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19.誉先生とカイくん②

カイは誉をソファーに座らせて、センターテーブルの上に散らばるプリントを集め差し出しながら胸を張った。 「全部できたぞ!」 早く褒めて欲しくてたまらない子供のようなその様子が可愛くて、誉は口元を緩める。 「全部解けたの?凄いね」 誉が素直に褒めてそれを受け取ると、カイは当たり前のようにその膝の間に腰を下ろした。 そして誉を背もたれ代わりにしながら、 「これが難しかった」 と、プリントの一枚を指差す。 「これはチャレンジ問題だからね。 うん、全部完璧に合ってる。すごいね」 誉はプリントをテーブルに置くと、胸ポケットから赤ペンを取り出した。 そしてカイの目の前で一枚ずつ大きな花丸をつけてやる。 カイを見ると本当に嬉しそうにしていて、それがまた愛しくてたまらなかった。 「化学が苦手と言っていたけど、これが全部解けるのなら、君、苦手どころか相当出来る方だと思うよ」 「苦手だよ、この六角形が上手く書けない」 「構造式ね。って、え、そこ?」 「うん、どうしても途中でぐしゃってなる」 言われてみれば、確かにカイが書く構造式は形が安定していない。そもそも彼は個性的な文字を書くのであまり気にしていなかったが、苦手と感じるポイントがズレ過ぎている。 「笑ったな」 「いや、だって、そうかぁ」 思わず吹き出した誉に、カイが気に入らなそうに言う。誉はその膨らんだ頬を撫でてやりながら、プリントの空白に、 「一筆で書こうとするからだよ。 正三角形を書いて、下から二つそれと同じ長さの線を伸ばしてやれば、きれいに書けるよ」 と見せながら手本を書いてやった。 誉のそれは、まるで印刷のように綺麗な六角形だ。 「うーん」 「それは…正三角形じゃないね…」 「ううん」 カイはその横に真似て書くが、割と早い段階で歪な形になってしまう。 それを見ながら、誉はカイのことを本当に出来ることと出来ないことがちぐはぐでバランスの悪い子だと思った。 考えられる原因は幾つがあるが、その中の一つが、アルビノによく出る症状である弱視だ。 彼は幸いにも日常生活に困らない程度の様だが、やはり空間把握能力が人より低いのだろうか。 そういえばよく物に体をぶつけているから、もしかしたらそうなのかもしれない。 「まあ、何となくそんな感じに見えてれば大丈夫だよ。僕も読めたしね。 それよりも、ちゃんと理解していることの方が大切だよ」 もし原因の根本が弱視なのだとしたら、それはカイのせいではない。 だからよしよしと頭を撫でながら慰めてやると、納得がいかない顔をしつつもカイは頷いた。 「けど、困ったな。 これが出来ちゃう子には、教えることはもうないな…」 誉は今日の授業のため用意していたプリントをトートバッグから出しながら言う。 それにはカイとは正反対の几帳面な文字で、項目の要点と問題の解説が綺麗にまとめられていた。 「ちょっと君の実力を侮りすぎてしまったようだね」 「誉が思ってたより、オレがすごいってこと?」 「そういうこと」 そう言われたカイは、本当に嬉しそうにふにゃりと笑う。彼は何かと自己肯定感が低いから、きっとあまり褒められた経験がないのだろう。 「じゃあ勉強は終わりにして、大切な話をしようかな」 「大切な話?」 もらった花丸を指でなぞっていたカイが顔を上げる。 誉はそのプリントをつまみ上げてテーブルに置いた。 そしてカイの左腕を手に取ると、ジャケットの内ポケットから小さなターコイズ色の箱を取り出してそっと置く。 「カイにプレゼント」 普通の子であれば察しがつくだろうが、残念ながらカイは分からない。 