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13.航と誉

「はあ、やっぱり面倒事だった」 誉は深いため息を付きながら、パソコンにデータの打ち込みをしている。 「こんなことならカイともっとゆっくりお茶でもしたかったなあ」 「櫂と、何だって?」 すると、向こうから来た航が、机上のファイルに追加で分厚いファイルを乗せる。 誉がうんざりした顔を上げたが、航は構わず誉の横に腰を下ろすと、うち一冊を手に取り同じ様にパソコンの電源を付けた。 「だから、櫂くんとお茶がしたかったんだってば」 「あんなヤツと茶ぁしても面白くねえだろ。 まともに口も利けやしねーんだから」 「そう?割とお喋りな方だと思うけど」 「まあ確かに"わかりました"と"ごめんなさい"だけはよく言うな」 「それは君が意地悪なことばかり言うからでしょ。好きな子に意地悪するとか小学生がすることだよ」 「は?あんなウザいヤツ好きじゃねえし」 「ホント君たち似てるよねえ…」 「似てねえし、一緒にすんな」 誉は肩を竦めた後、作業に戻る。 カタカタとキーボードを打つ音が暫く響いた。 航の方が後から始めたというのに、あっという間に誉の作業量を越えていく。 「君、ホント見かけによらず真面目だよね」 「今日のお前は全然集中力ねえな。 あと、一言多い」 「だって興味ないもの、こんなの」 「興味なくても、何かの役に立つかもしれないじゃないか」 「タイピングは早くなるかもね」 「言えてら」 誉は完全に手を止めてしまう。 それだけではなく、大きなあくびをしながら肩を回して、ぐっと背筋を伸ばした。 そんな誉の横で目線はパソコンのままに、航が続ける。 「自分で頼んどいて何だけど、お前何であいつの面倒そんなに見てくれるんだ? このデータ打ち込みよりよっぽど面倒だろ」 「んー、僕、尽くすタイプなんだよね」 「は?」 「で、櫂くんは尽くしがいがあるよね」 「何だそれ、意味わかんねえ」 早くもファイル2冊目を打ち込み終えた航が、次を手に取りながら呆れたように息をつく。 それを見た誉も渋々といった様子で作業を再開した。 「大体お前、尽くすタイプとは思えねーけど。 ほら、川栄。あいつ、この前のサークル飲みでだいぶ荒ぶってたぞ」 「川栄…?あぁ、あの子、テニスやるんだ」 「知らなかったのかよ」 「言ってくれなかったからねえ。 それに自分から振っておいてそれは酷いなあ。 僕だってそれなりに傷ついたのに」 「よく言う。バイト三昧で全然構ってくれなかったって怒ってたぞ。 もっと優しいと思ったのに、付き合ったら凄く冷たい男だったって」 「告白された時に、バイトのスケジュールと、その時間帯は返事できないって言ったし、あの子もそれでもいいって言ってくれたんだよ。 だからOKしたのに酷い言われ様だなあ」 「けど、隙間時間くらいあるだろ。尽くすタイプなら忙しくてもメッセージくらい返してやれよ」 「無理だよ、そんな余裕ないよ。 それに、尽くそうにも彼女は僕を頼ってくれなかったし。 頼ってくれなかったら尽くせないよ」 「屁理屈だな。結局今回はどれくらいもったんだよ」 「2ヶ月かな」 「短ッ」 「僕は別れるつもりはなかったよ。 誕生日プレゼントだって用意してたし。 ちなみにこれなんだけど」 誉はそう言いながら、スマフォの画面を航に見せる。表示されているのは、白いモコモコしたパジャマを着ているカイの写真だ。 一枚目はお風呂上がりでダレているところ。 二枚目は、寝顔。三枚目は今朝の大好きなパンケーキを前に顔を綻ばせているところ。 航は眉を寄せる。 「何で櫂が着てるんだよ」 「あはは、可愛いでしょ。 渡す前に振られちゃったし、丁度いいやと思って着せたら思ったより似合っちゃって。 写真あげようか?」 