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18.心遣い
グラキエ王子が門前払いをされている頃、ラズリウは部屋に設られた天蓋の中に居た。
シーナが部屋のドアを開けた音を聞きつけ、気だるい体をのそりと起こす。
「グラキエ殿下は朝食に向かわれましたわ」
ニコニコと微笑む彼女だが、ノックされた音に反応して出て行ってからしばらく時間が経っている。食い下がられたか、文句を言われたか、そういった所ではないだろうか。
「……怒って、いらっしゃいましたか？ 顔も出さずに追い返す様なことをしてしまって」
彼自身が毎日のエスコートを買って出た訳ではない。周りに押されて対応しているだけだというのに、いざ来てみれば訳も分からず追い返されているのだ。
怒って当然である。上手く怒る姿を想像できないけれど。
「お怒りではありませんでしたが、理由が分からず心配しておられました。ヒートである事をお伝えしても宜しかったのでは？」
「……気を遣わせてしまうのは嫌です……」
夜に出かけた後に当たってしまったのは本当に間が悪い。けれど素直にヒートだと伝えてしまうと、それはそれで余計な懸念事項が発生しかねないのだ。
「顔合わせの際に仰っていたという、ヒートの間のまぐわいの事でございますか。関わらないようにというお言葉も翻っておられますし、最早覚えていらっしゃるとは思えませんが」
「万一覚えていて、果たそうとされてしまったら……僕はまたグラキエ王子の邪魔をしてしまう」
忘れてしまっているのなら良いけれど、誰かに釘を刺されて思い出したりしたら。そう考えると迂闊なことは言えない。
Ωは子種を持つ相手を呼び寄せる発情 という状態に陥りやすい。
そしてヒートを起こしているΩの近くにαの特性を持つ人間が居ると、理性が飛んで襲いかかってしまうと言われている。しかも、定期的に訪れるΩの発情期間は一週間も続くのだ。
そんな状況にαのグラキエ王子をまるまる付き合わせてしまったら、また夢のための歩みを止めてしまう事になる。
もう、散々手を止めてしまっているのに。
けれど知らずに居ればそんな展開もない。あの時の言葉と行動を違えても、それはきちんと伝えていないラズリウのせいである。
「これ以上、お手を煩わせたくないんです……だから」
「心得ております。時期が明けるまでは内密に」
すがるような気持ちのラズリウにこくりと頷いてくれたシーナは、ふわりと柔らかく微笑んた。
祈るような気持ちでこの頼みごとをした時と同じく、まるで子供相手の様にゆっくりと頭を撫でながら。
「……ありがとう、ございます」
Ωの特性持ちだと判明してからずっと離宮で一人過ごしていたラズリウには、その暖かさが酷く贅沢に思えた。
しばらくされるがまま頭を撫でられていると、あっとシーナが小さく声をあげる。
「いけない。グラキエ殿下からの贈り物がございました」
「えっ。僕に、ですか？」
「はい。ラズリウ殿下に渡してくれと」
いそいそと入り口近くのチェストに向かった背中は、小さな箱を持って振り返った。簡素だが蝶番で開閉する蓋と打掛錠のついた、しっかりした造りの木箱。
受け取ってそっと押し開ける。恐る恐る覗き込んだ中には丸みを帯びた透明な石のようなものが入っていた。ただの石と異なるのは、その中に植物が入っていること。
それも見覚えがある。つい最近に見かけた形だ。
「……これは……月灯草……？」
「植物標本を樹脂で封じたプラントアートですね。月灯草は標本にする段階で傷みやすく、なかなか姿を保って封ぜられるものではないと聞き及びますが」
「そんな貴重なものを……」
申し訳なく思いつつも、視線は手元の石に釘付けになっていた。
ゆらゆらと仄かな光がまるで生きているかのように花を包んで瞬いている。明るい部屋の中でもはっきりと認識できて、とても手折られたとは思えない。
「月灯草がお気に召されたのですね。グラキエ殿下も良い選択をなさいましたわ」
