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25.大学部②
薬品庫に入るや否や、誉は櫂を抱きしめる。
薬品の匂いが先に鼻腔をくすぐり、次にいつもの誉のいい香りがした。
「新しい眼鏡のお顔、もっとよく見せて?
あぁ、本当に可愛い。
もう食べてしまいたいくらい可愛い」
「もっ、ちょっ、やめてくださ…」
「やめない。櫂、可愛い、大好き」
「もぉ…っ」
誉は抵抗する櫂をものともせず、櫂の頭や額、頬にキスをしてくる。
それを受けながら、きっと誉は今までは気を使って我慢していたのだなと櫂は思った。
しかし恋人という肩書を得た今は、最早なんの我慢もせずに櫂に触れ、キスもし放題だ。
それが嬉しいような、恥ずかしいような、他人との物理的な接触に慣れていない櫂の気持ちは複雑だ。
「ここまで会いに来てくれたのも、本当に嬉しい。俺も君に会いたかったんだ」
誉は噛みしめるようにそう言うと、もう一度櫂を抱きしめた。
「ちょ…っ、誰か来たら、困ります」
「大丈夫、鍵かけておいたから」
「いや、ほら、お手伝いするんじゃなかったんですか」
「うん、俺が元気を出すお手伝い」
「なっ」
「もうさ、教授が人使い荒くて心が折れかけてたんだよ…櫂が来なかったら本当にもう駄目だったかもしれない…」
「誉先生でも心が折れること、あるんですね」
「あるよ。特に今日みたいな無賃労働は大嫌いだから、早々に心が折れそうになっていたよ」
「教授のお手伝い、この前もそういえば散々だったって言ってましたもんね」
「そうそう、本当にそう」
「では、よしよし。
誉先生は沢山頑張っていてお利口さんです」
誉があまりにも深いため息をつくから、櫂は背伸びをして誉の頭撫でてやる。
すると誉は目をパチクリとさせた後、ふわりと笑った。
「あはは、悪くないね」
そしてそう言うと櫂の手を取り、今度は自分の頬に当てた。
「ねえ、もう少し甘えてもいい?」
「?、はい」
「じゃぁ、キスして」
「えっ」
「駄目?」
「……あっ、いや、でも」
「お願い」
「…………っ」
誉はそう言うと少しだけ屈んで目を閉じた。
櫂は恥ずかしくて視線を右往左往させたが、誉がそうやって待っているので心を決める。
そして誉の頬にもう一方の手を当てると、少しだけ背伸びをして顎を上げた。
ぎゅっと自分も目を閉じて、ゆっくりと誉の唇に、自分のそれを押し当てた。
誉の唇の熱を感じて、やっぱり恥ずかしい。
胸がバクバクと鳴り始める。
そうやって唇同士を重ねたのは良いものの、そこからどうしたら良いのかがわからない。
だから櫂は、ちろりと誉の唇の割れ目に舌でつついてみた。するとそれが開いたので、またチロチロと舐める。
すると突然、誉の手が後頭部に触れた。
そして舌が一気に口の中に挿入ってくる。
「んむ…っ」
そのままぐっと誉は強く唇を当て返し、櫂の口内を犯した。
誉の頬を包んでいる手がぷるぷると震えている。
じわりと口内から全身に広がる甘い痺れに、頭がクラクラする。
「んんっ」
ちゅくちゅくと体液が交わる音が室内に響き始めた。
櫂は息継ぎの合間に
「いや、ほま、んっ」
と訴えたが、
「今のは君が悪いよ…」
そう言って誉は櫂の舌を強く吸った。
「んん…」
何とか誉の舌を押し返そうと自分のそれで頑張ってみるが、更に絡め取られる結果に終わる。
そうしているうちに顎も舌も疲れてきて、心が折れた櫂は一切の抵抗を止めた。
素直にただ誉から与えられる刺激を舌全体で受け取っていると、ふわふわと気持ちよくてたまらないことに気がつく。
更に誉が腰を抱きながら、ゆっくり後頭部を撫でてくれる。大きなその体に包まれるととても安心で、心地よかった。
