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19.明け
一週間もラズリウ王子が顔を出さない。
皆は熱い国からの来訪者だから疲れたのだろうと言うが、さすがにここまで長引けば普通は病気の可能性が高いと思う。
体調を崩す要因になってしまったかもしれない手前、研究所に行く気にもなれず。グラキエは城の中を早足で歩いていた。
今度こそ詳しい状況を引き出すべく気を引き締めて部屋に向かうと、いつも通りシーナが立ち塞がる。
「グラキエ殿下。ドームの拡張はお済みになられたのですか?」
いつもと違う突拍子もない質問に、グラキエは思わず目を瞬かせた。ラズリウ王子の体調を問うたのに何故この質問が返ってくるのか。
「ドーム……? 作業は昨日一段落したが」
「もう作業は無いのですか?」
「まぁ、特には。監視チームが経過を見ているし」
これまでシーナからドームの作業について問われた事はない。むしろ話をした記憶がない。ラズリウ王子が話したのだろうか。
「左様でございますか。ようございました」
そうだとしても、このやり取りに何の意味があるのだろう。
「シーナ。一体何のつもりで」
「どうぞ」
「えっ?」
急に目の前が開けて、二度見どころか三度見してしまった。一週間あれだけ行く手を阻まれ続けたというのに。
「ラズリウ殿下のお顔を見にこられたのでしょう?」
微笑みながら目の前の人は扉を開いて部屋へ入っていく。肩透かしを食らってしばらく放心していたが、そのまま置いていかれそうな状況に気付き慌てて後を追った。
足を踏み入れた部屋の中はやけに暖かい。前を行く背中についてベッドに近付くと、シーツの上にラズリウ王子がすやすやと眠っている。
………………裸一貫で。
「ラズリウ殿下、朝でございますよ。お支度を」
何かの布を肩にかけているだけの姿にそろりと後ろを向いた。しかしそんなグラキエをよそに、シーナは何事もなかったような声音でラズリウ王子を起こし始める。
待ってくれ。このまま起こすのはまずい。
世話係ではない人間が居ると知った時の反応は想像に難くない。自分だって起き抜けにラズリウ王子が立っていたらほぼ確実に飛び上がる。
しかも病み上がりであろう彼にそれは酷だ。せめて服を着るまで身を隠さないと。
「んん……や、だ……」
幸いもぞもぞと動く音はするが起きる様子はない。頼むからしばらくそのまま寝ていてほしい。
しかし天蓋の蚊帳も完全に開け放たれていて隠れられる場所がない。辛うじて柱に顔を貼り付けてみるけれど、顔が半分くらい見えている。
右往左往するグラキエをよそに、シーナは容赦なく更にラズリウ王子を起こしにかかっていた。このままでは無断で部屋に入り込んだ不審者になってしまう。まさに鬼の所業だ。
「ヒートも落ち着かれましたでしょう。皆様に顔をお見せせねば」
わたわたと隠れ場所を探していると、思わぬ単語が聞こえて体が固まる。
「ヒート……!?」
そういえばラズリウ王子はΩだった。てっきり体調不良だと思い込んでいたけれど、よく考えればΩ特有の発情 期間に差し掛かっている可能性だってあったのだ。
「や……はなれたくない……」
甘えるようなその声に思わず盗み見ると、丸くなっている体はぎゅうっと身を包む布を強く巻きつける仕草をした。
布を握り込んだからか、その手に握られていた何かがぽとりと落ちる。足元に転がってきたのは丸みを帯びた硬い石のようなもの。
拾い上げるとラズリウ王子に渡してもらった月灯草の標本だった。ずっと人肌に触れていたのか、ほんのり暖かい。
手元からベッドの上に視線を移すと、寝ていたはずの体が起き上がっていた。
「ぁ……え……?」
蚊の鳴くような声をこぼすラズリウ王子はグラキエに気付いたのか、ざあっと顔を青くした。しかしすぐに赤くなって布団に頭から突っ込み、団子のようになってしまう。
「ら、ラズリウ王子、あの、これは」
「忘れて下さい! 忘れて下さい申し訳ありません!!」
弁解しようと発した言葉をかき消す様に、布団の中から泣きそうな声が響いてくる。
ごめんなさい申し訳ありませんとひたすら連呼する声。どうしたものかと狼狽えていると、シーツの上に残されたままの布が目に入った。見覚えがある色だと思っていたが形まで見覚えがある。
毛布かと思っていたがそうじゃない。上着だ。少し前にシーナへ渡した、グラキエの上着。
「何故裸一貫に上着……」
謎の布の正体が分かったけれど、今度は別の謎が深まってしまった。
布団で出来上がった団子は動く様子がない。このまま退室するべきか、出てくるのを待つべきか。
思案に暮れていると後ろからふふっと小さく笑う声がした。
「Ωは巣を作る習性があるのですよ」
「シーナさんっ」
聞き慣れない話に意識が目の前の団子からシーナへ向く。すると急に団子から真っ赤になった上半身が突き出してきて飛び上がってしまった。
思わず振り返って視線が合うと、もぞもぞと後退して再び布団に埋もれていく。結果的に布団から顔だけ出している雪だるまになっていた。
「ヒートのような激しい消耗をする時は、安心する香りに包まれたくなるものです」
「安心……? そうなのか」
Ωは大変だなと感心していると、脱走された講義の内容だったようですねと笑顔でチクリと言葉が返ってきた。心当たりがありすぎて耳が痛い。
まだシーナでよかった。ここに居たのがテネスだったなら、何を学んできたのかと大噴火していた所だ。
シーナから逃げる様に視線を逸らしつつ胸を撫で下ろしていると、雪だるま化しているラズリウ王子がううーっと唸るような声をあげた。
「いえ、その、うぅ……グラキエ王子と居ることが多くて……嗅ぎ慣れたというか……いつものというか……」
何だかんだで落ち着いているイメージがあるのに、あからさまにしどろもどろになるのは珍しい。もしかしたら普段はそう努めているだけなのかもしれない。
「普段と違う環境では不安定になりやすいのです。ラズリウ様はよく耐えられました」
我が子にするように頭を撫でるシーナがそっと視界に割って入ってくる。にこりと向けられた微笑みは少し眉を下げて困っている様な表情。
そこでようやくラズリウ王子を無遠慮に見ていた事に気付いて、慌てて視線を逸らした。
つまるところ、体調不良だと思っていたのはΩ特有の発情期間にあたっていただけで。自分が原因の一端を担っていた訳ではなかつたのだ。
それならそうと早く言ってくれれば良かったのに。
「そ、そうだ、どうしてヒートの事を黙ってたんだ」
原因が分かれば余計な心配をせずに済んだし、何か出来る事もあったかもしれない。顔合わせの時にだって、普段は関わらないがヒートの時はまぐわうと宣言だってしていたのに。
……いや、実際にするしないは別として。
このままではまたグラキエは放置をキメたのだと言われかねない。知りもしなかったというのに、だ。
「あの……ドームの拡張は……」
「は? 今はそんな……え?」
視界を遮るシーナの後ろから、ラズリウ王子は恐る恐るといった様子でグラキエを見ていた。一瞬意味が分からなかったけれど、少し前の様子と照らし合わせれば何となく理解はできる。
「……まさか……その作業のために……?」
今までグラキエの邪魔をしてしまっていたと気にしていた彼は、気を遣ってわざと言わなかったのだ。
肯定も否定もせずふいっと外れていく視線に、ぎゅうっと心臓が強く捕まれたような気がした。
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