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26.週末デート①

瀬戸を見送ったカイは、誉の言いつけ通りきちんと玄関の鍵を締めた。 そのままカバンを持って室内を進み、簡易なこたつテーブルとベッドの間に腰を下ろした。 珍しくベッドの上にパジャマがそのまま置いてある。机の上にも、マグカップが一つ置いたままだった。そしてその横には店名入りのブックカバーがかかる本が一冊、それからノートとペンも転がっていた。 今日は元々ここに来る約束をしていたわけではないから、きっと朝そのままで出かけたのだろう。そんないつもしっかりしている誉の意外な一面を見られたのが少しだけくすぐったくて嬉しい。 櫂は口元を緩めながら暫く大人しく座っていたのだが、ふと思い立って眼鏡を外した。 ふう、と息を吐いてそれをテーブルの上に置く。 裸眼で暫く過ごしていたので、眼鏡のある生活はやけに窮屈で肩が張るように思えた。 「そうだ、今のうち…」 それから櫂はそう呟くと、制服の上着を脱いで鞄の中を漁る。中の色んな物をかき分けて、その一番奥から煙草と図書室で借りた文庫本を手に取ってベランダに出た。 誉の大きいサンダルを履き、手すりに寄りかかって煙草に火を付ける。 深く吸い込むと、すうっと気持ちが和らいでいく。吸って、吐いて、2回ほど咳き込む。 様子を見ながら煙草を吸っていると、ふと横に小さなアウトドア用のテーブルと灰皿が新たに設置されている事に気がついた。誉は喫煙しないので、自分のために用意してくれたのだろう。 誉はカイの喫煙について、口ではやめろと言うけれども、無理強いはしない。こうやって認めてくれる。それは一緒にいてとても楽だ。 櫂は灰皿に灰を落とし、本を開く。 活字を目で追いながら煙草を吸うのは、櫂にとっては数少ない至福の時間だ。 だから止めろと言われてもそのつもりはない。 それで死ぬことがあっても、寧ろ本望だとさえ思う。 そのまま2本ほど吸った所で少し胸が詰まる感じと咳き込む回数が増えてきたので、今回はここまでかと火を消して一息ついた。 そして胸の真ん中を軽くトントンと叩きながら部屋に戻った。 そうしてまたベッドとテーブルの間に収まって本の続きを読んでいたのだが、いつ誉が帰ってくるかと気持ちがソワソワして上手く集中出来ない。 仕方なく櫂は一度本を置く。 すると丁度横にあるカバーがかかった本が気になった。何の本だろうか。誉が読むくらいだから、難しい専門書かなにかだろうか。 急に興味が沸いたのでそれを手に取り、適当なページを開いて見てみた。 しかしその次の瞬間、カイは本を勢いよく閉じて自分から遠ざけた。 「なっ、なっ…」 心臓が急にバクバクと鳴り、カッと顔が熱くなった。 カイは遠ざけた本をもう一度ちろりと見ると、また手を伸ばす。 もしかしたら見間違いか、たまたま開いたページだけそうだったのかもしれない。 そう思いながらもう一度、今度は本を最初から開いて確認する、が。 「なんだこれ!!!」 カイは再び本を投げ出して、両手で顔を覆った。 中身は漫画だったのだが、とにかく内容が酷い。 まず、ほぼ全ページに渡り裸の人物しかいない。 しかもそのどれもが男性だ。 キスをしたり、その先のカイの知らないようなことまでしてきたような気がする。怖くてよく見ず投げてしまったのでよくわからない。 カイは俄に混乱する。 誉はこんな本を愛読しているのだろうか。 というか、ここにおいてあるということは今朝読んでいたのだろうか。 また、誉は恋人同士になったのだからと自分にキスをするようになった。この本の登場人物もキスをしていたから、恋人同士ということか。 ということは、もしかしたら誉はこの本に書いてある様なことを、恋人である自分としたかったりするのだろうか。 「……」 カイは再び本を見る。 もしも。 誉の希望がそうなのだとしたら、きちんと知っておいた方が良いのかもしれない。 そう思い直し、もう一度本に手を伸ばした。 ゴクリと生唾を飲み込んで、きちんと最初から読んでみる。 最初の頃はその絵面を見ているだけでも恥ずかしく、目を覆いたくなったが、次第に慣れてきてしまうから怖い。 「え…怖…ムリ…」 そしてとうとう始まった男性同士のセックスシーンでは、そんな感想しか出てこない。 「え、これがここに入るのか?これが?」 しかし漫画の人物はとても気持ちよさそうな描写がなされている。 「いやムリ…」 最早段々怖いもの見たさでカイはページをめくって行く。 読みながら、 「縛るのか?何で?」 とか、 「玩具?これが?何の?」 とか、全てが新しい世界への扉過ぎて理解が出来なかった。 するとその瞬間、ガタガタッと玄関の方から音がしたので、カイは竦み上がる。 と、同時に鍵が開く音がしたから、慌てて本を元の場所に戻してその方へ向かった。 「カイ、ただいま」 誉は入るなりカイの姿を見つけてふんわりと笑う 「おかえり」 カイは少し照れた様にそう返す。 誉は鍵を締め、靴を脱ぐなりカイを抱きしめた。 