っ切っていく。後ろから笑いを含んだ声が耳に届いたけれど、気付かなかった事にした。  魔法学のフロアから繋がる連絡通路を通って、研究所の中を進む。  植物や動物の調査、地形や天候の観測を行う自然棟。  アルブレアの史跡調査、大陸の風土や歴史文化を研究する文化棟。  他国と交易をするための芸術品について調査研究、技術開発を行う芸術棟。  それぞれのフロアで簡単な研究についての説明を受けながら歩を進めていると、芸術棟のエントランスにたどり着いた。 「この棟はエントランスがあるのですね」 「他国との交易では、この奥で商談をするんだそうだ」  実際に商談の場に立ち会ったことは無いが、商人と思しき一行がここに入っていくのは見たことがある。  美術品はアルブレア国内よりも外国との交易で需要が高く、そのための調査研究と商談スペースを兼ねているのが芸術棟なのだ。そのため他の研究棟とは違い、来客用のエントランスと談話室がある。とはいえ来客が無ければ倉庫と化すので、綺麗に保たれているのはディルクロの間だけだが。  しばらくエントランスをきょろきょろと見回していたラズリウ王子は、壁にかかっている絵を一枚一枚見始めた。 「綺麗な風景ですね」 「この国の各地の風景なんだ。雪一色になると夏の景色が恋しくなるから、城下の家にもよく飾られている」  エントランスには大きな絵がかかっているが、他にも部屋の空間に合わせて様々なサイズの風景画が売られている。他の芸術品はあまり見かけないが、風景画だけは商店や平民の家にもよく飾られているのだ。 「風景画が一番人気のある芸術品なのですね」 「言われてみれば、そうかもしれないな」  アルブレアは芸術品には興味が無い国だと思っていたけれど、風景画が芸術だとするならそうかもしれない。誰も芸術品だと思って購入していなさそうだけれども。  描かれた景色について質問されながら絵を一緒に眺めていく。気に留める機会が無かったがこうして見ると色々な景色が描かれている。説明をしながらグラキエも楽しくなってきて、ついあれやこれやと事細かくうんちくに花を咲かせてしまった。 「これは……?」  グラキエの熱いうんちくにも相槌を打ちながら聞いていたラズリウ王子だったが、ふと一枚の絵の前で足が止まる。  目の前には月夜の絵。  ほのかな月光を浴びてぼんやりと光る釣鐘状の花が群生する、谷底の小さな花畑を描いたものだ。 「月灯草だな。夜になると光る花をつける植物だ」 「…………きれいですね」  そう呟く声は心なしかうっとりとしているようだった。  この絵がよほど気に入ったらしい。次に何か贈るなら月灯草の絵だろうかと考えていると、長兄の助手として調査に駆り出された時の事を思い出した。雪に埋もれる少し前に見つけた、枯れかけた植物の群生地。あの時は数本が萎れかけながら残っていただけだったけれど。  今は城の周りにぱらぱらと生えている月灯草も光る花をつけているし、そろそろシーズンに入っているはずだ。 「少し城から離れた所に、去年見つけた群生地らしいポイントがあるんだ。夜に出歩く必要があるが……行ってみるか?」  ふと思いついた提案を言い終わるや否や、ぱっとラズリウ王子が振り返った。目をきらきらさせながら子供の様に何度も頷いている。 「じゃあ明後日にしよう。月明りのない夜は一番よく咲くはずだから」 「はい……!」  こんなに楽しそうな顔は初めて見たなと微笑ましく思いながら、渋い顔をするであろう教育係をどう説得しようかと考えを巡らせ始めるのだった。

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