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特別編 バレンタイン (ちょっと未来の話)

2月14日、バレンタインデー。 なんとなく男女ともに皆が浮足立つ日だが、櫂にはそんなこと全く関係ない。 いつも通り講義を終えて、帰りの準備を整える。 そして同期たちの輪を避けて、講義室の出口へと向かっていた、その途中。 「如月くん」 そう、背後から声をかけられた。 櫂は返事をすることもなくその方を見る。 すると女子が三人並んでいた。 三人とも、顔も名前も記憶がない。 そのうち真ん中の一人が櫂に向かって可愛らしい包みを差し出している。 「これ、貰って!」 彼女はそう言うと櫂にそれを押し付けて、そのまま講義室を出て行ってしまった。 「ちょっとミカ、もう、待って!」 「如月くん、ちゃんとミカの気持ちに答えてあげてよ!でないと承知しないんだから!」 勝手なことを言いながら取り巻きの二人がそれを追う。 講義室に残された櫂は、包を片手に眉を寄せた。 「お、如月が告白されてる」 「ここでやるとかすげー勇気、ガチだな」 「まあ、如月はここじゃないと捕まらないからな〜」 それを見ていた同期達が賑やかす声が聞こえる。 「おい、お前どーすんだよ。 受け取っちゃったし、OKすんの〜?」 「押し付けられたと言う方が正しいと思いますけど…。OKってなんのことですか?」 「は?お前その意味わかってねえの?」 「?」 「はー、如月の坊ちゃまは、バレンタインなんて下々のイベントはご存知ない?まあそんなの使わなくても、選び放題だもんなー。羨ましいなー」 流石にその物言いは腹が立ったので睨んだが、彼は気にせず櫂の肩を叩いて言う。 「バレンタインにチョコレート渡してきてるんだ。お前と付き合いたいってことだろ、ミカは」 「付き合う」 そこまで言われてようやく櫂は今日がバレンタインであること、そして手に持つチョコレートの意味を理解した。 「とは言っても、お前彼女いるんだよな? その左手薬指の指輪、そう言うことだろ?」 「え?あ、まあ…はい」 正確には彼氏の方だが、恋人がいることには間違いないので、櫂は頷く。 ちなみにこの指輪は、大学への入学が決まったときに誉が買ってくれたものだ。 絶対に外してはいけないと強く念を押されているので、ずっと身につけている。 「やっぱそうなんだ。おい、如月、彼女いるってよ!」 「マジで?噂の方が嘘だったってことか」 「噂?」 「そう、その指輪。 お前入学した時からつけてるだろ。 でもその割にそんな感じがしねえし、内部進学のやつも如月は彼女なんかいるわけねえよって言ってたからさ。如月家の坊ちゃんは変な虫がつかないように"魔除け"をつけさせられてるって皆で噂ししてたのさ」 「結構失礼ですね」 「あはは、でも何も言わないお前も悪い」 「そもそも聞かれてないですし、プライベートなことです」 「ひぇ、お固いねえ」 「略奪前提か〜、ミカ、勇気あるな〜」 「まあ、大分噂が流れてたからな。 イチかバチかに賭けたんじゃねえの」 「マジか、だとしたら益々本気じゃないか」 「おう、ガチだな」 「だから余計ちゃんと答えてやらないと。 それに、その彼女さんにも知られたらキレられるぞ」 「えっ」 ミカという人物にどう思われようと櫂は何とも思わないが、誉の方は困る。 もしバレでもしたら…考えるだけでも恐ろしく、カイは身震いした。 一刻も早くそのミカとやらを見つけて話をしなければ、そう思うが……。 「答えるにも、その、ミカさん?の連絡先がわかりません…」 「明日また講義に出てくるだろうから、そこで言えばいいんじゃねえか?寧ろそこで言え、俺達も御曹司の華麗な振り方を見届けたい。