段々恥ずかしさも薄れてくると、ともかく気持ち良すぎて息継ぎの間も惜しい気がした。
だから櫂はおねだりする様に舌を出す。誉も目を細めながらそれに応えてやった。
「ふふ、トロトロのお顔、可愛い」
長く長く睦み合った後、誉がゆっくり離れる。
櫂は頬を紅潮させながら、ふうと息を吐いた。
まだ余韻に浸っているようで、ぼんやりとしてるのが可愛らしい。
「ありがとう、元気出たよ」
濡れた唇を軽く拭ってやりながらそう言うと、コクンと頷いた。
「そうだ、櫂」
そこで誉は思いついたように続ける。
「今日もうちに泊まりにおいでよ」
櫂はまだ頭が回らないのか、小首を傾げた。
なので、
「ね、そうしよう」
と、追い打ちをかけると、その圧に押されたのかとりあえず頷く。
櫂は口元に手を当てて、下唇を少しの間触った。そうしてやっと戻ってきた彼は、
「母さんに、聞いてみないと…」
と、申し訳無さそうに返してくる。
「お母さん、お留守でしょ?」
「はい…あれ、何で知ってるんですか?」
「航が言ってたよ」
「そう」
先日の"お食事"の時に本人から聞いたなんて勿論言えない。ちなみに、その旅行の相手も友達ではなく親しい男性だと聞いているが、如月兄弟の平穏のためには黙っておいた方が良さそうだ。
「じゃぁ、航に聞いてみようか」
「えっ、兄さん?」
「そう。ご両親が不在なら、君の保護者はお兄さんが適任だろ?」
「そう…ですね。わかりました」
「ちなみに櫂はどう?嫌なら無理強いはしないけど」
最後にそう聞いてみると、櫂は少しだけ膨れた顔をして、
「嫌だと思いますか」
と、拗ねた様に返してくれたので、それがまた幼気で愛おしく、誉の口元は緩みっぱなしだ。
「随分遅かったな」
二人で薬品庫から戻ると、航がそう恨み言を言ってくる。その前には、教授に航と二人でやるように言いつけられた月曜日に行う実習の準備が殆ど終わった状態で並んでいた。
「せっかくだから色々教えてあげてたんだよ。
ね、櫂くん」
「えっ?は、はい…」
ただキスしていただけのような気もするけれど、そんな事は当然兄には言えないので櫂も頷く。
「おや、こんなにやってくれたの。ありがとう」
「櫂を言い訳にサボっただろ」
「いやぁ、仕事が出来る友達がいて僕は幸せだな」
「よく言う」
誉はニコニコしながらそう言うと、ちゃっかり櫂を横に座らせて残りの作業に取り掛かった。
他の研究室内の先輩や後輩が訝しげに見ているが、誉は気にしない。ちなみに櫂は視線が気になるが、誉が何も言わないので小さくなって黙っていた。
「この薬品をね、スポイトで取って、こっちの小瓶に移してね。この線まで入れるんだよ」
「えっ」
「櫂にもやらせんのかよ」
「社会勉強だよ、ね〜」
「こいつスゲー不器用だぞ」
「大丈夫だよ。ほら、やってみて。
そうそう、上手。天才じゃないか君」
「……扱いが完全に幼児」
「ごちゃごちゃと煩いお兄さんだね。
櫂、本当に上手だよ。才能あるんじゃない。
じゃぁ次はこっちね」
航は二人の様子を見て深くため息をつく。
だが、しかし、誉は上手い。
櫂は誉に褒められるたび嬉しそうにして、意欲的に手伝いを初めている。
こうやってあの櫂の凍った心を溶かしていったのだなと、航は納得する。
櫂の作業が軌道に乗ると、誉はそっと手を離して航の方を見た。
そして、
「今日と明日、櫂くんを借りてもいい?」
と、藪から棒に航に振る。
「は?」
「先週みたいに泊まらせたいんだよ。
期末試験の作戦も練りたいし、櫂を連れてお出かけもしたいんだよね。
この前新しく出来たプラネタリウム知ってる?
丁度プレミアム席のチケット2枚貰ってさ。
櫂くんの地学のお勉強にもなるしね」
「別に構わないけど、お前、そういうのは人の弟とじゃなくて彼女と行けよ…」
「彼女?なんのこと?
