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23.兄弟デート④
カイの持ち物は基本的に母か瀬戸が用意したものだ。
だからこんな風に眼鏡が売られているとは知らなかった。明るい店内で所狭しと並べられたいろいろな色のそれは、どれも似て非なるもので選べと言われてもどうしたらよいか分からない。
「今度はメタルフレームじゃなくてセルフレームにしようぜ」
店内を一巡した航がカイの元に戻って来る。
「前のメタルフレームだったろ。
あれ、お前がつけてるとちょっと神経質で取っつきにくい感じするんだよ」
「…?」
航は有無を言わせず首を傾げるカイの手を引いてセルフレーム眼鏡のコーナーへと赴く。
そこには更にいろいろな形、色の眼鏡があった。
「うーん、てか、お前顔ちっさいな。
子供用の方がいいか?」
その中の一つを手に取り、カイに当てながら航は言う。それはなんとなく癪なので、カイは首を横に振る。
「色どうする?
お前色白だからなあ。
濃い色だとどうしても浮くんだよな」
「色白…」
「色白な方だろ、違うか?」
「いや、まあ、そうだね」
色白な方というか真っ白なわけだが、兄の目に自分はどう映っているのだろうか。
それがちょっとだけ可笑しいのと、普通の事の様に言われたのが嬉しくて、カイは口元を緩ませた。
「黒だと浮きすぎるだろ。
かと言って白はちょっとな…グレー、うーん」
兄は何個か手に取ってカイにそれを掛けさせながら頭を捻っている。かなり真剣だ。
「そう考えると、前の母さんが選んだ赤は丁度いい色味だったんだな。瞳の色とも合うし。
じゃぁ、ブラウンとか……ウーン、なんか違うな」
あれでもないこれでもないと、いろいろな眼鏡を試着させられているカイは完全にお人形状態だ。
あまりにも長くかかるので、カイは途中で立っていることに疲れてしまった。
すると航はカイを椅子に座らせて、眼鏡を取っ替え引っ替え持ってきた。
完全に妥協する気がない、本気だ。
そしてカイがもう一生分くらいの種類の眼鏡をかけたのではないかと思った頃、ようやく航が
「これだな」
と、頷いた。そしてカイを鏡の前に連れて行く。
「よく似合ってるだろ」
それはアンダーリムの赤い眼鏡だった。
「お前顔小さいし、セルフレでレンズのまわり全部覆うと顔が眼鏡に負けちまうんだよな。
あと母さんと趣味が同じみたいで悔しいけど、やっぱ赤が1番似合う」
上半分にフレームがないお陰で、かなり素顔に近い顔に見える。
また、前のメタルフレームよりも表情がわかり易く、全体的に柔らかい印象だ。
「どうだ?」
「……」
どうだと言われても、何がよくて悪いのかカイは良くわからないので、兄がそう言うのならと頷いた。兄はニッと笑うと、嬉しそうに店員を呼んだ。
「視力はお測りしますか?」
店員に問われた航は、一瞬カイを見たが直ぐに首を横に振り、
「いや、度は入れなくて結構です。
代わりに紫外線カットが一番強いものにして下さい」
と答えた。
カイの視力は、眼鏡では矯正出来ない。
「すげえな櫂、これ、99%も紫外線カットするんだってよ」
「それってすごいの?」
「よくわからんな」
「わかんないのかよ」
「前のはどうだったんだろうな」
「わかんない」
「わかんねーのかよ」
そんな話をしていると、店員が在庫があるので40分ほどで受け渡しが可能だという。
なのでそのままお願いをして、二人はその間時間を潰すことにした。
「どこか行きたいところあるか?」
「ん……」
カイは考える。
座って休みたいような気もするし、折角出てきたのだから本屋さんにもう一度行きたいような気がする。
決めあぐねていると、
「じゃあまず本屋寄っていいか?」
と、兄が提案してくれたので、カイは頷く。
