◇ 朝食用の大きめのパンを一つ手に取った。大きめのパンと言ってもライニールにとっては一食分に満たない。ミハルはそれを皿に置き、端っこのほんの数センチを切り取り自分用の小さな皿に乗せた。残り３つの卵でオムレツを作り、それはライニールの皿にだけ乗せ、チーズの欠片はそれぞれの皿に乗せた。そして昨日の残りのマッシュポテトを端に乗せて、ミハルはライニールの為の皿だけを暖炉の部屋へと運び出した。 　ライニールはすでにテーブルについて、フォークを握りしめている。先に入れたミルクと砂糖たっぷりのカフェオレからはまだ湯気が立っていた。 　皿を置くと、その量にライニールはあからさまな表情を見せたが、ミハルは気がつかないふりで「どうぞ」と右手を上向けた。 「てめえのは」 「え、俺は調理場で」 「座れ、ここで食え」 「は？　ああ、はい。わかりました」 　どう言う風の吹き回しかと、ミハルは首を傾げながらも調理場に置いてあった自分の皿を運び出し、テーブルの上に置いた。ライニールの向かいの席に腰を下ろすと、お互い「いただきます」も言わずに食べ始める。 　ミハルの皿の上はライニールの皿の上の、半分の半分の、さらに半分ほどの大きさのパンの欠片と小さなチーズがひとかけらだ。ライニールは「チッ」と舌打ちしたかと思えば、乱暴に千切った自分のパンの欠片をミハルの皿に放り投げた。 「ライニール様、やっぱり俺を太らせて食べるつも」 「うるせえ、黙って食え」 　ミハルは言われた通り、黙ってもそもそとパンを齧った。全部食べ終えたところで顔を上げると、とっくに皿の上を空にしていたライニールがカフェオレを啜っているところだった。 「ライニール様は野菜嫌いでも、ポテトは食べるんですねえ？」 「ああ」 「足りました？」 「足りねえ」 　そうだろうなとミハルは腕を組んだ。 　しかし、調理場の食料がほとんど底をつきかけている。パンはこれが最後で、あとは僅かな米とじゃがいもがあるが、それで何が作れると言うのだろうか。 「ライニール様、城の外にでてはダメですか？」 「あ？」 「買い物に行きたいのです。食材を」 「ダメだ」 　ミハルの言葉をライニールは遮った。 「今日ヒリスが来る」 「ヒリス様とは、もしや先日食材をお持ちいただいた？」 　その問いに、ライニールはカップに口をつけたまま「ああ」と頷いた。 「それは大変だ！　支度しなければ！　何時ごろお見えになります？」 「知らねえ」 「知らねえって、あなた」 「支度ってなんの支度だ」 「え、それは多少髪を整えたりとかそういう」 「いらねえ」 「え」 「お前はヒリスに会わせない」 　その言葉でミハルは思い出した。城から出るなと言われたことだけでなく、誰とも会わせないとも言われていたのだ。 「わかりました」 　言葉ではそう言いながら、ミハルは俯き口を尖らせた。それを見たライニールは溜め息を吐きながら、テーブルの上に肘をつく。 「ヒリスに会ってどうするつもりだ」 「ご挨拶と、あとはお持ちいただきたい食材があったので、お願いしようかと」 「なんだ」 「え、まあ、パンを焼こうかと思ったので、小麦やイースト菌とか、あとは魚ですとか、他にも色々」 もう一度、ライニールはため息をついた。 「挨拶はいらねえ」 「はあ」 「欲しいものは書き出せ、俺が伝える」 「はあ」 「文字は書けるな？」 「まあ」 「チッ」 　まだ不満気なミハルにライニールは舌打ちをした。しかし、「ヒリスには会わせない」という意向に関しては折れるつもりはないようだ。 「ライニール様は、ヒリス様以外にお友達はいらっしゃるんですか」 「ヒリスは友達じゃねえ」 「あ……はい」 「友達はいねえ」 　ミハルは記憶を奪われた自分に友が居ないことについて同情を買うつもりで切り出したのだが、残念ながらライニールも孤独な引き篭もりであることを失念していた。 「兵士時代の同僚とかそういった方達とは交流はないんですか？」 「ねえな」 「そういうもんなんですかね？」 　同じ戦場を生き抜いた同志であれば、友というより仲間のような感情は芽生えないものなのだろうか。 「好きじゃねえ」 「は？　兵士時代のお仲間のことがですか？　いじめられでもしてたんですか？」 「ちげえ」 「ではどうして？」 「あいつらは弱い。すぐに死ぬ。だから好きじゃねえ」 「……そうですか」 　ライニールはもう一口カフェオレに口をつけ、その後でカップをテーブルに置いた。そのコトリとなった音が、さして大きくもないのに室内に響く。 「ライニール様」 「あ？」 「良かったですね」 「何が」 「戦争が、終わって」 「……ああ」 　ライニールは顔を上げた。ちょうどミハルの背後にある窓の外に目をやったようだ。その黒々とした瞳に、僅かな朝の光が映っている。煌めく黒い粒はともすれば美しいはずなのに、ミハルはその中にどこか寂し気な色を見た。 「ライニール様も、記憶を吐き出せればいいですね」 「あ？」 「もちろん、俺みたいに綺麗さっぱりとは行かないですけどね」 　ミハルは明るい調子でそういうと、昨日ライニールに貰ったばかりのピンクのシャツの襟を触った。 「話すだけでも違いますよきっと。嫌だったこととか、悲しかったこととか、まあ、たまには楽しかったことも。ほら、俺のことは樹洞だとでも思って、適当に話してみてくださいな」 　ミハルの言葉にライニールはフンと息を吐いた。口の端がぴくりと動いた気がしたが、笑ったのかどうかはわからない。 「こんなにペラペラ喋る樹なんて、みたことねえよ」 　ポツリと呟くようにライニールが言った。