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27.観測塔にて
目の前に見える塔に向かって、しばらく。
ようやく目的物の入り口が見えてきた。周囲に何もないと小さく見えるが、やはりこうして近付くと大きい。
ついいつもの調子で歩いてきてしまったが、ラズリウ王子にはペースが少し早かったかもしれない。そう思ってちらりと隣を見ると予想とは裏腹に平然とした顔で歩いていた。
「やっぱり慣れてないか?」
「そうですか? それなら湿地の行軍訓練のおかげかもしれません」
「こうぐん……まさか兵士の受ける訓練の事か?」
「はい」
さらりと言う顔からは、どうしても訓練の姿が想像できない。
パッと見は蝶よ花よと育てられていそうなのに。交合やら行軍やら、この王子は本当に予想のつかない訓練をしている。いっそ王族なのかと疑わしくなってくる程に。
「昔は騎士を目指していたんです」
「……本当に王族か?」
あまりにも想定外すぎた。
うっかり思っていたことが口をついて出てしまって、慌てて口を塞ぐ。これは流石に誰に言われなくても失言だと分かる。
内心慌てふためいたグラキエだったが、ラズリウ王子は特に意に介する様子もなく微笑んでいる。それはそれで、地雷のスイッチが見えずに戦々恐々とするのだが。
「ネヴァルストの王族は下に行けば行くほど教育が甘くなります。僕は十番目の子供、王子としても五番目なので、自分の道は比較的自由に選べたんです」
「な、なるほど」
それで騎士を選んだということらしい。それにしても見た目とのギャップが凄いけれど。
「しかし、王族が騎士になるのは意外だな」
「アルブレアは研究者ですもんね。祖国では王族出の騎士も多かったですよ」
言われてみればその通り、家族は殆ど研究職だ。それが当たり前で深く考えた事がなかったけれど。
それがネヴァルストでいう騎士なのかもしれない。大国は兵力も必要だろうし、王族が率いるとなれば予算も注ぎ込まれて手がかけられるだろう。
そう改めて考えると、やけにストンと腑に落ちた。
話している内に観測塔の入り口が近付いてくる。するとラズリウ王子が不意に立ち止まって。
「……すぐ上の兄も騎士になって、僕も続くつもりだったんです……Ωで、なければ」
ぶわりと一際強い風が二人の間を駆け抜けていった。
――少し俯く姿に、かけられる言葉がない。
小言も説教も沢山食らうけれど、何だかんだで希望を叶えて貰ってきた。与えられこそすれ、性別を理由に目標を取り上げられるなんて経験はない。
そんな自分が何か言ったところで、失言以外の何が出来るだろう。
「すみません、行きましょう。流石に寒くなってきてしまいました」
「あ、ああ……そうだな」
ぱっと顔を上げたラズリウ王子に手を引かれて入口へ近付いていく。鈍い音を立てて開いた扉の内側は温かく、思わずほっと溜め息をついた。
風除室を抜けて広間へ足を踏み入れると、いつもラズリウ王子と話していた年少の研究員が丁度奥から出て来た所だった。二人の姿をすぐに見つけて、少し幼さの残る顔はきょとんとした表情をする。
「あれっ、グラン王子とラズ王子? これまた変な所へデートにきましたねぇ」
「そうじゃない。新しく出来たドームを見物しにきただけだ」
グラキエがむくれた表情を返すと、はいはいと研究員は笑う。
「ラズ王子も物好きだなぁ。グラン王子と一緒とはいえ、何もない雪原までわざわざ」
「興味深かったです。ドームの向こう側がどうなっているのか分かったので」
「……雪の壁見てそんな感想言うの、初めて聞いた」
真面目に切り返すラズリウ王子に苦笑する研究員は、手に抱えていた資料をテーブルの上に置いた。その拍子にいくつか散らばった紙を手に取ると、観測地点毎の観察メモで。
どうやら待機している間に、現地で記録した手書きの資料を整理するらしい。大事な工程ではあるのだが、誰もやりたがらない手間な作業である。
