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26.拡張ドーム

 その日は朝からアルブレア城を出て、研究所へ向かう道から枝分かれした細い通路を行く。  通路の先には簡単な門があり、入口には詰所のような小屋があった。中に居た男性へ声をかけると木製の門が開き、少し進んだ先にはドームの端が見えてくる。  そして何やら文字と数字の浮かぶ壁面が一部に広がっていた。グラキエ王子が腕に着けていた腕輪を壁にかざすと、それに反応したのか不作為に浮かんでいた文字と数字が光を放ちながら整列していく。驚きながらその様子を見守っていると壁が扉の形になり、ぎぎぎと低い音を立てて開き始めた。 「この入口も魔法ですか?」 「ああ。ドーム自体が魔法で出来ているから、少し術式を書き換えて出入り口にしているんだ」  簡単そうに言っているが、今あるものに手を加える方が困難だと最近読んだ教本には書いていた。新しく作ったり機能が停止したものを修理するよりも、生きている機能を損なわないよう書き換える方が難しいのだと。  それをこの国の研究所の人々は為し続けている。ずっとずっと、長い間。  少しドキドキしながら入口をくぐって辿り着いた先は、見渡す限りの銀世界だった。  街はもちろん、森も山も遠くに見える程度の広大な雪原。人の気配が無い事もあって気温がさっきよりも低い。遮るもののない風も皮膚を切り裂きそうな冷たさを帯びてぶつかってくる。  スルトフェンが来るのを拒否したのは正解だったと思う。万一彼が真面目な性格でここに同行していたら、すぐに動けなくなって本物の雪だるまになってしまったかもしれない。 「常々思っていたんだが、ラズリウ王子は寒さに強いよな。着ている物の差はあるだろうが……スルトフェンと本当に同郷なのか?」  隣も同じくスルトフェンの事を考えていたらしい。少し驚いたようにラズリウを見ている。 「スルトフェンはネヴァルストでも特に熱い、熱砂地域という所の出身なんです。僕が強いというよりは彼が寒さに弱いのだと思います」  ネヴァルストの熱砂地域は砂漠地帯の中でも特に高温と熱射のきつい地域だ。現地の民であっても油断をすれば命を落とす危険があるくらいの、国内で一、二を争う過酷な地域。  その出身者にとっては夏の王都ですら涼しく、その冬は真昼であっても寒さが強く感じられるのだと聞いた。そんな人間がここまで雪で覆われた世界に来れば、体の芯から震え上がるに決まっている。  話を聞きながらじっとラズリウを見ていたグラキエ王子は、何故か少しだけ微笑んだ。 「……それでもこんな北の端まで、ラズリウ王子について来てくれたんだな」 「それは、そうですね。てっきり一人で来る事になると思っていたので、とても感謝しています」  スルトフェンのお陰で道中もあっという間だった。  祖国に対する毒舌や不遜な態度に肝を冷やした事もあったものの、思えばこの大陸で一番熱いであろう地域から、一番寒い国まで遥々やって来てくれたのだ。過去のラズリウがスルトフェンの命を救った貸しがあったとはいえ、過ぎた恩返しである。  それがすっかり当たり前になっていて、ずっと自分の事ばかり考えていたけれど。  スルトフェンはこのままアルブレアに居るつもりなのか、本当は祖国に戻りたいと考えているのか。己はここに残るつもりで来たけれど、巻き込んで連れてきてしまった友人の事はきちんと考えなければならない。もしも彼が帰る選択を取ったとしても、今のラズリウであればきっとその背中を心からの激励で見送る事が出来る。  問題はどうやって元通りの立ち位置に戻れるよう立ち回るか、だが。      少し考え事に浸ってしまい、気が付いた頃には会話が途切れていた。無言が少し気まずくなり視線を右に動かすと、ドームの向こうは空気でさえも真っ白な世界が広がっている。  どうにも雲や霧の白さではない。ラズリウ達に向かって大量の雪とおぼしき白い物が怒涛の勢いで押し寄せてきている。ドームの内側は風と少しの雪が降っている程度だというのに、その外側には硝子の上を流れる程の白い波が吹き付けているのだ。 「あれが……外……?」  白が猛々しくうねり波打つ光景に、背中がぞわりと粟立った。 「これが風雪の檻と呼ばれる由縁なんだ。ドームの外は雪と氷の壁だから」 「こん、なに……これではドームが無ければ本当に」  人間なんて、ひとたまりもない。  あの雪の渦に放り出されたりしたら、きっとすぐに呑まれて押し潰されてしまう。街の人々から話に聞いてドームの重みは知っていたはずなのに。いざ目の前に檻の外を臨むと今更ながら震えが上がってきてしまった。 「だから、少しでも外側に広げたいんだ。何処にでも行けるように」  ぽつりと呟くグラキエ王子は真っ直ぐに檻の外を見ていた。その横顔は夢に輝くというよりも、どこか悲しそうで、儚く見える。  すっとドームをすり抜けて向こう側へ行ってしまいそうで、胸の奥がザワザワする。    妙な感じだ。あのグラキエ王子なのに。  体が無意識にそろりと近寄って、立ち尽くす右肩にそっと身を寄せた。急に近付かれて驚いたのか、ぱっとラズリウを見る金色の瞳は少し動揺している様にも見える。 「さ、寒くなってきたかな」 「……少しだけ」  ぎこちなく微笑む表情は時々ラズリウも見かけるものだ。いつもの様子に戻って少しだけホッとした。  ふわりと感じる香りに思わず肩口へ頬を寄せると、少ししてポンポンと頭を王子の手が軽く撫でる。スルトフェンもよく同じ事をしてくるけれど……何故だろう、グラキエ王子にされると気分がふわふわする。 「観測塔へ行こう。現地のチームが居るから、ゆっくり暖を取れる」  時々話に出てくる観測塔はドームの調査をするための拠点なのだそうだ。  既設のエリアは主にメンテナンスの時に使うそうだが、新しく拡張したエリアは問題がないか監視するために研究員の人達が交代で張り込んでいるらしい。 「僕がお邪魔しても大丈夫なのでしょうか」  大事な施設だろうに、部外者が立ち寄っても良いのだろうか。来たばかりで体力的にも余裕はある。このまま引き返す事も可能だけれど。 「少し休むくらいなら大丈夫だ」  そう笑ったグラキエ王子にいつも通り手を引かれ、雪道を歩き始める。    行く先には人の気配がしない景色に不釣り合いな、一際背の高い人工物が聳え立っていた。

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