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21.兄弟デート②

「なあ、誉。 櫂の好きな食べ物って知ってるか」 「え、それ君が僕に聞くの?」 「だってあいつと飯なんか殆ど一緒に食わねえし、わかんねーよ」 「そう?僕がお世話になってた時はよく一緒に食べていたと思ったけど」 「それはお前が居たからだよ。 お前が帰ってから、具合が悪いだの何だのって殆ど部屋から出てきやしねえ」 「そうなんだ」 講義が終わって、帰り道。 誉のアパートと航の駐車場は方向が同じなので、閑静な住宅街を一緒に歩く。 「この間、あいつの眼鏡が壊れちまってさ。 今日買いに連れて行ってやることにしたから、ついでに昼飯でもと思ったんだけど。あのワガママ、嫌いなモンばっかりで何がいいのかわかんねえんだよ。最近アイツお前のとこよく行くだろ? 何食わせてんの?」 「あぁ、だからこの前は眼鏡してなかったんだね。珍しいなとは思ったんだよ」 「そ、眼鏡してない櫂は久しぶりに見たが、してない方がなんかいいよな」 「そうだね、してない方が"らしい"よね」 「おう、何となく昔のあいつを思い出したよ。 とはいえ、目の事があるからそうも言ってられねえし。難儀なやつだよ」 「体の事は彼の責任じゃないからねえ…。 話を戻すけど、カイは野菜が好きだよ。 だから、サラダは喜ぶね。 ただ、既製品のドレッシングは嫌いなんだ。 でも、この前オイルレスのドレッシングを作ったらちゃんと掛けて食べてたから、オイルが嫌なんだろうね。ちなみにニンンベースが特にお気に入り」 「は?手間がかかるヤツだな」 「あとフルーツも好きかな。 加工したやつじゃなくて、フレッシュが好きだよ」 「マジか、まるでウサギだな」 「あはは、そうだね。可愛いよね」 「可愛いか?けど、だからなんだろうな。 今朝、体を見たらガリ過ぎてちょっと退いた 」 「へえ、体を?仲いいんだね」 「別に仲良くねえし。 出かけに声かけたら、丁度着替えてたんだよ」 「ふうん」 どうしようもないことだとはわかっているけれど、誉は航のポジションが羨ましくてたまらない。 自分だって幼い頃のカイを見たかったし、気軽に直接色んな世話をしてやりたいのに。 やっと念願の恋人同士になれたわけだし、何とかしてカイと二人で暮らせないものか。 そうしたらカイの全部を独り占めできるのに。 昨日から誉の頭の中はその構想でいっぱいだ。 一方で、今日はカイが恐らくほぼ初めてであろう外食をするのだ。 これが楽しく終わるか、トラウマになるかで今後のデートの幅に関わってくるので、誉は一つ提案してやることにした。 「君たちが行くのはどうせあのデパートだろ? サラダメインのレストランが新しく出来たんだよ。 そこがいいんじゃない? 後で店の詳細送ってあげるよ」 「お、マジで。流石誉、頼りになる」 「褒めても何も出ないよ」 「けどサラダか〜」 「航は野菜あんまり食べないもんね。 けど、肉料理もあるよ。大丈夫。 それからオムレツとパンケーキもあったはず。 それならどっちもカイ、食べると思うよ。 カロリーもそこそこあるしね、いいんじゃない」 「そだな、良さそうだ。 ちなみにお前、やけに詳しいけど誰と行ったんだ〜?今朝電話してた彼女か?」 「だからそれはご想像にお任せするってば」 「ったく、秘密主義だよな〜」 そうしているうちに分かれ道まで来たので、二人は軽く挨拶をして別れた。 誉と別れた航は直ぐにメッセージで貰った店に予約を入れ、車に乗り込む。 そしてそこに積んでおいたジャケットと鞄を替え、崩していた髪型を整えた後、車を発車させる。 得意の百貨店までは車で三十分ほどだ。 車を駐車場に停めてロータリーに出ると、見慣れた黒塗りのセダンが停車していた。 航が近づくと運転席のドアが開き、瀬戸が降車する。 彼は頭を下げ、そのまま後部座席の方に向かおうとしたが、航は手でそれを制した。 流石に目立ち過ぎる。 