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51.隠し事
抱き締められて、唇が触れて、少しだけ深くなって。お互いの口の中を舌で撫で合って、また甘い匂いが鼻につくようになってきた。
落ち着けたはずの興奮が、またじわじわと這い寄ってくる気配がする。
「あの、キーエ……跡……他の人達につけられても嬉しくなかったけれど……君につけられるのは、嬉しい。だから気にしないで」
囁く様な声。恐らくグラキエの粗相へフォローを入れてくれようとしたのだろう。けれど耳と頭は完全に違う所へ意識が向いてしまった。
「他の、人、たち……? 交合訓練の相手は一人じゃなかったのか?」
「えっ。あ……っ」
ハッとした顔のラズリウ王子はぱっと口を手で覆った。
慌てた様子で座っていたグラキエの膝から降り、距離を取ろうとする。咄嗟に肩を掴んで引き戻すけれど、顔は向こうを向いたまま振り返らない。
「ら、ラズリウ。一体ネヴァルストで何があったんだ? その言い方はまるで」
訓練だけでは無かったように聞こえる――口から出る前に頭の中でそう言葉にし終えて、流石に言い淀んだ。
あえて交合の訓練だとだけ言っていたのだ。そこにはきっと意図がある。
それ以上踏み込んで良いのか、グラキエには判断がつかなかった。問おうとしているそれはラズリウ王子の気持ちも、尊厳も、深く傷つけてしまう様な気がしたから。
「………………訓練の相手は、一人、だった」
少しだけ震えている声。恐らくグラキエの予想が的中しているのだと、その言葉ですぐに理解できる。
他に居るのだ。それも一人ではない。
何人もグラキエの前にラズリウ王子に触れている。
それは婚前交渉すら渋い顔をする文化を持つアルブレアでは、間違いなく良い顔をされない。だから黙っていたのだろう。
それはいいとして、誰だ。
一体誰がラズリウ王子を組み敷いたのか。貴族か、騎士か。離宮というくらいだから、あまり人の出入りは無さそうなものだけれど。
「……まさか、使用人に?」
そう思えば納得がいく。身の回りの世話をする使用人であれば近くに居ても違和感がないし、外に漏れる事もないだろう。
ぐるぐると不安定に回る頭が出した可能性だったけれど、ラズリウ王子はふるふると首を横に振った。
「武勲を、立てた人達……その人達には、その、王族と交わる権利が慣例的に与えられていて」
「え……なん……それ、は、どういう……」
「Ωは発情していない時に孕む可能性は低いって言われてるから……いつか嫁に出す姉妹よりも僕が適任、だったんだ」
今までにないくらいの、目眩がした。
ネヴァルストは武を尊ぶが故に、武勲を上げた者は報奨として王族と交わり、子を成す機会を公に得られるらしい。子を成せばその親として王族と結婚し、末席に名を連ねる事ができる。多くの国とは結ばれる順序が逆なのだ。
そしてそれは王も知っている。だから他国へ嫁ぐ可能性の高い王女ではなく、Ωの性をもつ王子のラズリウが離宮で無骨者の相手をする役割を務めることになった、と。
混乱しながらも何とかそれは理解した。
「…………まるで慰み者じゃないか」
聞いた内容を反芻する度に受ける衝撃が強すぎて、一度飲み込んだはずの声が溢れ出てしまった。孕まないからと我が子の身体を一晩与えるという発想が何故出来るのか。それも何度も、何人にも。
それは慣例で済ませられるものなのか、父親にとって。
段々と顔が険しくなっていくのが自分でも分かる。そしてグラキエを見ていたラズリウ王子はびくりと肩を震わせた。
「ごめん、なさい……黙ってて……ごめん……」
一気に泣きそうな表情を浮かべて、か細い声と一緒に俯いてしまった。
罪悪感はずっとあったのだろう。けれどそれを隠してでもアルブレアに留まろうとした。グラキエの指名を機会にして、祖国から逃げ出してきたのだ。