なっ」 「……面白がってませんか」 「そんなことない、ない」 櫂はがっくりと肩を落としてため息をつく。 どちらにせよ、面倒事に巻き込まれて気が重いことには変わりない。 何とかしてこれを誉から隠し通さなければ。 櫂はマンションの前でよし、と気合を入れた。 チョコレートはカバンの奥底に突っ込んだし、直ぐに自室に持っていってしまえば大丈夫のはずだ。 ちなみに櫂は昨年から実家を出て、誉と一緒にマンションで同棲を始めた。 尚、誉は大学を卒業後、立花総合病院という大病院の勤務医としてキャリアのスタートを切っている。 そして今日の彼は日勤で、まだ留守のはずだから大丈夫、問題ない。 ……と、思ったのに。 「お帰り、櫂。 それから鞄に隠してるそれ、見せてくれるかな?」 何故か玄関ドアを開けると誉がそこにいて、しかも速攻でバレた。 「とりあえず中にお入り、話は聞くよ」 固まってしまった櫂の背を押しながら、本当に優しく穏やかな声で誉が言う。 櫂はそれが逆に怖かった。 リビングに入ると誉は櫂をソファーに座るよう誘導する。櫂は鞄を抱えるように座って小さくなった。 「眼鏡取ろうか」 「は、はい…」 キツネに睨まれたウサギはビクビクしながらそれに従うしかない。 すると、誉が手を差し出してきたので、眼鏡を渡すと 「違うでしょ」 と、念を押された。 ここまで誉がずっとニコニコしてるのが、カイは本当に怖くてたまらない。 これはもう逃げられないので、カイは大人しく鞄からさっきもらった小包を取り出して誉に渡す。 すると彼はそれを見もせずにそのままゴミ捨てに投げ入れた。 何で今家にいるのか、とか、何でバレンタインのプレゼントをもらったことを知っているのか、とか、聞きたいことは沢山あったが今は誉の気が済むようにするのが一番だとカイは悟っている。 まだ話を聞くつもりがあるだけ今日はマシだ。 前に先輩に飲みに誘われて軽率について行った時は話すら聞いてもらえず、即お仕置きだったのだから。 「誉、あのさ、さっきのはさ…」 「うん」 「その、無理矢理押し付けられただけでさ、別に相手のことは何とも思ってないよ、オレ。 というか、初めて話しした人だし…」 「うん」 「連絡先知らないから、明日ちゃんと断ろうと思ってたし…」 「うん」 「………」 「話は終わり?」 「……ううん」 カイももう誉と付き合って5年になるのだ。 だから、こんな時の誉の機嫌を取る方法は心得ている。 恥ずかしいし調子に乗られても面倒なのであまり言いたくないが、こうなっては仕方がない。 「それに、オレが一番好きなのは、誉だよ」 「カイ…」 ああ、誉がすごく嬉しそうにしている。 表情こそ変わらないが、その雰囲気が一気に和らいだのを感じでカイはほっと胸をなでおろす。 これでいて、誉は単純なのだ。 いつか彼は自分にも人並に感情があると言っていたが、付き合ってみてわかった。 誉は人並以上に感情が激しい。 ただあまり表面に出さないだけだ。 誉はカイからの愛を確かめることができてやっと気が済んだのかカイをぎゅっと抱きしめた。 「うん、俺は信じてたよ」 「もう怒ってない?」 「カイには怒ってない」 「……含みのある言い方が気になるな…」 「もう危ないから、来年からバレンタインは俺と家にずっといようね。 ホワイトデーも油断ならないから、一緒にずっといようね」 「えぇ…」 「カイは喋るとポンコツだけど、黙ってれば儚げな美少年でしょ。だから俺は本当に悪い虫がつかないか心配なんだよ。君、無自覚に人を惑わす可愛い所があるしさ…」 「さり気なくディスり入れてきたな」 「はあ。まさか指輪をつけさせているのにフリーだと思われてたなんて。 やっぱり分かりやすく誉のですって書いた首輪でもつけておかないと駄目かな」 「えっ、やだよ。 