「はあ、カイが"おかえり"してくれるの、控えめに言って最高だなあ。疲れが全部昇華される」 「何だそれ」 「お帰りを言ってくれる人がいるっていうのは尊いことなんだよ。 ついでにお帰りのキスもあるともっといいんだけど」 「キスはもう大学でいっぱいしただろ」 「何回してもいいじゃないか、はい」 「しない」 「ここにチュってするだけでいいから」 「口の中にべろ入れてこない?」 「しない、しない。多分」 「たぶん!!!」 「冗談だよ」 「……」 カイは少しだけ迷った様子を見せた後、少しかがんだ誉の肩に手を乗せる。 そして背伸びをして、その唇の左下にある小さな黒子にチュッとキスをした。 誉は目をパチクリさせた後、 「カイくん、ズレてますよ」 と返し、カイの顎をくっと上げさせてその唇にキスのお返しをする。 カイは相当警戒している様で、すぐに頭を退いて離れ、唇を両手で覆った。 「ま、今はこれで許してあげましょう」 誉はニコッと笑ってカイの頭を撫でて、部屋の奥へと入っていく。 「あ、ごめんね、散らかってたね」 そしてそう言うと手際よくベッドのカイの制服をハンガーに掛けてからパジャマを畳み、机の上を片付けた。 あのカバーの本も一緒に本棚代わりにしているカラーボックスの方へと持って行く。 カイは自分の鞄を端っこに寄せていたのだが、不意に 「ところでカイ、この本読んだ?」 と問われて、肩を上げ竦み上がった。 「よ、読んでないよ」 「読んだよね」 「読んでない」 「位置が変わってたよ」 「………ちょっとだけ読んだ」 「あ、読んでもいいんだよ、別に」 誉は目を細めて、再び本を持って戻ってきた。 「俺も夕べ呼んでビックリしたんだけど、結構ハードだよね〜。 これさ、バイトしてる塾の生徒さんの忘れ物なんだよね。中身が中身だから、後でこっそり返してあげようと思って預かってきたんだ。けどさ、今どきの高校生って、こんなの読むんだって逆にビックリしちゃった」 そう話しながら誉が適当なページを開いて見せると、 「ちょっ、見せなくていいよ…っ」 カイは顔を真っ赤にして両手で目を覆う。 その様子が初心で可愛くて、誉の口元は緩みっぱなしだ。 一方でカイは、それが誉の本ではなかった事に安心しながらも、自分と同じ高校生がこんな本を読むということにカルチャーショックを受けている。 自分なんて、本を読んでいてもキスシーンが出てくるだけでも恥ずかしくて飛ばしてしまう位なのに、みんな平気なのだろうか。 「カイ、こっちにおいで」 「嫌だよ、またそれ見せるだろ」 「見せないからおいで」 誉は本をテーブルの向こうに追いやって、カイを膝の間に招き入れる。 背中からぎゅっとカイを抱きしめその体温を確かめると、耳元で囁く。 「で、カイくんはこれ読んでみてどうだった? ドキドキした? それとも、自分もしてみたいと思った?」 「なっ……」 このタイミングで誉が耳の後ろに軽く唇を押し当てる。そしてそこをチロリと舐めた。 ひゅっと肩を竦めると、ふっと誉が笑んだ吐息を感じる。 「誉こそ、どうなんだよ」 質問に質問で返すのはズルいと自覚しながらカイは言う。 「オレと、ああいうこと、したいのかよ」 「勿論したいよ。 恋人とのセックスほど幸せなことはないからね。 とはいえ、あの本の中身を全部したいかってい うと…………ウーン……してもいいかもしれないな」 「ちょっ、縛られるのやだよオレは!」 「結構後半まで読んだんだね」 「あっ。よ、読んでない!」 「ふふ、そう言うことにしておいてあげてもいいけどね。でも、セックスは、君の心と身体の準備がちゃんと整うまで待つつもりでいるよ。 こういう事は無理をしても、させても、良いことはないからね」 誉はそう言うと、いつものようにカイの頭に顎をおいた。カイは自分を抱くその腕をなぞりながら、 「正直に言うと、ちょっと怖いと思った」 と、本音で答えた。 「うん」 誉は頷いて、ぎゅうっとカイをもう一段つよく抱きしめる。 「普通はそうだし、それでいいんだよ」 「うん……」 「だから、カイの準備が整ったら、最高に気持ちいいセックスを教えてあげるね」 「……っ、また、そういうこと言う!」 「あ、でも、キスはさせてね。 せめてそれくらいさせてもらえないと、極上のごちそうを前に耐えられるとは思えない……」 「オレは食べ物かよ」 「似たようなものだよ。 こんなに美味しそうなウサギさんを前に一年も耐えた俺は、ご褒美をもらってもいいと思う」 「一年!ほぼ出会ってすぐじゃねーか!」 「うん、一目惚れだからね」 「一目惚れ!」 カイが顔を真っ赤にして振り返ると、誉はツンツンと自分の唇を指差した。 ご褒美ってそれかとカイは恨めしく思う。 しかし一方で、誉がきちんと自分を大切にしようとしてくれていることがわかったので、それに免じて今回は許してやることにした。 だから、今度はちゃんと誉に向き直り、その唇に自分のそれを重ねる。 そして誉が応えるように返してくれたキスを、素直に受け入れたのだった。

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