「いや、いらねえけど…」 「遠慮しなくていいよ、送るね」 「あ、こら、本当にいらな…」 「他にもいいのあるんだよ、送ったから見て」 航が言った瞬間にはもう写真は誉によりメッセージアプリで送付されてしまった。 しかし、口ではそう言いながらも律儀に胸ポケットからスマフォを取り出してメッセージを開く。 航は驚いたように眉を上げた。 「あいつ、こんな顔出来るんだな」 すぐに航はスマフォをまた胸ポケットにしまいながら言う。 「出来るようになった、かな」 誉はスマフォの写真を流し見ながら返す。 「表情が出てきたのは、つい最近だよ。 こういう顔してると、年相応って感じだよね」 「……そうだな」 航は難しい顔をしたまま、再びパソコンに向き直った。 キーボードを叩く音が響き始める。 「俺はさ、お前に櫂を託して良かったと思う反面、お前の迷惑になってはいないかと危惧してるんだ。 最初は、勉強を教えるついでに話し相手になってもらえれば位にしか思ってなかった。 なのに、櫂は俺が思ったよりずっとお前を頼るようになってしまった。 それが、お前に負担になってやしないかと。 川栄のこともそうだ。櫂がお前に負担をかけるから、お前は自分を、自分のやりたいことを犠牲にして応えてくれてるんじゃないかって。 お前は優しいからな」 「航……。君こそ、本当に優しいね」 誉は航の方を向くが、彼の目線の先は変わらずパソコンのモニターだった。 しかしその少し耳が赤いのを見て、誉はやはりこの兄弟は似ていると思った。 意地っ張りなところが、本当にそっくりだ。 誉は続ける。 「前にも話したけど、僕には双子の弟がいる。 子供の頃から体が弱かったんだけど、田舎で大きい病院もなくてね。そのせいで、正しい診断が出たときにはかなり症状が進行してしまっていた。 そんな弟に家族のリソース全て割かれるのが悔しかった。 僕は当時、弟を労る所か、憎んでさえいたよ。 彼は何度も僕を頼って手を伸ばしたのに、僕はそれを全部振りほどいて追い打ちをかけた。 僕は君と違って、酷い兄だ」 「子供の頃の話だろ? 年が離れてるならまだしも、双子じゃ片方だけ優遇されてると思っても仕方ないと思うけどな」 「それでもさ。 時間が経つにつれ、弟は何も出来なくなって、ふと気がつけばその意識すら怪しくなって。 僕は結局彼に兄らしいことを一つもしてやれなかった。 それが今も尚、悔やまれてならないんだ。 いつも胸の奥に何かつかえている。 錘だ。とても重たい。 けどね、櫂くんに頼られて、それに応えることで、少しずつその錘が軽くなる気がするんだ。 僕は、君の弟を使って自分の贖罪を晴らそうとしているのだと自覚している。 他人の弟を使って、酷い話だよね」 「誉、そんな言い方しなくても」 「いいんだよ、事実その通りだし。 正直、僕も最初はこの話を興味本位で引き受けたんだよね。けど、そんなわけでさ。 今は航に頼まれたからとかじゃなくて、僕がやりたくてやってるんだ。 だから航は気にしなくていいし、僕もやりたいようにするよ。 弟が少しずつ、しかし確実に何もできなくなっていく姿を見ているのは本当に虚しくて、悔しかった。 櫂くんは弟とは逆で、少しずつ、色んな事が出来るようになっていく。 だからかな。 それを助けながら見守ることができるのが、僕は本当に楽しくて、嬉しくてたまらないんだ」 航はキーを叩く手を止めて、ふうと息を吐いた。 そして誉の方を見やる。 何かを言おうと口を開いた様だが、すぐに口を噤んでまたモニターに視線を戻した。 再びカタカタと規則正しくキーボードを打つ音が響く。 誉がようやく一冊分のデータを誉が打ち込み終えたところで彼は言った。 「終わったら珈琲でも飲みに行こうぜ、奢るよ」 「おや、珍しいね。どうしたの」 「別に、気まぐれ」 「気まぐれかあ。 じゃあ、航の気が変わらないうちに終わらせなくちゃね」 「ああ、そうしてくれ」 「素直に誉に感謝してるから奢りますって言えばいいのにねえ」 「あ?