首を傾げながら可愛らしい白いリボンを外すと、出てきたのは白金のブレスレットだった。 華奢なチェーンのリングの真ん中に、一つ大きな赤い石がついている。 「??」 「本当は指輪と迷ったんだけどね。 高校生の君は、指輪をしていたら目立ってしまうから…」 首をかしげるばかりのカイの横からそれをつまみ上げ、誉はゆっくりとその白い手首にそれをつけてやった。 思った通り、彼の白い肌によく映える。 「指輪は、カイが大学生になったら買ってあげるね」 「??」 カイはまだ誉の意図がわからないようで、小首を傾げている。 だから誉は鈍感なウサギさんを自分の方に向かせて言う。 「これはカイが俺のものっていう印。 一昨日の夜のこと、本気にしてくれるんでしょ?」 「オレが、誉の?……………あ」 そこまで言ってようやく、ようやくカイは誉の意図に気がついたようだった。 その証拠に、一気に耳までを赤く染めて俯く。 誉はカイの手をぎゅっと握ったまま、その赤い耳に唇を寄せて、耳元で囁いた。 「愛してるよ、カイ。 俺の恋人になってくれるよね?」 カイの手がじんわりと湿り始めた。 ピクピクと肩を震わせてもいるが、その顔は上がらない。 誉はカイの手を引き、自分の胸に抱き寄せた。 そしてぎゅっと抱きしめる。 そうされて、初めてカイは気がついた。 誉の心臓の音が、いつもよりずっと早い。 思わず顔を上げると、誉と目が合った。 "あ、これ、マジなやつだ" そう悟ったから、カイはちゃんと応えなければと思った。腕に光るブレスレットを見て、それから一度誉の胸に頬をもう一度くっつけて改めて自分の気持ちを整理する。 誉の気持ちはやはり嬉しかったし、自分もそれに応えたいと思った。 だから、ちゃんと背筋を張り誉に向き直る。 そしてカイは言った。 「わかった」 瞬間、誉の顔が綻んだ。 かと思うと、次の瞬間、 「はぁ、よかった……」 と、大きく息を吐きながらカイの体にもたれてしまう。 「断られたらどうしようかと思った…」 「えっ、えっ」 どんな時も堂々として自信に溢れている誉が、そんな弱気なことを言うなんてカイは本当に驚いた。誉が自分の肩に額を乗せているから、その頬が自分のそれに触れる。とても熱い。 「誉、その、大丈夫?」 脱力したまま暫く動かなくなった誉が心配になってカイが問う。 すると誉は、カイの手を握り直してやっと顔を上げてくれた。少しだけその頬が赤い、とても新鮮だ。 一方で、誉はカイと目が合うと、これもまた珍しいことに直ぐそらした。 そして口元を抑えながら、 「……実は、自分から告白したのは、初めてなんだ。こんなに緊張するものなんだね」 と、恥ずかしそうに言った。 その情けない様子が本当に誉らしくなくて、カイは思わず吹き出してしまう。 「笑ったな」 誉は気に入らなそうな顔をして、カイの頬をふにっと摘む。 「だって、誉らしくない」 「だから…」 「そうだよな、誉にも人並に感情があるんだから、決めつけちゃいけないよな」 「そういうこと」 そして誉はもう一度カイを抱きしめて、 「ありがとう、カイ。絶対幸せにするからね。 ずっと一緒にいようね」 と言う。 それは誉らしい、自信に満ちた声色だった。 「オレも」 カイもまた誉を抱きしめ返し、答える。 「オレも、誉が幸せになれるように、頑張る」 誉はてっきりいつもの"わかった"か来るかと思っていたので、カイが自分の意思でそう言ってくれたことに驚いた。 そして同時に、それが嬉しくてたまらなくなる。 「カイ…」 感極まった誉はカイの薄ピンク色の頬を撫でながら言う。 「キス、しようか」 その言葉にカイは目をまん丸くした後、カッと顔を赤くした。 しかし誉は構わずカイに顔を近づけてくる。 「や、や、ちょっと待て、待って!」 