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16.月灯草

 芸術棟で月灯草の絵を見てから二日後。  第三王子に連れられて、夕暮れ時にアルブレア城を出た。    二人を見送る老紳士テネスは非常に渋い顔をしていたが、シーナは満面の笑顔で送り出してくれて。どうやら夜間の外出許可を拒否していた第三王子の教育係を説得するため、彼女が多大な助力をしてくれていたらしい。  街と反対にある森を進んでいく間に少しずつ日は陰っていく。しかし暗くなりつつある森の中には仄かに光る花が道に沿って咲いていて、足元は思っていたよりもかなり明るい。シーナから渡されたランタンも道を照らしてくれるので移動に不便は感じない。  しばらく森の中を行くと少し開けた場所に出た。そのまま真っ直ぐ進んだ先、段差を挟んで低くなっている場所で光に包まれた草原が姿を現して。 「……綺麗……」  草の海に混ざって揺れているのは、紛れもなく芸術棟のエントランスで見た絵に描かれていた花だ。  先程までの道中はまばらに咲いているだけだったのに、この草原にはあの風景画よりも遥かに高い密度で咲いている。  少し強い風が吹くと、草の海がざあっと音を立てて波打った。光もゆらゆらと舞う様に揺れておとぎ話の中の風景のようだ。 「降りてみよう」  差し出された手を取って段差を降りる。密生する草をかき分けて草原の真ん中に立つと、見渡す限り月灯草の海が広がっていた。  数が集まっているせいか、新月の夜だとは思えないほどに周囲が明るい。 「凄い、こんなにたくさん」 「思った以上だな……以前見たのは本当に一部分だったのか」  ラズリウの手を取ったままブツブツ呟きだした第三王子は、やけに真剣な顔で目の前の光景を見ていた。枯れかけた時期に見かけただけなんだと道中に話していたけれど、まさかここまでの規模だとは想像もしていなかったらしい。  自分だけではなく誘った本人まで本気で驚いているのが少しおかしくて、思わず笑い声を漏らしてしまった。  周りを熱心に見回している第三王子に釣られて視線を動かすけれど、本当に見渡す限り月灯草の海だ。草原を挟んだ森の奥の方にも道の様に続いていて、まるで絨毯の様にも思えてくる。そしてその上に広がる空には、ガラスのような反射光が一瞬だけ見えた。  これが噂のドームなのだろう、ガラスの外には風に舞う雪が見えた。この草原には一かけらも氷の粒は降っていないのに。 「……雪が降らないのは、街中だけだと思っていました」  てっきり街を守るためだけにあると思っていたから、城から離れた森まで覆われているとは思いもしなかったのだ。  ぽつりとこぼしたラズリウの呟きに、周りを見ていた第三王子は振り返った。同じ様に空を見上げて、ああ成程、と軽く頷く。 「ドームは人が出入りする所に必ずあるんだ。カヴェアになると雪が深くなりすぎて、ドームのある場所でしか行動できないから」 「凄い技術ですね」 「だろ。けれどまだ狭い。まだ城下と主要都市すら繋げられてない」  そう言って空を見上げたままの呟く横顔は、普段の雰囲気とは違って真剣そのものだ。    ふと、シーナの言っていた事を思い出した。  魔法技術の研究所は、第三王子が学びたいと駄々をこねて王立の研究所に組み込まれたという話。魔法の陰で細々と続けられていた研究を表へ引きずり出した、トンデモ王子の好奇心の話。  では何故、その王子は急に魔法技術を学びたいと言い出したのだろうか。 「……もしかして、グラキエ王子が魔法技術を学びたいと仰ったというのは」 「もっとドームを広げたい。俺達の鳥籠を広げれば、今よりずっと色々なところへ行ける。雪に埋もれる街や村もいつかは無くなるかもしれない」  思った以上の真面目な回答に、ラズリウは思わず瞬きを繰り返す。  ただの道楽だと勝手に思っていた。珍しいものを見つけて単に興味を引かれたのではないか、もしくは城が窮屈で逃げ込む場所を探していたのではないかと。そう思えてしまうくらいに、あの研究所では生き生きとして溶け込んでいたから。  呆けるラズリウに気付いたのか何か続きを言おうとしていたけれど、少し口ごもった様子でうつむいてしまった。けれどしばらくして第三王子はぱっと顔を上げる。 「ドームを国と同じ大きさにするのが夢なんだ。現実味が無いって言われるけど」 「ゆめ……」  今ドームがあるのは王都といくつかの都市だと、いつぞやに研究所で聞いた。  ドームの恩恵を受けられない地域には夏の間だけ開拓民と呼ばれる人々が住み、冬になるとドームのある都市へ移動してくると地理学の講義で学んだ。そして夏が訪れると雪に押しつぶされた街を再整備して、冬までを過ごす。また冬が訪れると無情な豪雪に押しつぶされる。  ずっとずっと、繰り返し雪と戦いながら生きているのだと。  人の居る地域ですらその状態だというのに、アルブレアの国土は殆どが山と森に覆われている。国全体にまでドームを広げる第三王子の夢は果てしない。いっそ無謀だと言ってもいい。    きっと彼の生きている内には完成しない。けれど照れくさそうに笑う瞳は真っ直ぐで、前しか向いていない。無謀であっても進めるだけ進むべく歩いてきたのだろう。ラズリウが離宮で立ち止まっている間も。  ……失言はするし、失礼な態度も取る。王族としてその振る舞いはどうなんだろうと思う所も多い。  けれど。 「もうすぐドームを少しだけ広げられる予定なんだ。上手く行ったら、またこの先に行こう」  普段との落差が大きいからだろうか。ラズリウに向けて微笑む姿が、何だかとても眩しくて。 「はい……楽しみにしています」  グラキエ王子が見る景色を一緒に見てみたい。  ほんの少しだけそう思えてしまって、気が付けばこくりと小さく頷いていた。

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