ころころと笑う声にじぃっと手元を見続けていた事に気がついた。我に返ってシーナを見ると、笑顔を浮かべたままドアへ向かって後ろ向きに移動している所で。……変に器用だ。
「わたくしは隣の部屋に控えております。何かあればお呼びくださいませ」
「はい。ありがとうございます」
満面の笑顔で下がるシーナを見送り、静かな部屋にぽつんと取り残された。少し前までラズリウを襲っていた苦しいぐらいの症状も今は落ち着いていて。
穏やかな時間の中で、ぼんやりと光る標本をただただ見つめ続けたのだった。
翌日も訪問者があり、シーナがドアの方へ向かっていった。もしかしたらグラキエ王子なのかもしれない。毎朝のエスコートが毎朝の見舞いに変わっているのではないだろうか。
……だとしたら申し訳なさすぎる。体調不良ではないのに。
一人頭を抱える内に部屋のドアが開く音がした。反射的に天蓋の布を開けて、呼ばれる前に顔を出す。
「あの……先ほど来られたのは……」
「グラキエ殿下ですわ」
やっぱり、と思わず呟いた。いっそ来ないでくれと伝えるべきなのだろうか。心配してくれているであろう相手に対して、失礼にも程があるけれど。
「ラズリウ殿下。こちらをお預かりいたしました」
「……上着？」
「ええ。昨日グラキエ殿下に、お召しになったものをお願いしておりまして」
「えっ」
ふわりと、有無を言わせず肩にかけられた上着から香りがした。いつの間にかすっかり嗅ぎ慣れてしまった、微かに花のような気配を感じる香料。グラキエ王子と近くで話すと微かに伝わってくる匂い。
持ち主に返して貰おうと考えていたのに、手は思考と反対にぎゅっとその布を握りしめていた。ふわふわした頭で少し大きな上着の袷を引き寄せ、そっと顔を埋める。
「ネヴァルストとは環境が異なりますから、僅かばかりでも近しい方の香りがあると安心しますでしょう」
急に上着を寄越せと言われて、きっと訳も分からず困惑していたに違いない。
そんな事を考えるラズリウの頭をゆっくりと撫でてくれるシーナはまるで母親のようで。長らく顔を見ていない祖国の母親を思い出して、何故か少しだけ寂しくなってしまった。
次の日。
「グラキエ殿下がお持ちになりました」
届けられたのは、ふかふかした手触りの白いコートとベージュ色の襟巻き。やはりこの間の外出で風邪を引いたと思われてしまったのかもしれない。
その次の日。
「研究所の方から預かられたそうです」
研究所で少しずつ読んでいた魔法技術の基礎教本。色々な人が使うだろうに、わざわざ退屈しのぎにと貸し出してくれたのだという。
また次の日。
「リスタル殿下とフローリア様からだそうてす」
きらきらと日の光を反射する、透明な飾り。確か日飾りと王太子殿下は呼んでいた気がする。
天蓋の屋根に吊るして貰うと室内の光をシーツの上に振り撒いて、まるで木漏れ日の下に居るような気持ちになった。
その次の日。
「ニクス殿下とベルマリー様からだそうです」
薄くさらさらとした手触りの大きなブランケット。柔らかい生成り色の生地に、きらきらした白い糸で花の様な模様が刺繍されている。そっと羽織ると見た目以上に暖かくて、くるまって寝るとよく眠れた。
更に次の日。
「こちらは国王陛下と王妃様からだそうです。王妃様が手ずからお編みになられたとか」
明るい橙色のミトンの様な厚手の手袋。手を入れると厚みを感じないが、熱を帯びているようにじんわり暖かい。
……しかし、何気なく渡されたが畏れ多すぎるものが来てしまった気がする。
毎日方々からの預かり物を持ってきてくれるグラキエ王子に申し訳なく思いつつ、一つずつ増えていく色々な人の心遣いに気持ちが暖かくなっていく。子供の頃に作った秘密基地のように天蓋の中へそれらを並べて、ヒートの症状がしばし落ち着けば触れたり眺めたりして。
何も出来ない時期だけれど、一日が過ぎてみれば何故かとても満足感のある時間になるのだった。
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