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33.週末デート⑧

上映時間が近づき、いよいよプラネタリウムの中へと通される。 既に座席を把握しているらしい誉についていくと、そこは丸いベッドのような席だった。大人二人がやっと寝そべることが出来る程度の大きさだ。 櫂は誉に促されるままそれに腰を下ろす。 薄暗いホール内を見渡すと同じ形の席がこれを含めて横に3つ、後ろの方は普通の座席が並んでいた。 観客の入りはほぼ満席だ。 「寝そべって見られるの、いいよね」 「寝る…?」 そもそも櫂はプラネタリウムがどんなものなのかをよく知らない。映画館のようなものを想定していたが、よく見ると壁のどこにもスクリーンがなかった。荷物を置いた誉がごろんと寝転んだので、櫂も真似をしてみる。すると、上にスクリーンがあることに気がついた。 「櫂、おいで」 上を見つめている櫂に、誉が手を伸ばす。 「大丈夫だよ、隣を見てごらん」 言われた通りに見てみると、左右隣りのカップル二人の距離はとても近い。 ならばと櫂はお尻ひとつ分だけ誉に近づく。 すると誉は更に距離を詰めてきて、結局腕枕で腰を抱かれ、ぴったり密着する格好になってしまった。 そして誉は突然スッと櫂の眼鏡を外して自分の胸ポケットに仕舞ってしまう。 「あっ、こら、やめっ」 「ここなら大丈夫でしょ」 「いやだ、返せ」 「じゃぁ、カイからキスしてくれたら考えてあげる」 「んなっ! こんなとこでそんな事できるわけないだろっ」 「俺は出来るよ」 「しなくていい!」 今日に入ってから何回もこの手でキスをしているので流石のカイも先を読めたようだ。 自分の口を両手で覆ってガードし、ぷいと横を向いた。 やはり、まだ眼鏡がない方が表情が豊かだ。 大人しいのも可愛いが、やはりこっちの方がカイらしくていい。 誉は目を細めながら、カイの頭をわしゃわしゃと撫でる。 「なんだよ」 「一粒で二度美味しいなと思って」 「どういう事だ?」 「どんな君も大好きってことだよ」 「はぁ?」 「あ、始まるみたいだね」 少しすると更にあたりが暗くなった。 かと思うと、大きな音で音楽が流れ始め、上面のモニターに月が映し出された。 それがすごいスピードで目前に迫ってくる。 その迫力に櫂は驚く。 スクリーンが天球のようにラウンドしていることにより、よりリアルに迫ってくるように感じた。 思わず誉にぎゅっとくっつくと、彼は背中を撫でてくれた。 誉にとっては、上映よりもカイを見ている方が余程有意義だ。 普段のカイは本を読んでいるかぼんやりしているかのどちらかなので、他の何かに夢中になっている姿は新鮮だ。 少し大きな音が出るたびに体がピクッと跳ねてギュッギュと自分のシャツを掴んでくるのも凄く可愛い。 光に弱いカイの目が眩んでしまうのではないかとか、そもそも映像が遠すぎて見えないのではないかとか心配はあったが、楽しめているようなら本当に良かった。 今日のテーマは彼が好きだと言った物語だから尚更面白いのだろう。場面の展開に合わせて表情がくるくると変わる様は、小さな子供みたいで愛しい。 「星ってキレイなんだな」 すると、小さな声でカイが話しかけてきた。 誉も見上げてみると、スクリーンいっぱいに満点の星空が広がっている。 その時急に、誉の脳裏に子供の頃に弟と見た星空が蘇った。 弟は星が好きだった。 その体調が良い日は、二人で夜中に家を抜けて近くの海辺によく星を見に行ったものだ。 星を眺めながら、弟は将来、大きな船に乗る漁師になりたいと言った。 それに対して自分も何かを返したはずだ。 一体何と返したのだろうか。 誉は僅かに目を細める。 そこだけ靄がかかっていて、どうしても思い出せない。 少しの間をおいて、カイが言う。 「本物の星空、見てみたいな」 星空を見上げるカイの瞳が、あの日の弟のようにキラキラと輝いて見えた。 「いいよ、見に行こうか」 誉はふうと息を吐いた後、そう返す。 カイの赤い瞳が自分を捉えている。 そして彼は一瞬嬉しそうな顔をしたが、直ぐにそれが曇る。 あ、今マイナス思考に陥ってるな。 そうは言ってはみたものの、どうせ無理だとでも思っているのだろう。 「一緒に行こう。 俺も、君と一緒に本当の星空を見たくなったよ」 誉がそう言うと、カイはもう一度スクリーンに映る星空を見上げた。 それから小さく頷いて、誉に頬を寄せた。 もう一度見たら、あの時弟に話した夢を思い出せるだろうか。いや、思い出したところで無駄な徒労か。 弟が結局漁師になることなく今があるのと同じ様に、今の自分もあの日の延長線上には、きっともういないのだ。 だからもし次に星空を見ることできたら、この腕の中の子と、二人の夢を紡ごう。 そして誉はゆっくり瞳を閉じると、カイの愛しい体温をただ受け止めていた。 上映が終わり、辺りが少しだけ明るくなる。 