そういえば兄も結構な量の本を読むようで、定期的に読み終えたものをカイに回してくれるのだ。古典文学ばかり読んでいるカイにとって、それは貴重な新しい情報源だった。
眼鏡屋と本屋はすぐ近くだったので、足が疲れ切ったカイにとっては有り難かった。
この前誉と行った本屋に比べれば大分コンパクトだが、それでも沢山の本がある。
カイはそれをちょっとしたテーマパークのように思えた。
「新刊出たはずなんだよな……」
兄はそんな独り言を言いながら新刊コーナーを回る。カイもその後を大人しくついていく。
兄は恐らくお目当てがあるはずなのだが、探しながら他の本をどんどん小脇に抱えていく。
とうとう持てなくなって、流れるようにカイにまで回して持たせた。
カイが抱える本が5冊を越えたあたりで、ようやく兄の探しものが見つかったらしい。
それを手に取ると、
「お、そんなに持たせてたか、悪いな」
と言ってカイの手から本を受け取った、
正直手が痛くなりかけていたので、カイはほっと息をつく。
「お前も何か買うか?」
「ううん」
カイは首を横に振った。
なぜなら、読んでみたいなと思った本は全て兄の手の中にあるからだ。
だからカイは少し勇気を出して兄にお願いしてみた。
「けど、兄さんが読んだあとでいいから、オレにも貸してくれる?」
航は少しだけ眉を上げた後、口元を緩ませて
「ああ。というか、俺も流石にこんなに読むのは時間がかかるから、半分先に貸してやるよ」
と、快諾してくれた。
本を購入した後、本当に足が疲れてしまったので、カイはどこかに座りたいと兄に頼んでみた。
すると兄は体力がなさすぎるだろうと呆れながらも、ならば茶でも飲むかとコーヒーショップに連れてきてくれた。
その店頭のロゴを見て、誉の大学のそばにある店と同じだとカイは気付く。
「お前コーヒー飲めたっけ」
「飲むけど、紅茶のほうが好き」
「じゃぁこっちだな。冷たいのと温かいのどっちがいい」
「あったかいの」
「ミルクは」
「ふわふわのなら好き」
「わかったよ。買っていくから、向こう席取っておいてくれ」
航が指さした先に、幾つが席があるがなかなか混んでいる。
少し不安だったが、カイは言われた通り空いている席を探した。運良く端っこの二人席が空いていたので、そこに腰を下ろす。座ってから気がついたが、対面ではなくて隣同士で座るタイプのソファーなのが少し気恥ずかしい。
勿論こういう店に来たことは無いが、席も自分で取り自分で買ったものを持ってくるらしいシステムが新鮮だった。
そうしているうちに、航が両手に飲み物を持ってきてくれた。
兄弟並んで座りながら一息ついていると、横の席の女の子が持っていたフラペチーノを見た航が小さく笑った。カイが怪訝そうな顔をすると、航は直ぐに、
「あぁ、悪い。ちょっと思い出し笑い」
と答えた。
「や、この前誉とここの系列店に行ったんだけどさ。誉がアレの一番でかいサイズをクリーム増しで飲んでたんだよ。絵面が似合わな過ぎて、おかしくてさ」
「確かに誉"せんせい"、かなり甘党だよね。
この前家に行った時は、こんな大きな皿に生クリーム作ってそのまま食べてた」
「マジかよ、何だよそれ面白すぎるだろ」
「うん、オレも笑っちゃった」
「いつもチョコレート鞄に常備してるしな。
低血糖なんだろうか」
「頭が疲れると甘いものが食べたくなるって言ってたよ」
「あー、なんか常に脳みそフル回転させてそうだもんな、あいつ。
そういや今日、誉のやつ、様子がおかしくてさ」
「何かあったの?」
「いや、講義の前に電話してたんだけど、すげー嬉しそうにしててさ。普段絶対人前で電話なんか取らないのに。
で、デートがどうだとかなんだとか。
絶対新しい彼女だと思うんだけど、今まであんな浮かれてたことないからさ。
一体どんな娘なんだろうなって皆でちょっと話題になってるんだよ」
それ、オレじゃん…!