帰さなくて正解だった。そんな場所に置いてはおけない。たとえ他の誰かがラズリウ王子の代わりになるのだとしても。
……彼一人を盾にして逃れてきた役目を、改めて身に受ければいい。
ふつふつと冷たい気持ちが浮かんでくる己に少し驚きながら、俯いたままシーツを握りしめている体を抱き寄せた。甘い匂いと少し高くなっている体温が、冷える心をゆっくりと温めていく。
「忘れさせる」
微かに震える背を撫でると、腕の中の体は遠慮がちにもぞりと動いた。恐る恐るといった表情でグラキエを覗き込んでくる。
「グラキエ王子……?」
呼び方が以前の頃に戻ってしまっている。余計な質問をして不安にさせてしまったかもしれない。
揺れている瞳を真っ直ぐに覗き込んで、少し抱きしめる腕に力を込めた。
「忘れさせるから。俺が。アルブレアが。リィウの上を素通りした奴らとの出来事なんて、雪の下に埋めてやる」
過去に誰が居ようと知らない。
今のグラキエにはもうラズリウ王子を手放す選択肢など無い。先程の話が他にバレたとしても何も変わらない。元々素直に言う事を聞く様な性質ではないのだから。
ハの字に下がった眉の間と唇にそっと口付けて、もう一度強く抱きしめる。すると小さく溢れた吐息と一緒に腕がグラキエの背に回って、ぎゅうっと抱きしめ返してくる。
少しは、安心させる事が出来ただろうか。
顔が見たくてそっと体を離すと、ラズリウ王子の瞳に涙が溜まっていてぎょっとした。
「もう……あまり詳しくは覚えてないんだ。ただのお役目だったから。弱者扱いされて屈辱だったのと、跡がつくと次が面倒なのにって思ってた事くらいで」
微笑んではいるけれど、ひとつ、ひとつ、ポロポロと水の粒が瞳から流れ落ちていく。
来たばかりの頃の言動も自尊心を折られ続けてきたせいなのかもしれない。けれど目の前で雫を落としながら笑う顔には、僅かに王族の、騎士を志した者のプライドが見え隠れする。
少しは癒えているのだろうか。今まで負わされてきた傷が。
そうであってほしい。少しでも気持ちが軽くなっていてほしい。そんな事を思いながら今なお落ちる涙を拭うと、琥珀の瞳がゆるりと目尻を下げる。
「僕を呼んでくれてありがとう……キーエが色々なものをくれるから、離宮の事も忘れていける」
「リィウ……」
「でも、もっと欲しい。噛み跡も、口付けも。キーエの印が、もっともっと沢山欲しい」
頬を染めながらじっと見つめてくる、涙に濡れた大きな瞳。その口から出てくる言葉の破壊力があまりにも強大すぎて。
返事どころか呼吸すら喉の奥へ吸い込まれるように引っ込んで、処理能力を超えたらしい頭は完全に役割を放棄してしまった。
思考が止まってしまったグラキエを、奥の方から突き上げてくる衝動が徐々に飲み込んでいく。
抱きしめていた身体をシーツに押し付けて、閉じ込めるように上にのしかかった。付けた噛み跡をなぞるように口付けて、背を撫でていた手を少しずつ下へ滑らせていく。
「あ……き、ぃえ……」
少しだけ、戸惑いを含む声。それを溢す唇に口付けて言葉を塞ぐ。
何をすべきかの手順は記憶のどこにもない。けれどまるで何かに導かれるように、グラキエの手はラズリウ王子の身をまさぐって蜜の出所を突き止めた。
これが本能だというのなら、先程停止したのは思考だけではないのだろう。
――αの理性は容易く崩れるものです。
シーナの言葉を頭の隅に浮かべながら、あれは本当だったなと自嘲しながら己の衣服を脱ぎ去った。ふと気付くと目の前に横たわる身体からは先程より甘く香る匂いが立ち昇っている。
それに惹き付けられるように、ゆっくりとラズリウ王子の上に覆い被さった。
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