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25.違和感
極夜祭が終わって、本格的に連日雪の降りしきる日々が始まった。
それでも毎日研究所へ向かうグラキエ王子について街へ出る。
日に日に高く積もって行く雪。道具を使って屋根から落としたり、溶かしたりする住民達。ネヴァルストでは見る事のない景色に驚きながら、街と王城を往復する日々。
舞踏会の途中で逃げ出すという失態を演じてしまったものの、グラキエに王子は変わらず接してくれている。
……そう、思っていたのだけれど。
読んでいた本から顔を上げると、いつも机の前に陣取っていた背中が見えない事に気がついた。
「あれ……スルトフェン、グラキエ王子は?」
「んぁぁ? 知らね、その辺に居るんじゃないか」
隣で震えていた毛布の塊から、鼻をずるずる言わせた幼馴染みが顔を出した。
どうやらラズリウよりも遥かに寒さに弱かったらしいスルトフェンは、いつも研究所に着くなり毛布にくるまってソファの上でガタガタと震え始める。
外へ出る度に一時間はそうしているのだ。行き来だけでこうなのに、普段の訓練はどうしていたのだろう。
無理に着いてこなくてもいいのだけれど、国王陛下から直々にラズリウの付き添いを任じられたらしい。これも耐寒訓練だとブツブツ呟きながら渋い顔で毎日ついてきている。
そんな昔馴染みをよそに、きょろきょろとフロアを見渡す。けれど何処にも目的の姿がない。
……スルトフェンが着いてくるようになってから、グラキエ王子の姿を見失うことが増えた。とはいえ研究所の中には居て、別のフロアへ文献を見に行ったりしている事が殆どだけれど。
今まではフロアを動く時にも一声かけてくれていたのに。
「やっぱり、怒ってるのかな……」
舞踏会でラズリウも似たような事をした。グラキエ王子から逃げ出して、一人で勝手にバルコニーへ行って。
その理由も彼を納得させられるものでは到底なかった。咄嗟についた嘘だったから。
グラキエ王子は優しい。干渉しないでおこうと言っていたのに、何だかんだ気にしてくれている。最初こそ他の人に圧をかけられてだったけど、それ以降も合間をみて色々なところへ連れていってくれた。
だからこそ最近の少し遠さを感じる距離感に違和感が膨らんでいく。
あの人は怒りを露にしない。もしやそっと愛想をつかされて、距離を置いているのではないか。スルトフェンがついて来るようになったのも、ラズリウが煩わしくなって子守役を置きたくなったのではないだろうか。
そんな事を考えると何も言えなくなっていく。
足音が聞こえて階段の方を見ると、グラキエ王子が文献を大量に抱えて上のフロアから降りてきた。ラズリウの視線には気付かずに作業机へと真っ直ぐ向かっていく。
「あ……」
いつも向けられていた金色の瞳。その視線がラズリウに向くことが明らかに減っていて、無性に寂しい気持ちになる。
彼に置いてけぼりにされたご令嬢達はこんな気持ちだったのだろうか。だからグラキエ王子に詰め寄って、怒ったのだろうか。だとしたら……少しだけ気持ちが分かる気がする。
「構って欲しいならそう言えばいいだろ」
未だにガタガタ震えている毛布の雪だるまが、声だけ格好をつけてそう言った。
それが出来れば苦労しない。
あえて距離を取られているような状況で伝えても拒否されるかもしれない。あるいは無理をさせるかもしれない。そう考えると迂闊に声に出す訳にはいかないのだ。
令嬢と違う事を期待して選択されたラズリウが、他の令嬢と同じ事をしてしまっては意味がない。グラキエ王子が求める有用な存在でありたいけれど、その正解が何なのか未だに分からない。
最初は手応えがあった気がするのに、今はただ己が空振りをして自滅する情けない状態が続いている。
「……グラキエ王子……」
「何だ?」
「えっ!?」
声に驚いて顔を上げると、目の前に先程素通りしたはずの金色の瞳があった。思わず持っていた本を取り落としてしまい、それに気づいた王子が拾い上げて渡してくれる。
本を受け取りながらスルトフェンを横目で睨むと、昔馴染みはニヤニヤと笑っていた。
意地が悪い。近付いていた事に気付いていたのなら教えてくれればいいのに。
向かいのソファに腰を下ろしたグラキエ王子は、一枚の地図をローテーブルに広げた。
アルブレア城周辺の地図だ。黒で濃く書かれた城と城下街に、その外側に引かれた太い線。街の北東方向に赤いインクで太い線が丸く書き足されている。
その赤い線を指さして、目を細めながら王子は微笑んだ。
「ここに作った新しいドームの検査が一通り終わったんだ。拡張したエリアに行ってみないか?」
「えっ……い、行きます! 行きたいです!」
間髪入れずにラズリウは首を縦に振った。
覚えてくれていたのだ。月灯草の草原で話していた、今あるドームの向こう側へ行く約束を。
距離があると思っていたのは忙しかったからなのかもしれない。今まで話し相手になってくれていた研究員も現地調査に行ってしまったというし、それで話し相手にスルトフェンを引っ張って来てくれたのかもしれない。
少しだけ見つけた可能性を何重にも広げながら、ラズリウはじっと地図を見つめる。
「スルトフェンも一緒にもどうだ?」
「うげっ、それってガッツリ雪の中だろ……本気かよ、正気とは思えねぇ」
アルブレア城と研究所の行き来だけでも寒さに震えているスルトフェンが乗るはずもなかった。顔や言葉遣いを取り繕う事も忘れて、青い顔を左右に激しく振って拒否している。
そんな様子をきょとんとした顔で見つめていたグラキエ王子だったけれど、ぷっと小さく噴き出した。
「素が隠せていないが」
「…………申し訳ございません」
はっと我に返ったスルトフェンは別の意味で顔を青くして深々と頭を下げる。
彼の師匠はグラキエ王子の教育係だ。ラズリウの従者である事もあって、アルブレアの礼儀作法も学ぶために元近衛騎士であるテネスから剣術以外も教わっていると聞いている。
しかし、この幼馴染は何せ剣術しか頭にない。マナーで山ほどボロを出して、祖国以上に締め上げられているであろう事は想像に難くない。
そのせいだろうか。
「テネスには黙っておいてやるが、貸しひとつだ」
「有難き幸せ……!」
ソファの上でひれ伏すスルトフェンに、グラキエ王子はふふっと悪戯っ子の様に笑う。どうやら同じ相手を師匠としてしごかれる者同士、謎の連帯感を持ったらしい。ラズリウの知らぬ所でいつの間にやら悪友のようになっていた。
そんな顔、いつも一緒に居た自分は見たことも無いのに。
悪の黒幕と手下のような会話を聞きながら、どこかモヤリとした気分で二人を見つめていた。
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