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23.極夜祭
極夜祭の日。
城下では出店が出て、一日中お祭り騒ぎになるらしい。城の舞踏会の準備で回ることは出来ないけれど、朝からずっと暗いままの空を街のにぎやかな灯りが照らしているのは遠目に見える。
「ラズリウ殿下。グラキエ殿下がお越しになりました」
「は、はいっ」
シーナに呼ばれて振り返ると、既にグラキエ王子がドアの前に立っていた。
後ろに撫で付けられた銀の髪、どこか青い光沢の滲む黒の上着に、紺碧の外套。普段の雰囲気が欠片も見つからない装いに、ラズリウの視線はきょどきょどと入口の周りを彷徨った。
「ラズリウ王子?」
不思議そうな顔で声をかけられて、はっと我に返る。久しぶりにまじまじと見たのもあるだろうか。あまりにも雰囲気が違いすぎて呆然としてしまった。
慌ててドアの方へ行くと、すっと手が差し出される。
「行こうか」
「は、はい」
ラズリウを待つ手の平にそっと手を乗せると、流れるように歩き出した。ゆっくりとエスコートされながら廊下を進む。
……少し、動きにくい。
流石に女性と同じドレスではないけれど、一般に男性が着るものより布が格段に多い。特に足周りは、何重にも重なる布がふわふわひらひらと歩く度に揺れる。
これでも足捌きに支障が出ないように、スカートではなく下穿きの形状をした衣装にして貰ったのだけれど。普段が裾を絞った動きやすい格好なだけに、ひらひらと裾が舞うだけでも動きの勝手が違う。
「大丈夫か?」
歩みがもたついていたのか、前を向いていた顔がラズリウの方を見た。
「だ、大丈夫です……少し慣れなくて」
「だろうな。皆張り切りすぎだ」
苦笑するグラキエ王子に、衣装を仕立てる時の騒ぎがふと頭によぎる。
最初はドレスを仕立てるという話だったけれど、着慣れない人間には酷だと止めてくれたのは女性方だった。ただそこから難航して中々決まらず、迷走に迷走を重ねて。
可能な限り動きやすい格好をと、山のような候補の中から有無を言わさずデザインを絞り込んでくれたのがグラキエ王子。そこからも更に足したり引いたりを繰り返して、落ち着くまで時間がかかったけれど。
グラキエ王子のものと同じ色と素材の、女性が着るワンピースのような上着。スカートのように裾の踊る下履きは青から橙色に移ろう夕暮れ時の色。
赤の他人のラズリウのために、ああでもないこうでもないと重ねられた議論の末に贈られた色。思い出すとじんわりと心が暖かくなる。
……もしも婚約の話が無かったことになったとしても、この国に居させて貰えないだろうか。
いつの間にかそんな事を思うようになっていた。婚約を成功させるか、失敗して祖国へ送り返されるかの選択肢しか無いと思っていたのに。断られてもなお居座りたいと、妙な欲が出てきてしまっている。
「準備はいいか?」
「は……はい」
いつの間にか目の前に現れていたのは、城内でも特に豪華な大広間の扉。一度も足を踏み入れた事のない部屋への扉だ。
ゆっくりと開かれていく未知の世界へ、手を引かれながら恐る恐る足を踏み入れた。
視界に飛び込んできたのは、灯された光が煌々と輝く華やかな世界。
いつも穏やかで落ち着いた雰囲気のアルブレア城とはかなり雰囲気が違い、本当に異世界へと辿り着いてしまったかのようだった。
一斉に向かってくる視線にそわそわしながら広間を抜け、先に談笑していたリスタル王太子の側へ歩いていく。
「おや、ちゃんと逃げずに来たね。偉い偉い」
「……兄上」
ラズリウ達に気付いた王太子はにこにこと微笑んでいる。からかうような声音にグラキエ王子はむくれているけれど。
じき他のドームが覆う都市へ戻るという貴族達が集まってきて、何かと質問攻めにあってしまった。同時にちくちく小言を言われ始めたグラキエ王子に手を引かれて集団から離れたと思えば、今度はご令嬢達が珍しいものを見た顔で話しかけてくる。
いつの間にか彼女達はグラキエ王子を取り囲んで、ラズリウはその輪の外に立っていた。
何となく近くに居るのも憚られ、会場の隅へ移動する。ただぼんやりと人に囲まれるグラキエ王子を眺めていた。
