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17.見舞い

 月灯草の群生地に行った翌日。  いつも通り食堂へ向かおうとラズリウ王子を迎えに来たグラキエだったが、肝心の本人は部屋から出てこなかった。 「調子を崩したって……わ、悪いのか?」 「いいえ、少し休めば元通りになられます。新しい環境で緊張なさっていたのでしょう」  部屋の前に立ち塞がるシーナは微笑みながら首を横に振った。その様子からは大事がないであろう事は察して取れる。 「だが……」  急すぎる。昨日はあんなに元気そうだったのに。  雪の季節でないとはいえ夜に連れ回してしまったのがまずかったのではないのだろうかと、嫌な推測が頭を過って落ち着かない。  無意識にそわそわするグラキエの頭をシーナは微笑みながら優しく撫でた。まるで幼い子供を母親があやすように。 「大丈夫ですよ。緊張がほぐれてこられた証拠です」 「……そう、ならいいんだが」  ひたすら頭を撫でる笑顔は安心する反面あまり深追いするなという圧を感じる。これ以上問うても詳しい回答はなさそうだと諦めて、グラキエはゆっくりと踵を返した。    が。    廊下の角を曲がりかけた所で、手に持った箱の存在を思い出した。昨日帰ってから慌てて引っ張り出した木の箱。  慌てて元来た道を引き返し、扉の向こうへ戻ろうとしていたシーナを呼び止める。 「シーナ。これをラズリウ王子に渡してくれないか」 「まあ! 贈り物ですの? 承知いたしました、必ずやお渡しいたします」  箱を受け取り、驚いた様子でグラキエを観察する視線。一体どういう風の吹き回しかと明らかに好奇心に満ちている。  ここのところ好奇の視線に晒され続けているせいか、恥ずかしさが込み上げてきて少し居心地が悪い。 「ま、また様子を見に来る」 「グラキエ殿下」  遠慮のない視線から逃げる様に背を向けると今度はシーナから呼び止められた。今度は何だと振り返れば、今までになく深く微笑む顔がグラキエを見ている。    シーナは基本的に笑顔を浮かべているのが常だが、それには若干の違いがある。  笑顔で困っていたり、笑顔で怒っていたり、笑顔で悲しんでいたり……一見わかりにくいもので、夫のテネスでない限り誰もが頻繁に読み間違えてしまう程度の差異だけれど。    こうにも単なる笑顔だとしか受け取れない表情は見た事が無い。乳母として長い間そばにいてくれた存在だから、その正体が分からずとも何かしらの感情が混ざっているのは感じ取れるものなのに。  ここまでくると、かつてなく重大な何かがあるのではと逆に怖さを感じてしまう。  ……今回はやましい事など何もないはずなのだが。 「明日お越しの際は、殿下が本日お召しになった上着をお持ちいただけませんか」  今までのパターンからして無意識にしでかしている可能性も無くはない。そう考えて心の中でそっと身構えていたグラキエは、全く予想にない要求に一瞬何の反応も出来なかった。 「そんなものどうするんだ?」 「その内お分かりになりますわ。よろしいですね、明日は」  何故上着なのか。よりによって一日着たものなのか。それは病人に洗い物を押し付けるようなものではないのか。    言いたい事は山ほどあるが、かといって食い下がれる気は全くしない。  シーナの夫であるテネス相手にならば、いくらでも突っ込めるし文句も言えるのに。彼女には有無を言わせぬ笑顔の圧がある。  ……母や兄王子達の伴侶といい、何故女性は笑顔でこうも重い圧を放つ事ができるのだろうか。  少し前に受けた説教の集中砲火を思い出して身震いしている間に、殿下?と返事を催促する声がかかる。不覚にも考え事に夢中で飛び上がってしまった。 「わ、分かった。今日着た上着を持ってくるんだろ」 「左様でございます。お待ちしておりますわ、グラキエ殿下」  なるようになれと半ばやけくそで返事をすると、シーナはにこりとまた笑う。礼儀正しく礼をする姿に背を向け、逃げる様に早足で歩き出した。    一気に階段を降りて部屋が見えなくなり、思わずしゃがみ込んではぁっと大きくため息をつく。  そのつもりは無かったが地味に緊張していたらしい。いつも通りラズリウ王子を迎えに来ただけだというのに、気付けばまるで小一時間は説教を受けたかの様な疲労感が体に残っていた。  明日の手土産をうっかり忘れてしまわないよう、教育係にも協力を仰いでおくべきだろうか。一人で朝食に出向けばその理由を詰められる展開も容易に想像できることだし、そのついでにでも。シーナからの頼まれ事だと伝えれば断られる事もないだろう。  急に降ってきたミッションへの対策が決まり、再び歩き出す。    それにしても何故朝っぱらからこんなに、あれやこれやと考えなければならないのだろうか。  どれだけ考えても解せない展開に首を傾げながら、よろよろと重たい足を引きずって一人食堂に向かったのだった。

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