誉は起き上がるや否や言った。 「さて、甘いものでも食べようか」 「さっき結構食べてたぞ」 「もう消化しちゃったよ」 「いやお前、朝から甘いものしか食べてないからな。よくお腹悪くしないな」 「俺、昔から胃と心臓は強いんだよね」 「それ、なんか分かる…」 「はあ……糖分が足りない。 仕方ない、糖分くらい甘いカイでも摂取し…ムグッ」 「そんなことより、眼鏡返してくれ」 「つれないなぁ」 カイに口を抑えられたまま誉は肩を竦めると、胸元から眼鏡を取り出す。 カイはそれをすぐに付けた。 瞬間、ストンと表情が抜ける。 何度見ても見事なものだ。 「ねえ、誉先生」 「んー?」 まとめた荷物を持ち上げた所で、櫂にそう呼ばれたので誉は振り向く。 ちゅっ。 ホールにそんな可愛い音が響いた。 誉が目をパチクリさせていると、櫂が 「隙あり、です」 と言ってにんまりと笑った。 そこで気がついたが、ホール内にはもう誉と櫂の二人しかいなかった。 「ふうん?そういうことするんだ?」 「へっ?」 誉はいたずら好きのウサギを捕まえて、丸いベッドへと押し倒す。 「じゃぁ、俺も」 「ちょっ、ちょっと待っ…!」 そして二人の鼻先がくっつくすほどに近づいた所で、 「お客さま、そろそろご退出頂けますか?」 という清掃担当の店員の声が聞こえた。 「!!」 櫂はまさに脱兎の如く誉から抜け出すと、真っ赤且つ膨れっ面で横を向く。 あと三十秒で良かったのになあと誉は独り言ち、荷物を持って立ち上がる。 仲良く手を繋いでロビーに出ると、来月からの上映案内ポスターが掲示されていた。定期的に演目は入れ替わるようだ。 それを櫂がじっと見ていたので、 「また来月来ようか」 と誉が提案すると、櫂は控えめに頷いた。 握っている手にぎゅっと力がこめられる。 彼なりの承諾と嬉しい気持ちの表れなのだろう。 「そうだ、櫂に買ってあげようと思っていたものがあるんだよ」 「?」 誉は出口近くのお土産コーナーの前で立ち止まり、中に入っていく。月や星がモチーフの雑貨が並んでいるその一番奥まで行くと、その中の一つを手に取り櫂に渡してやると。 「これは、ブックマーカーですか?」 「そう、お月さま。可愛いでしょ」 「はい、素敵です」 「ネットで見かけて、本が好きな櫂にピッタリだと思ったんだ。あ、これじゃなくて、他にも種類があるから好みのやつ…」 「私、これがいいです」 櫂はそう言うと、大切そうにブックマーカーを見つめる。 「月が、とてもきれいなので」 誉は眉を上げた後、口元を緩めた。 そして、 「君と一緒に見るからキレイなんだよ」 と、櫂の頭の天辺にキスを落としながら返してやる。今回は物陰だったのもあってか櫂も怒ることなく、嬉しそうに笑った。 プラネタリウムを出て、二人は繁華街の方へと向かう。その途中で櫂が、 「とても楽しかったです」 と、改めて言う。 「気に入ってくれたなら良かったよ」 「はい。凄く楽しかったので、今度母にお願いしてうちにも作ってもらおうと思います」 「え?何を?」 いきなり変な方向に話が向いたので誉は思わず櫂の顔を見て問うた。 しかし櫂は平然とした様子で答える。 「プラネタリウムです」 「……何で?」 「そうしたら家でいつでも見れます」 「いや、そんな家でテレビを見る位の感覚で言われてもね」 「完成したら、誉先生も見に来てくださいね」 「本気で作る気でいるの?流石に無理じゃない?」 「この前兄さんもプールとサウナを作ってもらっていたし。兄さんだけずるいって言えば絶対大丈夫です。どうせ場所はたくさん余っているし」 突然の御曹司ムーブに誉は目眩がしてきた。 最早スケールが違いすぎる。 「さっきまた一緒に来るって言ったじゃないか」 「一緒にも来たいですけど、見たいときにも見たいじゃないですか」 「いや気持ちはわかるけど、テレビじゃないんだから…」 「それに、おうちのプラネタリウムだったら、誉先生と私しかいないので、いつでもキスができます」 櫂はそこまで言うと、誉の手をぎゅっと握る。 それから誉とは反対側を向いて、 「恋人のキスもできます」 と、続けて言った。 そんなに耳まで赤くなるほど恥ずかしいなら言わなければいいのに。 というか、そうか。 この子は上映中に何度かキスをしたくなったわけだ。しかも、"恋人のキス"の方を。 擬似的とはいえ、美しい星の下で櫂とキスをするのは悪くない。寧ろ大歓迎だ。 というか、自宅なのであればそれ以上のことも可能ではないか。誉は俄然やる気が出てきた。 「じゃあ、櫂のプラネタリウムにご招待頂けるのを、期待して待ってるよ」 「はい!任せてください!」 櫂は嬉しそうにそう返すと、得意げに胸を叩いた。 その様子が本当に可愛くて愛しくて、誉は本当にもうこの子を手放せないなと心から思った。

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