代わりに航が後部座席のドアを開けてやると、カイがそれを不思議そうにこちらを見上げている。 彼にとっては車のドアは瀬戸が開けるものなのだ。 「あのな、車くらい一人でドア開けて降りろな」 航は呆れてそう言うが、やはりピンとは来ていない様子だった。 しかしそれでもカイは降りてこない。 航がしびれをきかして手を差し出すと、櫂はその手を取ってようやく降車し始めた。 こいつ、手を差し出されるの待ってやがったのか?!どこの淑女だ! 航はそう思ったが、ここで怒ってまた泣かれても目立つだけなので、仕方なく航は弟をエスコートしてやる。 そうしてやっとカイは外に出ることができたのだが、その刹那、驚いたように目を細めた。 だから航は咄嗟に持っていた鞄を日除け代わりにしてやる。 「大丈夫、少し目が眩んだけだから…」 「そうか。まあ、ともかく早く中に入ろう。 瀬戸、帰りはいいぞ。俺、車で来てるから」 「かしこまりました」 「え、爺と帰」 「坊ちゃま、若さまとお楽しみくださいね」 瀬戸はカイの駄々が始まる前にそうかぶせ気味でそう言うと、有無を言わさず車を出してしまった。 兄とふたりきりで残されて肩を落とすカイに向かい、 「ほら、行くぞ」 と航は声をかけて歩き始める。 その背中を見失ってはいけないとカイは慌てて追おうとする。しかし、ロータリーはそこそこ混んでいたので人波に揉まれてなかなか上手く進めない。 すると、 「鈍臭いなぁ、お前。ホラ」 と、航が立ち止まり手を出してくれた。 カイは一瞬目と耳にを疑ったが、もう一度「ホラ」と催促されたのでおずおずとその手を取る。 兄の手は、記憶にあるそれよりもずっと大きくて固かった。 カイはその時、急に昔のことを思い出した。 かつてはよくこうやって兄は自分の手を引いて歩いてくれたのだった。 優しかった兄は、体が弱い自分のために、部屋に玩具や本を持ち込んで一緒に遊んでくれたり、絵本を読んでくれた。 そもそもカイが本が好きになったのは、兄が沢山読み聞かせてくれたのがきっかけだったのだ。 兄との関係が悪化したのは、いつからだったろうか。そうだ、彼が中学に上がった頃だ。 ある日突然、兄から激しい拒絶を受けたのだ。 暫く悲しくて悲しくて、ずっと泣いていたのを覚えている。 なのに本当に何故、ここにきて急に…。 その疑問は相変わらず尽きないが、兄の手の温かさだけは昔と一つも変わらない。 俯きかけたカイに、エレベーターを待ちながらふと航が問うてくる。 「そういえばお前、こういうところに買い物に来たことはあるか?」 「無いよ」 「やっぱりそうか。 お前、もう少し外に出た方がいいと思うぞ」 「あまり必要性を感じないし…」 そこでエレベーターの扉が開く。 中から出てきた沢山の人に若干面食らいつつ、カイは続けて中に乗り込んだ。 兄はレストランフロアのボタンを押す。 「けど、友達と出かけたりすることもこれから増えるだろ。ある程度心得ておかないと、その時困るぞ」 「友達なんていないし…」 そこまで言いかけて、カイは気がついた。 あ、誉と出かけたりするのかな、これから。 だって、恋人だし。デートとかするのかな。 いや、何だそれ、そんなのオレが浮かれてるみたいじゃないか。 なんて考えていたら急に恥ずかしくなってきて、カイはまた俯いた。 それを落ち込んでいるように航は捉えたのか、 「ま、まあ少しずつな。 それに学校に行けるようになれば、友達は増えるし、遊びに行く機会も出てくると思うぞ」 と、フォローをしてくれた。 同時にエレベーターがレストランフロアに到着する。いろいろな店があるが、航は足を止めること無く目的地へと向かう。カイは航に手を引かれながら、その後をひよこのように着いていく。 兄は食事を一緒に取ろうと言っていたが、一体どんな店に連れて行かれるのか。 自分にも食べられるものがあるのか、不安でならなかったが、カイはともかく着いていくしかなかった。

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