気まぐれって言ってんだろ」 「はいはい、そうだね」 「気が変わるぞ」 「意地っ張りだなあ」 誉は肩を竦め、航は横を向いた。 けれどもすぐに二人は揃って破顔し、目の前の仕事に真面目に取り組み始める。 「結局夕方までかかったな…」 「あのタイミングで追加は鬼だよね」 「ホント木下教授、容赦ねえわ」 やっとお呼び出し、もとい無償労働を終えた二人は、約束通り大学最寄り駅前のコーヒーショップにいる。 「てか、お前ほどフラペチーノ似合わないやつ、なかなかいねーよな」 「いきなり失礼だね」 「ブラックしか飲まなそうな顔してんのにさ」 「ブラックは苦いじゃないか」 「その面で超甘党なの、ほんとウケる」 「で、そのギャップがいいんでしょ」 「俺が女ならそうだったかもな」 「女の子かあ。 そうだ、また彼女探さないとなあ」 「探さなくても勝手に寄ってくるだろ。 あそこの女子達なんかずっとお前見てるぞ」 「ええ、航の方じゃないの?」 「いや、絶対お前。お、コッチ来そうだな。 逆ナンされんじゃねーの」 「え、面倒だからやだよ。店出よう。 もう飲み終わったし」 「飲むの早いなオイ」 「あとまあ、僕このあとバイトなんだよね。 真面目にそろそろ出ないと」 「バイト?これから?!」 「そうだよ。働き者でしょ」 「働き者過ぎるわ」 「貧乏暇なしってやつだね」 「よく言う」 「いや、ホントに」 誉は肩を竦めると、席から立つ。 向こうの女子が残念そうにため息をついたのを横目で見ながら航と店を出た。 「じゃぁ僕、あっちだから。またね、航」 「あぁ、気を付けて」 そう言うと誉は駅に向かい雑踏にまぎれていった。 が、航がタクシー乗り場に並んだ所で彼は急いだ様子で戻ってきた。 「航、航!」 「どうした?」 「言い忘れてた。櫂くんだけど。 昨夜から胸の音がたまにおかしいんだ。 注意して見てあげてくれる?」 「お、おう。わかった。 けど、わざわざそれを言いに戻ってきたのか? 律儀なやつだな。メッセージで良かったのに」 「あはは、確かにそうだったね。 でもまあ、もう一度君の顔が見れたから良しとするよ」 「お前……そういうとこだぞ」 「何が?」 「いや、いい。なんでもない。 ありがとう、発作の前触れかもしれないから、気をつけて様子を見るよ」 「うん、そうしてあげて。 杞憂で終わればいいんだけど」 「そうだな」 今度は誉は大きく手を振り、雑踏に消えていった。それを航は何となく見守った後、スマフォを開く。 そして誉から貰った弟の写真を見返し、また閉じた所で番が回ってきたので、そのままタクシーに乗り込んだ。 一方の誉は、駅の改札に入ること無く反対側の出口へ向かう。 繁華街の裏側に当たる南口には送迎用のロータリーと小さなコンビニしかなく、とても静かだった。 ロータリーには一台、黒のセダンが停まっていた。誉は軽く手を上げてそのセダンに近づいていく。 そして、慣れた様子で助手席へと乗り込む。 「遅いじゃないか」 ハンドルを握る男が、不満げに言う。 「航と珈琲を飲んでいたので。 けど、貴方が悪いんですよ、航にも声を掛けるから」 「拗ねているのかい? 君だけを何度も呼んだら不審がられるだろう?」 「さぁ、どうでしょうね」 誉はそう言うと、男が口にしていた煙草を人差し指と中指で挟み取り上げた。 それから、それをまるで見せつけるように咥える。 刹那、横から伸びてきた男性の手を頬に触れる寸前で払った。 車がゆっくりと走り出す。 誉は足を組み、そのまま悠然と煙草を吸いながら流れる景色をただ見やっていた。 するとシフトを握っていた男性の手が、今度はするりと内股へと触れてくる。 誉はそれを即座にピシャリと叩き往なすと、ドライバー席の方を向き煙草の煙をふっとその方に吹きかけた。 そして、 「ホテルまではお預けですよ、木下教授」 と、煽るように不敵な笑みを浮かべたのだった。

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