逃げ回っていたと聞いていたが、特に忌避する様子はなく普通に話している。ご令嬢の方も楽しそうだ。
本当に、ただただ婚約者選びに追い回されるのが億劫だっただけなのだろう。そんな事を改めて思いながら眺めていると、人の輪を抜けてグラキエ王子が近付いてきた。
「ラズリウ王子。そろそろダンスが始まりそうだ」
よくよく見ると会場の反対側で楽団が準備を始めていた。談笑していた周囲も中央に集まってきたり、お目当ての相手を誘ったりと少し忙しなく動いている。
頷いて手を取ると、ホールの中央へ進んでいく。
「おや、グラキエ王子も踊られるのですか! お相手もお決まりとは、これはめでたい」
「まだ仮約束ですよ。遠い国から連れてきて、すぐに閉じ込める訳には行きませんから」
なるほどと朗らかに笑う貴族の後で、音楽が鳴り始める。ゆったりと流れる音に合わせて各々が動き始めた。
実のところ、女性パートの習得はかなり手こずって時間がかかった。
練習相手を社交に縁の無いスルトフェンにしてしまったのもあって、互いに完全な初心者状態で始まってしまったから。
進んで、引いて、進んで、進んで、引いて。ゆっくりと方向を変えて、また進む。何度かステップを間違えてぶつかってしまったけれど、どうにか彼の足を踏まずには済んでいる。
……未だに昔覚えた男性パートの動きにつられてしまう自分が情けない。
それでも何とかついていけるのは、グラキエ王子がゆったりと合わせながら導いてくれているからだ。
人の視線に晒される緊張やミスの焦りに震える体も、王子に近付くと感じる香りで落ち着きを取り戻す。香水とも少し違うような、優しい匂い。
ふわふわとした気分で動いていると、音が止んだ。一曲目が終わってしまったらしい。
「あの、ありがとう、ございました」
密着させていた体が離れていってしまった。香りも遠くなってしまって残念に思いながら、ゆっくりと一礼する。
「こちらこそ。上手くエスコートさせてくれてありがとう」
そう言ったグラキエ王子は、ラズリウの手の甲に軽く口付けてふわりと微笑んだ。今まで見たことの無い大人びた笑みにぼっと頬が熱くなる。
あの匂いに――また包まれたい。
微かに沸いたヒートの時のような欲求を認識して、全身が一気に熱くなる。心配そうな顔で近付いてくる姿に耐えられなくなり、ラズリウは一目散にその場から逃げ出した。
向かった先は会場を出て少し先にあるバルコニー。そこには警備の休憩中だったらしいスルトフェンが、瓶に入った飲み物を片手にくつろいだ様子で外を見ていた。
「ラズ? こんな所で何やってんだお前」
怪訝そうな声に上手く返事が出てこない。話を聞いて貰おうと隣に行っても、言葉が絡まってうーうー唸るのが精一杯だ。
しばらく何だどうしたと問うてきたけれど、やがてラズリウからの回答を諦めたらしい。ポンポンと頭をスルトフェンの手が撫でてくる。
「ダンスで派手に転んだか?」
ふるふると首を横に振る。またポンポンと大きな手が頭を撫でた。
「足を踏んだ」
ふるふると首を横に振る。
「じゃあ何なんだ。ダンス中に何があった?」
ふるふると首を横に振り続ける。
そうじゃない。
確かに拙いダンスだったけれど、恥ずかしいと思う瞬間はそんなに無かった。恥ずかしかったのは、むしろ――
先程まで向かい合っていたグラキエ王子の微笑みと香りを思い出して、また顔が一気に熱を帯びる。
正体の分からない感覚に口をまごつかせていると、スルトフェンはニヤリと笑った。
「ふーん? なるほど。なるほどなぁ~」
心配そうな気配が消え去ったスルトフェンの声はくつくつと笑っている。たまらず頭を撫でてくる幼馴染みを睨み付けるけれど、その顔はからかう様にニヤついたままだ。
文句を言いたいけれど声が思うように出てこなくて。代わりにドスッと頭突きをしてやった。
一瞬だけ呻き声が聞こえたけれど、鍛えているせいかすぐに持ち直したらしい。しばらくの間そのままで、スルトフェンのからかうような笑いと共に頭を撫でられていた。
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