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第3話 僕の名前
ずっと路地裏に居座る訳にもいかず、落ち着いて契約書にサインするため帰宅した。
「ただいま……」なんて淡い期待を込めてドアを開けても、もちろん誰もいない。両親は共働きかつ多忙によるコミュニケーション不足で、家族団らんの時間などとれるはずもない。
「ねえ、いつまで玄関で突っ立ってるつもり? キミの名前が分かるものが無いと契約できないんだけど」
土足で勝手にあがっていた死神は、ただ食べて寝るだけの部屋をウロウロ探し回る。
タンスや戸棚なんかを開けたって、必要最低限の物しか入っていないのに。
「はあ、ここにも無いか……ねえ、キミ自身は何か自分のこと思い出せないの?」
「……思い出せてたら、もう言ってます」
「キミねえ、あまりにも自分に対して無頓着すぎない?」
のそのそとリビングである和室にあがって、思いのほか疲れていたらしい僕の体は、そこで横たわった。
「自分の事なんてどうでも良いんです、どうせ誰も僕を必要としてないし。両親だって、きっとこのザマを見ても何も思いやしませんよ」
和室のへりに千切れたままのロープ、倒れたイスが転がっていても、片付ける気にはならない。
「誰にも構って貰えないからって不貞寝?」
「構って欲しくてこんな事した訳じゃ……」
そうじゃないと言い切りたくても、現世に戻ろうとしたあの瞬間、また一人ぼっちになるのが怖かった。
死神が元の世界に戻って、厄介な僕がまた来ないようにしたいから、「友達契約」なんて言い出したのも分かっているのに。
僕は……僕自身が分からない。
「とにかくだね、キミがそのままで良いと言ってもボクはこの景色が好きじゃない。だから片付けさせて貰うよ」
呆れた顔をして手から光を出し、僕の返事も待たずに和室は元の何も無い和室に戻された。
「少しはマシになったね。それにしてもここ、黒電話もないの? まあ放っておいても、家族は戻ってくるだろうね。ほら、もうすぐ」
「え……?」
外からアパートの階段を駆け足で昇る音がしたと思った、次の瞬間「ゆうき、友樹っ!!」と僕を呼ぶ声と共にドアが開いた。
勢いよく入ってきた両親は僕を抱きしめて、「どうしてっ!」「なんで……」「ごめんなさい」と次から次へと、家族の言葉を聞いた。何年ぶりだっただろうか。
普段交流のない近所から通報が来て、いくら仕事を優先にしてきた人生を送っていた両親たちも、取り乱したようだ。
物静かで手の掛からない一人息子が、身体中に殴られたあざをつけて、首に紫色の鬱血痕を残して。生きた屍のような足取りをしている。
父は警察の事情聴取の対応、母は急いで僕を病院に連れて行って「特に問題ない」と医者から言われても、ずっと泣いていた。
とりあえずの応急処置を受けて病室のベッドに横たわる僕の手を握り、「ごめんね、ごめんね……もっとそばにいるから、お願いもう二度としないで」と母は泣いたり怒ったりを繰り返す。
つられて僕も溢れて止まらない涙でぐしゃぐしゃになりながら、何度も何度も謝り、母の手を強く握り返した。
その様子を、死神は何とも言えない表情で見ていた。
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