突然の急展開に動揺したカイは必死に誉の頬を両手で抑えながら、抵抗した。 「お前、この前、キスはもう少し大人になってからって言っ…」 「うん。 けど、カイは今、少し大人になったでしょ」 「えっ?」 「俺と恋人になったんだから」 そう言って誉はにっこり笑うと、カイの顎を人差し指でクイと上げる。 そして直ぐに整ったその顔が、待ったなしで近づいてきた。 怯んだカイの手から力が抜け、その代わりにひゅっと両肩が上げられる。 誉は強張ったカイの背中を解すように、ゆっくりと撫でてやる。 そうして鼻と鼻がくっつきそうな程距離が近づくと、誉が少しだけ顔の角度を変えた。 「目、閉じて」 そう呟く誉の息がふっとカイの唇にかかる。 カイが反射的に目を閉じた瞬間、とうとう二人の唇と唇が触れた。 あったかくて柔らかいとカイが思うや否や、ぐっとそれが強く押し付けられる。 カイは驚いて頭を退き逃げようとしたのだが、後頭部を誉の大きな手がぐっと押さえていて叶わない。 カイがそれに怯んだ隙をついて、今度は誉の舌が唇を割り口内にぬるりと入り込んでくる。 「ふぇっ?」 カイは情けない声を上げたが、誉は止まらない。 その小さな舌を絡め取り、吸う。 まるで生き物みたいに巧みに動く誉の舌は、カイにとって、未知だった。 カイの口の中は、誉ですぐにいっぱいになる。 ちゅくちゅくと唾液が絡む音が、やけに耳に響いて聞こえた。 「ふぅ、う…」 酸素が足りなくなってきたのか、カイの頭がぼんやりしてくる。顎を飲み込みきれなかった唾液が伝っているが、どうしようもできなかった。 カイは誉のジャケットをぎゅっと掴む。 もう誉の舌に翻弄され過ぎて、それくらいしか出来なかった。 すると誉が頭をゆっくり撫でてくれる。 少しそうやって深いキスをした後、ふっと誉の唇が離れた。 カイは目を薄く開いて誉を見る。 すると彼は、舌先を少し出してカイに見せた。つられたカイが同じようにすると、チロチロとそこを舐めた後、誉はまたその口の中に大きな舌を挿入した。 誉と触れ合う舌がじんじんと熱くて、目の奥がチカチカして、腹の下の方がふわふわする。 それから優しく撫でられる頭が心地よくて、なのに背中はゾクゾクが止まらない。 この感覚、何かに似ている。 そうだ、この前誉とした"処理"の時の感じに似ているんだ。 カイがようやくこの感覚が"気持ちいい"なのだと気付いた矢先、誉の唇がそっと離れていった。 名残惜しい気がして、思わず舌を出してそれを追うと、誉は最後にまたそこをぺろりと舐めてくれる。 舌に残された甘い痺れは、波紋のように、全身へと広がっていく。 カイはそのまるで麻痺したかのような、しかし心地の良い余韻にうっとりと浸っている。 「べろ、出てるよ」 すると誉がクスリと笑ってそう言った。 「!!」 その言葉にハッと我に返ったカイは慌てて舌をしまい、唇と顎を拭いながら誉を見上げた。 と、同時に心臓が大きく高鳴り、耳が熱くなるのを自覚する。今されたことを冷静に振り返ると、恥ずかし過ぎてたまらない。だから、 「お、思ったのと違った…!」 と、半泣きで誉に訴えた。 一方で、誉は全く動じず、 「これが、恋人同士のキスだよ」 と言って微笑んだ。 そして今度はカイの頬にちゅっと音を立ててキスをし、 「俺とカイはこれから数え切れないくらい沢山キスをするんだから、ちゃんと覚えてね」 なんて言うものだから、カイはもう恥ずかし過ぎてどうしたら良いかわからない。 もしかしたら自分は、大人過ぎる彼の恋人になるにはまだ尚早だったのかもしれないとほんの少しだけ後悔をした。

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