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20.選択と戦略

 グラキエ王子にみっともない姿を晒してしまってから数日。  ヒートの症状も落ち着いていたけれど、しばらくは事故の予防に城内へ留まるようテネスに言われ、大人しく過ごしていた。正直なところ事故が起きる可能性はαの多いアルブレア城が一番高そうなものだが。  さすがに心配性ではと苦笑していたけれど、彼の妻であるシーナと番になる前はもっと酷かったらしい。まだ彼女が自由に歩けるように抗議してくれたものの、元々のテネスの案は自室軟禁だったそうで。  これは足を向けて寝られないと、その話を聞いて強く心に刻み込まれたのだった。    そうして大人しく過ごし、ようやく外出の許可が降りた頃。 「ラズリウ殿下。防寒具はきちんと身につけて外出なされませ」 「大丈夫ですよ、風邪じゃなかったんですから」  パタパタとやってきたシーナの手にあるのは、グラキエ王子からの贈り物だった白いコートとベージュ色の襟巻き。どちらもふかふかした優しい手触りの、暖かい防寒具だ。  ありがたいけれど先日の失態の手前、袖を通すのが少し恥ずかしい。あの時の動揺していたグラキエ王子の様子を思い出してしまう。 「いけません。雪も積もるようになってきたのですから、暖かくしなければ」  ぐいぐい迫ってくるシーナに根負けして、白い布地に手を通した。滑らかな裏地が体を包んで、空気をよく含んでいるのかコートそのものが驚くほど軽い。前を閉じたと思えば流れるように襟巻きを頭から通され、国王夫妻から贈られた手袋をはめられた。  まるで冬に身を肥やす動物のようだと苦笑していると、丁度グラキエ王子がやって来た。 「あ……それ、は」 「ちゃんと着込めと、その、シーナさんに言われて」  目を丸くして驚く様子が何だか気恥ずかしい。  もっと感謝するとか喜びを現すとか、態度に表せば良いのにと自分でも思うけれど。笑うのは得意なはずなのに、何故かぎこちなく笑う事すらできなかった。  それが向こうにも移ってしまったのか、目の前の顔もぎこちない半笑いを浮かべている。  そうかと小さく呟いたきり、少しの間その場に沈黙が落ちた。 「き、着心地は悪くないか? 肌触りのいいものを選んだんだが、サイズの方が少し大きかったかな」  珍しく気を遣われている。  その驚きの方が勝って話の中身が一度耳を素通りしてしまったけれど、よくよく内容を思い返して我に返った。   「選んだって……グラキエ王子自ら……?」 「言い出したのはテネスだけどな。本格的な冬の装備を持っていないとシーナから聞きつけたらしい」  ああなるほど、と酷く納得した。申し訳ないがグラキエ王子にマメなイメージは全くない。しかし心配性だという彼の教育係発案であれば納得がいく。   追い立てられながらこのコートを選ぶ場に拘束されていたのだろうかと思うと、少しおかしかった。 「ありがとうございます。嬉しいです」 「……そうか。よかった」  ようやくぎこちないながら笑顔を作れた。するとグラキエ王子も少しだけ笑う。行こうかと差し出された手を取って、入り口の扉をくぐる。  久々に出た城の外はすっかり白い世界に塗り変わっていた。  少し前と変わらぬ気分で地面に足をつけたものの、建物から出てすぐシーナから強くコートを勧められた理由を理解した。 「どうした?」 「い……いえ……雪が積もる時の寒さを侮っていました……」  つめたい。  寒いなんて言葉では形容できない、痛いほどの冷気がうねってラズリウにぶつかってくる。  衣服や防寒具を着込んでいる体は辛うじて暖かいけれど、唯一露出している顔の皮膚がびりびりし始めた。耳に至ってはちぎれてしまいそうだ。  そんな様子をじっと見ていたグラキエ王子は、自分が着けていた耳当てを外して。そのままラズリウの耳元を柔らかい感触が包んだ。 「えっ? あ、あの」 「街まで貸す。マフも買いに行こう」  そう言ってグラキエ王子は手を引いたまま歩き出す。その背中を追いかけながら、ぼわりと体が温かくなっていくような感覚に首を傾げるのだった。    