きょろりと周りを見回すけれど、他の居残り組が出て来る気配はない。
「ココアでも飲むか」
「えっ、淹れてくれんすか」
見るからにテンションの下がった様子でメモを選り分けていた顔が、分かりやすくパァッと輝いてグラキエを見る。
物資の限られた環境で、自分のためだけにに何かを準備するのは憚られる。ココアのような嗜好品に近いものは尚更だ。
「俺達のついでだがな」
「めっ……めっっちゃくちゃ分量間違えたやつがいい!」
「はいはい」
きらきらした顔に見送られて簡易キッチンに向かう。棚からカップ三つとココアの保存缶を取り出した。
持ち込んでいるものはカロリー摂取のため特に甘味が強いものだ。大人はあまり好まないので影響は少ないだろう。
もちろん非常時の備蓄でもあるので、使った分は補充が必要だが。
「あの、先程の分量というのは?」
匙で粉体を入れたカップに保温ポットの湯を注いでいると、じっと手元を見ていたラズリウ王子がグラキエを見た。
「間違えると地獄のような激甘ココアが出来上がる」
元が甘味を強くしている分、多量に入れるとココア風味の砂糖を食べている様な強烈さになる。
一度どんなものなのか興味が湧いて味見をしたが……グラキエは早々に飲み切る事を諦めた。一口目ですら飲み下すのに苦労した記憶がある。
「味見してみるか?」
最後の赤いカップの中身を溶き終え、かき混ぜていた匙に中身を掬って差し出す。
少しだけ躊躇うようにちらりとこちらを見て、そっと口に入れた。甘い物は嫌いではないのか一瞬だけぱっと顔が明るくなって。
「……っ、ぅ……?」
じわじわ効いてきたらしい甘い後味に無言で悶絶し始めた。
そうだろう、そうだろう。どこまでも甘さの残るこの味に耐え切る事の出来る逸材は、そうそう居ないのだ。
ラズリウ王子に適量を溶いた白いカップを渡し、同じく適量の白いカップと分量を間違えた赤いカップを手に持つ。いつの間にか作業を始めていた相手に赤いカップを差し出せば、すぐさま飛び付くように受け取った。
「そういや、次の観測はラズ王子も参加するんすか?」
ずずずと激甘ココアをすすりながら、平然とした顔の猛者がラズリウ王子を見た。理由の分からない本人は当然きょとんと視線を返す。
「そんな訳ないだろ。俺だけだ」
「えーっ、一緒に来るから下見に来たのかと思ったのに」
無茶を言う。
一体何をするのかすら知らない人間を、何日も雪原のど真ん中へ連れて行ける訳がない。しかもまだ何の説明もしていなかったのに。すっかり先を越されてしまった。
そして案の定、疑問を浮かべた顔がグラキエを覗き込んでくる。
「あの……観測、とは」
「えーっと。一定期間ここに泊まり込んで、新しいドームの調査をするんだ。次は俺もチームの当番でな」
目を丸くした顔が寄越してくる視線が痛い。一体どこまでの内容をどう説明をしたものか。
ラズリウ王子のことだ、話すだけ聞いてくれるのだろうけれど。一応リスクの話もするべきなのだろうか、しかしそこま突っ込む必要があるのだろうかと考え始めると、とりとめもない。
「あの……それはどれくらい……」
気にする所はそこだったらしい。
それもそうか。今まで連れ回していたのだから、どれくらいの期間、どの様な影響があるのかは知っておきたいだろう。
「一週間くらいかな。その間はスルトフェンと行動するといい」
自分が居ない間の不便のなさもきちんと伝える。そのために無理を言って、修行中のスルトフェンをこっちに回して貰ったのだから。
けれどその顔は何だか複雑そうな顔をしていた。てっきり安堵するか喜ぶかだと思っていただけに、予想外の反応にこちらも戸惑ってしまう。
「ら、ラズリウ王子……?」
「あ、えと、あの。頑張って下さいね」
そう微笑んだラズリウ王子は手に持ったカッブに口をつける。
しばらくココアを飲みながら他愛ない話をして、少しだけ観察メモの整理を手伝って城へ戻ったのだった。
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