思いがけず誉の様子を聞いてしまい、カイは恥ずかしくて顔から火を吹きそうになった。
「あいつ見た目通り彼女途切れたこと無いんだけど、どっちかと言うといつも淡白というか…平然としててさ。気がついたら彼女変わってるな?て感じなんだけど、今回は確実に今までとは違う。あれはかなり本命だぞ。
今日の昼食べた店だって、お前と出かけるからと誉に相談したら教えてくれたんだけど、やけに詳しかったしな。
彼女と既に来てるか下見してるぞ、あれは。
…って、何でお前が赤くなってんだ?」
「え?あ、いや、お茶を飲んだら何が暑くなって…」
「そんなにか?大丈夫か?」
「う、うん…」
道理でランチのお店が、かなり自分好みだったわけだ。
誉に過去そんなに沢山彼女が居たのかという事実には若干退くが、それ以上に自分とのデートを想定して色々調べていてくれたことが嬉しい。
何だかドキドキして、むず痒い気持ちだ。
「まぁいいや。
飲み終わったなら行くか。そろそろ出来てるだろう」
そして兄弟は眼鏡屋を再び訪れる。
出来上がった眼鏡を渡されたカイは、早速それをつけてみることにした。
この眼鏡でも大丈夫だろうか。
"変われる"だろうか。
カイはすっと息を吸い、そして眼鏡をつける。
目を閉じて、それから開いた。
大丈夫だ。
カイからすっと表情が抜けるその瞬間を航は初めて目撃する。先日瀬戸が「眼鏡がないから」と言った理由を直ぐに理解した。
そしてそれは、航が見慣れた弟の姿だ。
「失礼しますね」
店員がそう言うと、サイズが合っているかを確認する。
「大丈夫です」
櫂はその手を途中で遮って、一歩退いた。
「このまま掛けて行かれますか?」
「はい」
先ほどまでとは一変し、すっかり大人しくなった櫂と店を後にする。
握っている手の温かさは同じなのに、まるで別人のようだ。
なんとなく会話も弾まぬまま、駐車場に着く。
航が車のキーを開けるが、櫂はやはり一向に入ろうとせず立っている。航はトランクに荷物を詰めながら、
「先入ってろ」
と声を掛けると、首を傾げながらドアを見つめている。
「お前な…」
荷物を入れ終えて近づくと、
「俺は運転手じゃねえぞ。後ろじゃなくて、助手席座れ。あとここを引っ張ると空く」
と、ドアハンドルを指さして教えてやった。
櫂は言われた通りそれを持ち、怖ず怖ずとドアを開く。
「乗ったらドアを閉めろよ」
シートに乗り込んだ櫂に先んじてそう言うと、彼は開いたドアを一生懸命引き寄せた。
「半ドア」
「?」
「もう一回」
そうやって2回失敗して、ようやくドアが閉じる。
まさか車すら一人で乗れないなんて。
呆れた航は、瀬戸に甘やかさないように言わなければと心に決める。
車を運転する航を櫂は不思議そうに見ている。
航はそんな弟をチラリと見、
「眼鏡、取らないか」
と言ってみた。
「車内なら大丈夫だろ」
「いやです」
しかし櫂はそう即答して横を向く。
何とも居心地の悪い沈黙の後、櫂はポツリと付け加えて言う。
「折角兄さんが選んでくれた眼鏡だから、取りたくないです」
丁度信号が赤に変わったので、航は弟をもう一度見る。顔は外を向いていたが、その耳が赤い。
航は口元を緩めた後一つ息を吐き、
「そんなに気に入ってくれたなら良かったよ」
と、声を掛けた。
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