てかさ、何で講義室で起きたことそんなに知ってんの?」 「君たち2年生の考えることなんて全てお見通しだよ」 「そうなのか?」 「そうだよ」 「?」 勿論誉の大嘘だが、大事なところでポンコツなカイは、まさか自分の荷物にカメラと盗聴器が仕掛けられているなんて一切気がついていない。 「まあいいや…。あとさ…」 そして細かいことは気にしないカイはそう言うと、更に鞄からゴソゴソと荷物を探し始めた。 彼は整理整頓が出来ないから鞄の中がグチャグチャ過ぎて暫く時間がかかった。 そしてカイがやっと取り出したのは、ちょっと端っこの包み紙がよれた小さなプレゼントだ。 「はい、誉」 「俺に?」 「うん、バレンタインって、チョコレートを好きな人にやるんだろ。だから、オレは誉にやる」 「カイ、君、そういうところだよ…」 誉はカイからそれを受け取ると、そのまま頭を抱えてしまった。 「え?何が?」 誉はそのまま黙って動かない。 ただ、その肩がブルブルと震えている。 「ほまれ?どうした?大丈夫か…?」 「大丈夫じゃない、吐きそう」 「え、何で、吐くなよ」 「嬉し過ぎてさっき食べたチョコ全部吐きそう…」 よくよく見るとセンターテーブルとダイニングに山のようにチョコレートが置いてある。 「お前は貰ってんのかよ!てか、すごい量だし全部食ったのかよ!」 「ちょっとイライラしちゃってね…。 あと甘いものに罪はないから…」 そしてその全部が空だったのでカイは心から呆れた。 「オレのはゴミ箱トスしたくせに…」 「カイは駄目、絶対許さない」 「自分勝手!!」 誉は本当に嬉しそうに貰ったプレゼントを眺めた後、カイを抱きしめた。 「本当にありがとう、カイ。 すごくすごく嬉しいよ」 一方でカイは、思いつきで近くのコンビニで買った安物のチョコレートなのに、ここまで喜ばれてしまってちょっと申し訳ない気がしてしまう。 ちゃんと用意しておいてやれば良かったと後悔するが、誉にはそんなことは関係ない。 ただカイがバレンタインにプレゼントしてくれた、その事実だけが大切で、尊いのだ。 「これ、大切にするね。むしろ家宝にするね。 俺が持てる技術と財産のすべてを以て永遠に美しいまま保存できるようにするね」 「いや食えよ」 「ええ、勿体ないからやだよ」 「勿体なくねえよ。来年もお前にやるし」 「本当?!来年も再来年もその先も一生くれる?」 「さり気なくブチこんで来るな…。 けど、わかった。やるよ」 きっとこの先も、チョコレートをやりたいと思うのは誉だけだろうから。 と、カイは続けて言おうかと思ったが、恥ずかしいのとこれ以上誉に調子に乗られると困るのでやめた。 だから、代わりに抱きしめ返してやると、誉は本当に嬉しそうに笑った。 そして、翌日。 「うう、信じられないくらい腰が痛い…」 昨日の昼から夜中まで、感極まりすぎた誉に抱き潰された櫂だ。その後遺症で痛む腰を擦りながら大講義室に入る。 そして今日はきちんとミカに交際お断りの話をしなければならないので、ぐるりと講義室内を見渡すが、肝心の彼女が見当たらない。 この講義は必修で、必ずいるはずだと思ったのだが、今日は休みなのだろうか。 櫂は首を傾げたが、いないのであれば仕方がない。なので、いつも通り一番前の真ん中の席に腰を下ろした。瞬間、また腰がビキリと痛んだので思わず机に突っ伏して呻く。 だから、 「おい、ミカ、昨日事故に遭ったらしいぞ」 「俺も聞いた、余所見運転のトラックに跳ねられたらしいな」 「そうそう、立花総合病院に運ばれたって」 「うわ、コワ〜」 という背後の級友たちの声は全く耳に入らなかった。

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