研究所への分かれ道を素通りして、グラキエ王子は中央の商店街にある一つの店に入った。  暖かい店内には数々の衣料品や小物が並んでいる。奥のカウンターで何かの作業をしていた男性が顔を上げて、おや、と驚いたような声をあげた。 「いらっしゃいませ、グラキエ殿下。今度は婚約者様とお出ましですか」 「まだ仮だ」 「これは失礼。しかしこのご様子ならばテネスも浮かばれましょう」  ほほっと笑う男性はこの店の店主で、あのテネスの友人なのだという。ラズリウが着ているコートや襟巻きもこの店で買ったものだったらしく、着ていただけて何よりですと微笑んでいる。  その時のああでもないこうでもないと言い合っていたらしい二人のやり取りを面白おかしく話ながら、店主はカウンター近くの棚へ近付いていった。    グラキエ王子は、平民にからかわれてもさほど怒らない。  不服そうな声で時々口を挟む事はあるけれど、それだけだ。謝罪させたり怒鳴ったりしない。その気になれば不敬罪だと訴えることも出来るのに。  ちらりと隣を見ると、すたすたと店主の方に向かっていった。ちょうど棚から下ろしていた箱を受け取って、店の端にあるテーブルへ並べて開け始める。 「ラズリウ王子。こっちに来てくれ」 「は、はい」  何だろうと近付くと、着けたままだった耳当てが外れされた。借りたままだったことを思い出して慌てた瞬間、代わりにもふもふした何かがまた耳を覆う。  耳当てだ。さっきの滑らかな手触りとは少し違う、何かの綿毛のような。    店主が持ってきた箱も開けていくつか着けたり外したりを繰り返して。うーんとグラキエ王子は首を傾げながら両手に耳当てを持って、ラズリウの顔の周りで視線を動かしている。 「やっぱり白い方がいいかな」 「グラキエ殿下、身につけるご本人の意見も大事ですよ。ご令嬢からの教育が身に付いておられませんな」 「う、うるさいな。数が多いと選びにくいだろうと思っただけだ」  苦笑する店主にじとりと視線を送り、手に持っていたものを箱の上に置いてしまった。 「この辺りが周りの音も多少は聞きやすいと思う。あまり聞こえないのはまだ危ないから避けた方がいい」  並べられたのは黒い革のつやめくもの、栗色の柔らかい毛のもの、空色のふかふかした布地のもの。そして先程グラキエ王子が手に持っていた、白い綿毛のような羽毛のもの。  黒と栗色のものは中央部分が網目のようになっていて、確かに外の音が聞きやすそうだ。けれど空色と白は一面が素材で覆われている。 「これも聞きやすいのですか?」 「よく見ると真ん中は素材の密度が少し違うんだ。あと、音が通るように魔法がかかっている」 「魔法……」  示された柄の部分には薄く光る文字が浮かんでいた。空色のものを耳に当てると、確かに店主とグラキエ王子の話す声が難なく聞こえる。  さすが魔法の国、市中の売り物にまで魔法がかかっているとは。  一通り耳に当てて最後の一つを机に置くと、見守っていたグラキエ王子が話しかけてくる。 「好みもあるだろうが、今回はこの中から選んでくれ。慣れてきたら好きなのを選ぶといい」  そう言われて、机の上のものに視線を向けた。どれも素材は異なるが手触りの良いものばかりだった。どれかを選べと言われても正直選び難い。  けれど。 「えっと……これが、いいです」 「グラキエ王子への気遣いは無用ですぞ。十中八九お心遣いに気付かれる事はございませんので」  手が伸びたのは白い羽毛のもの。  最初にグラキエ王子が決めかけていたものだ。それを見た店主は気を遣ったのか、こっそりとラズリウに耳打ちをしてきた。こちらも王子相手になかなかの言いようである。  気付かれなくてもいいのだ。  考えて決めようとしてくれたものだった。自分のための物ではないのに、候補を見比べて首を傾げながら悩んで。  彼が悩んで選んでくれた物を自分も選ぶ。そう決めただけなのだから。  ……もちろん、意図に気付いてくれたら良い印象を与えられるかもしれない。  そんな少しの打算はあるけれど。

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