僕、今、彼女なんていないよ?」
「お前、昨日の電話」
「昨日の電話は、お兄さんに急にデートに誘われて悩んじゃってた某弟くんの相談に乗ってあげていただけだよ。やーい早とちり」
「なっ、櫂、お前」
航はギロッと櫂を睨むが、当人は作業に没頭していて全く気が付かない。
その様子を見て、
「僕は、櫂くんのこの集中力は見事だと思うよ」
と、ニコニコしながら航に告げた。
航は肩を落としてため息をつくが、確かに誉の言う通りなので作業が終わるまで大人しく黙っていてやった。
それから三十分後。
無事仕事が終わった櫂は、誉に沢山褒められて満更でも無い顔をしている。
「櫂、航がいいって」
「?」
「お泊りだよ、本当に何も聞こえてなかったんだね」
櫂はようやくピンときた顔をして、兄の方を見る。
少し離れたところで他の作業をしていた兄がこちらに寄ってきて、
「誉にワガママ言って、迷惑かけんなよ」
と念を押してきた。
「わかりました」
「じゃぁ帰ろうか、櫂くん」
「お前はまだ仕事残ってんだよ、何帰ろうとしてんだよ」
「もういいじゃないか、月曜日で」
「月曜日に使うデータの下準備なんだよ」
「はあ…君のお兄さん少し真面目過ぎやしないかい」
「そうですね、意外です」
「意外ってどういうことだよっ」
「けど、まだかかるなら私一度帰ります。
荷物を持ってきたいので」
「うちに全部あるから大丈夫…あ、薬がないな。この前瀬戸さんから預かった分は使ってしまったね」
「というか、今思い出したけど、お前どうやって帰るんだ?」
「爺が迎えに来ているので、それで帰ります」
「……ちょっと待てよ。
お前ここにずいぶん長く居るけど、ちゃんと瀬戸に遅れるって連絡してるか?」
「?」
「おい、何首かしげてんだよ。
まさか待たせてんのか?2時間も?!」
「はい」
「はい、じゃねえよ!
信じられねえ、馬鹿、携帯電話貸せ」
「……ちょっと待ってください」
櫂はそう言うと、鞄を探る。
が、一向に携帯電話が出てこない。航のイライラが頂点に達したところで何とかそれは出てきたが、
「あれ、電源がつきません」
と、首を傾げた。
「あー!もう!イライラする!」
「それは電池がきれているね」
「いつも爺が充電してくれている筈なのですが」
「たまにあるよね、充電しきれてなかったりすること。航もイライラしないの。
瀬戸さんの連絡先なら僕知ってるよ。
掛けてあげるよ」
誉はそう言うと、スマフォを取り出して瀬戸に連絡をする。
彼が出た所で航に変わった。
「瀬戸、すまない。櫂が随分待たせて」
『若さま?
坊っちゃんはそちらにいらっしゃるのですか?』
「そうなんだよ、急に来て、瀬戸を待たせているとは知らずゆっくりさせてしまった。申し訳ない」
『いえいえ、いつものことですから大丈夫ですよ。私も良い休憩になりました』
「いつものこと?!瀬戸、お前甘すぎるぞ…。
とりあえず今から櫂を帰すから。
で、裏門の方がここから近いから行かせるが、わかるか?」
『ええ、存じております』
「でな、櫂、今日と明日は誉の家に世話になるから、一度荷物を取りに帰って、その後誉の家まで送ってもらえるか」
『お荷物でしたら、車にいつも積んでおりますのでそれをお使いになれば良いかと存じます』
「薬も?」
『はい、勿論』
「分かった、だったら一度取りに向かうよ。
で、そのまま誉の家に送ってやってくれ。
で、いいよな?」
最後は誉と櫂への確認だ。
誉は親指と人差し指を丸めてOKサインで返事をする。ちなみに櫂は行間が読めないので、また首を傾げている。
「櫂くん、あともう少しかかると思うんだけど、うちでお留守番できる?」
「はい、できます」
「そうかぁ、すごいね。
櫂くんはお利口さんだねえ」
「だから、幼児扱いが過ぎるだろ。
って、お前も満更でもない顔するな」
電話を切った航が完全に呆れた様子で誉にスマフォを差し出す。
「褒められて伸びるタイプなんだよ、櫂くんは」
航は肩を竦めた後、櫂の荷物を手に取る。
そして櫂に、
「裏門知らねえだろ、送ってやるからついてこい」
と言うと歩き出した。
何だかんだ言っても面倒見が良い航だ。
ここは兄に譲ってやろうと、誉は櫂に頷いて見せる。
すると櫂は、わかったとまた答えて兄の後を追った。
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