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48.道筋

 テラスの向こうに広がるのは少し冷たい風が踊る空。いつの間にか祭りの喧騒が響く青に、無数の花の様な金と銀の花火が打ち上がっていた。 「もう花火の時間だったのか」  思わぬ寒さに慌てて服の緩みを整えていると後ろから声が聞こえた。振り返れば、追いかけてきたらしいグラキエ王子が扉の側で目を丸くして空を見上げている。 「花火の……時間?」 「白夜は一日昼間みたいだから、時間が分からなくなるんだ。だから夜になると時報代わりに花火が打ち上げられる」 「そう、なん、ですか」  遅かったとはいえ昼食を取ってこの部屋に来たはずだ。少しだけ休憩するつもりだったのに、結局夜まで寝台の上で過ごしていた事になる。  「リィウ?」  ふと視界いっぱいにグラキエ王子の顔が飛び込んできた。驚いて後ろにたたらを踏むラズリウを抱き留めながら、向けられた顔はまた甘く笑みを浮かべる。 「夕食に行こう。夜は屋台のメニューが変わるんだ」 「は、はいっ」 「それで、その。屋台から帰ったら……また君に触れたい」  予想になかった言葉に、今度はぴしりとラズリウが固まった。    じわじわとまた熱を帯び始めた頬に手が触れて、その指が唇をそっと撫でる。その温もりに口付けを思い出して、寝台の上で触れていた熱を思い出して、かあっと全身が火照っていく。   言葉すら出せないラズリウに苦笑して、グラキエ王子の手は離れていってしまった。 「……すまない、さっきのですっかり舞い上がってしまっているみたいだ」  ぽりぽりと頬をかきながら、くるりとグラキエ王子は背を向けて歩き始める。立ち去ろうとする後ろ姿に慌てて駆け寄り、勢いよく後ろから抱きついた。 「触れ、たい……もっと……もっとキーエに……っ」  本当は、もっと深いところまで。  グラキエ王子の跡が欲しい――項にも、肌にも、奥深くにも。  一気に溢れそうになる欲を飲み込みながら絞り出した声は、かつてない程に震えていた。    かしゃんと金属音が足元で響いて、丁度振り返ったグラキエ王子は少し目を見開いた。瞬く間にぶわりと白い頬が赤く染まる。そっと頬をその手が包んで、暖かいものがまた唇に触れて。 「あ、っ……」  首筋に、ゆるく歯が立った。さっきまで首輪が覆っていたはずの所に、グラキエ王子の口が噛みつくように接している。  食むようにその口が動いて、何度も何度も固いものが当たる感触がして。 「きーえ……」  跡をつけられている。  そう頭が認識した瞬間、腰が砕けた。    情けない事にどうしても立ち上がる事が出来ず、抱え上げられて寝台まで運んで貰う事になってしまった。シーツの上に下ろされた状態でグラキエ王子を見つめていると、テラスから首輪を拾って戻って来る。  グラキエ王子の前では閉じない首輪。そういえば昼間の間は外れないようにして貰ったのだった。最近は外れてしまう事も殆ど無くなって、すっかり落ち着いたものだとばかり思っていたけれど。  ……この雰囲気で舞い上がってしまったのかもしれない。  「屋台へは行けなくなってしまったな。食事はテネス達に頼もう」  くすくす嬉しそうに笑いながらグラキエ王子が隣に座る。不公平だ。自分の欲だけが相手に丸分かりになってしまう。 「平気だよ。ヒートじゃないんだから」 「俺が平気じゃない。首輪も無しに外を歩かせたくない」  じろりと睨んでみても、笑う顔は崩れない。じゃれるように抱きついてきてポフンとベッドに押し倒される。最初は放置を決め込もうとしていたくせに。見事な手の平の返しである。  それでも嬉しいと感じてしまうのは……危うくこの手をすり抜けていってしまいそうになったからだろうか。    テラスへの扉を開け放って、寝台の上で寄り添いながら青い空に咲く花火を眺める。ただそれだけの何もない時間。けれど酷く暖かくて、安らぐ時間。  けれど……心地よくあればある程モヤモヤと不安な気持ちが湧いてくる。 「あの、グラキエ……有人観測の調査って……また行くの?」 「唐突だな」 「大事な話だよ」  ドームは破棄されずに今も修復が続けられていると聞いた。いつかまた修理が終わって完成する。  そうなれば研究員達はきっと、あのドームにまた向かうんだろう。同胞が雪に埋もれてもなお同じ研究を続けている人達だから。彼らと同じ様な気質のグラキエ王子とて、じっとしているとは思えない。 「予定が立ったら行くつもりだ。投げ出してしまう訳にはいかないから」  案の定の答えに、そう、とそっけない言葉が口から転がり落ちた。 「い、いやあの、申し訳ないとは思っているんだ。心配をかけてしまったのは分かっているんだけれど」  怒っていると勘違いされたのだろうか。眉をハの字にして、慌てた様子のグラキエ王子が顔を覗き込んでくる。  引き留めたい訳でも、この街に閉じ込めたい訳でもない。ただ。 「一緒に行く」  取り残されるのが嫌だ。  あの時みたいに何も出来ずに泣いて待っているだけなのは、また耐えられるか分からない。  風雪の檻に閉じ込められた人々を、今のラズリウでは助け出せない。何度か教わりながら練習したけれど、光ほど上手く炎は使えなかった。もし習得出来たとしても何年先になるか分からない。  けれど最初からその場にいる事が出来たら、覚えた光の魔法で持久戦に耐えられるかもしれない。 「いや、それは危ない。不便も多いし、辛いかもしれないし」 「君が危ない所に行くなら一緒に行きたい。ちゃんと勉強するから。行軍訓練より不便な事があるなら対策する」 「そ、それと比べられると……」  だてに騎士を目指していた訳ではない。もう以前ほどの体力や技術は無いかもしれないけれど、衰えたなら鍛えればいい。必要な技術や知識は身につければいい。  何年も師範にしごかれた根性だけは、今も残っているはずだから。 「だ、だけど」 「同じ辛い思いするなら、グラキエと一緒がいい」    肯定以外は受け付けない。   じっとグラキエ王子を見つめて引く気配のないラズリウに、目の前の困った顔は説得する言葉を見失ったようだった。  

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